【今日の1枚】Haikara/Haikara(ハイカラ) | 古今東西プログレレビュー垂れ流し

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ロック(プログレ)を愛して止まない大バカ…もとい、音楽が日々の生活の糧となっているおっさんです。名盤からマニアックなアルバムまでチョイスして紹介!

Haikara/Haikara
ハイカラ/ハイカラ
1972年リリース

摩訶不思議な幻想世界を投影した
サイケデリック・ヘヴィ・シンフォ

 ヴェサ・ラットゥネン(ヴォーカル、ギター、キーボード)を中心に結成されたフィンランドのプログレッシヴロックグループ、ハイカラのデビューアルバム。そのアルバムは『リザード』時のキング・クリムゾンやフランク・ザッパ、ヴァン・ダー・グラーフ・ジェネレイターといった米英のプログレッシヴロックと、プロコフィエフやシベリウスといったクラシックの影響が感じられるサイケデリックなヘヴィシンフォニックとなっている。フィンランド国内で高く評価されたアルバムである一方、流通した枚数が少なく幻の作品とされていたが、2011年にワーナー・ミュージック・ジャパンからリマスターCD化が実現している。

 ハイカラは1971年にマルチミュージシャンであるヴェサ・ラットゥネンとドラマーであるマルクス・ヘイケロによって、フィンランドの都市ラフティで結成されたグループである。リーダーであるヴェサ・ラットゥネンは、クラシックからロック、ポップス、フォークといったジャンルをこなすコンポーザー兼アレンジャーであり、ギターやベース(コントラバス)、キーボードといった多彩な楽器を奏でる才能を持ったミュージシャンである。彼は1960年代中期、15歳の時から音楽活動をしており、最初のグループはラウンドビーツという名で、主にザ・ビートルズやホリーズといったカヴァー曲を中心に英国のロックやポップスに影響を受けた演奏をしていたという。しかし、ドラマーがベートーヴェンの交響曲に感銘を受けたということでグループは解散。その後はチャック・ベリーなどのロックンロールを演奏するザ・ワンダラーズやザ・ロードス、ティンクルといったグループで活動している。ちなみにティンクルは英国のザ・フーやハーマンズ・ハーミットといったグループの前座を務めるなどライヴに定評があり、人気も高かったと言われている。しかし、ラットゥネン自身が様々なミュージシャンとセッションするようになり、ティンクルは1969年に解散することになる。その後、ラットゥネンはラフティ・シンフォニー・オーケストラに在籍してコントラバスを演奏していたが、1971年にドラマーのマルクス・ヘイケロと出会い、ハイカラを結成する。マルクス・ヘイケロはティンパニやシロフォンの教育を受けたミュージシャンである一方、フィンランドの漫画家、ビジュアルアーティストとして知られる人物である。ラットゥネンと出会ってハイカラを結成したのは、ちょうどビブラフォンの研究に復帰した頃である。ヘイケロはギタリストのティモ・ヴォリネンを連れてきてベースを担当させ、トリオとして活動を開始している。当初はジミ・ヘンドリックスに影響を受けた演奏をしていたが、1971年にフィンランドのヘヴィ・プログレッシヴロックグループであるチャーリーズに在籍していたヴェサ・レティネンをヴォーカリストとして迎えている。またラフティ・シンフォニー・オーケストラでサックス兼フルートを演奏していたハリー・ピスティネンも参加させている。5人となった彼らはラットゥネンが曲を書き、レティネンが歌詞を書いたオリジナル曲を基にデモテープを作成。Finnlevyレーベルに持ち込んだが、レーベル側がスタジオでの経験不足を指摘され、さらにコマーシャル的な音楽を要望していたため頓挫している。しかし、彼らの音楽に興味を持ったディスコフォン・レコードの音楽プロデューサーであるモス・ヴィクステッドがレコーディング契約をを持ちかけ、1972年末にデビューアルバム『ハイカラ』をRCAビクターよりリリースすることになる。そのアルバムはキング・クリムゾンからの影響を感じさせるヘヴィなギターと豪華なブラスセクションを組み合わせた複雑な変拍子による、幻想的かつシュールなサウンドになっている。
 
★曲目★
01.Köyhän Pojan Kerjäys(不良少年の物乞い)
02.Luoja Kutsuu(創造者の招待)
03.Yksi Maa - Yksi Kansa(一国、一民族)
04.Jälleen On Meidän(再び我々のもの)
05.Manala(暗黒街)

 アルバムの1曲目の『不良少年の物乞い』は、フィンランドの民俗音楽からの影響を受けた奇妙な旋律のヴォーカル曲となっており、猥雑なブラスセクションの演奏が特徴になっている。曲の終わりにはフルートと管弦楽によるフィンランド軍の行進曲の引用があり、オーケストラに所属していたラットゥネンとハリー・ピスティネンによるものだろうと思われる。2曲目の『創造者の招待』は、厳かな鐘の音に導かれるようなチェロとフルート、ストリングスを中心とした悲壮な葬送曲から、ギターやブラスセクションによるヘヴィなロックナンバーになっていく楽曲。非常にミステリアスな内容になっており、歌詞には組織化されたキリスト教と世界の指導者に対する憎しみを謳っている。3曲目の『一国、一民族』は、ユッカ・トロネンを彷彿とさせるギターやチェロ、そして陶酔的なストリングスを加えたグループの代表曲ともいえる楽曲。中間部からギターとフルート、サックスによるキング・クリムゾンやタサバラン・プレジデントを思わせるスリリングな演奏があり、ラテンの影響を受けたホーンアレンジがアグレッシヴである。4曲目の『再び我々のもの』は、ベースの特徴的なフレーズから始まり、サックスやパーカッションを加えたグルーヴ感満載のヴォーカル曲。『リザード』時のキング・クリムゾンを彷彿とさせるジャズ要素の強い内容になっており、サックスとうねるギター、独特なベースが支配するダークな作風となっている。5曲目の『暗黒街』は、キング・クリムゾンの『The Letters』を彷彿とさせるアコースティックギターとフルートによる美しくも悲壮なアンサンブルをバックに歌うヴォーカル曲から、一転して不協和音に近いヘヴィなサウンドに変化する楽曲。独特過ぎるギターとサックス、パーカッションが、これまで聴いたことの無いシュールで摩訶不思議な世界へと誘ってくれる。こうしてアルバムを通して聴いてみると、英国のキング・クリムゾンやヴァン・ダー・グラーフ・ジェネレイターに影響された楽曲が多いが、クラシックやロックというよりもジャズや現代音楽に近いサウンドになっていると思える。このオリジナリティあふれるサウンドは、ラットゥネンがハイカラと並行して在籍していたラフティ・シンフォニー・オーケストラとアルバムに参加した4人のホーンセクションの影響が大きい。クラシックの理論とホーンセクションによるジャズ要素を組み合わせた幻想的でシュールな楽曲は、他のプログレッシヴロックとは一線を画する唯一無二の作品と言っても過言ではない。
 
 アルバムはフィンランドでプログレッシヴロックの傑作と評価され、グループの知名度は一躍広まることになる。しかし、ヴォーカリストであるヴェサ・レティネンが脱退。彼はソロに転向して、後にNepaというロックグループに参加して1978年にシングルをリリースしている。代わりにヴェサ・ラットゥネンの妹であるアウリ・ラットゥネンがヴォーカルとして加入したセカンドアルバム『Geafar(こうのとり)』を1973年にリリース。前作の延長線にある内容になっており、女性ヴォーカルやストリングスを導入しつつも、こちらも摩訶不思議なサウンドになった作品になっている。しかし、思うような売り上げにはならず、レーベル側からコマーシャル的な方向性に切り替えるように要請したものの、グループは拒否したために契約が終了してしまう。1974年にラットゥネンはフィンランドの歌手であるユッカ・クオッパマキのアルバム『ヴァイナモイネン』の曲を編曲したことがきっかけとなり、ハイカラはクオッパマキが所属するサットサンガ・レコードと契約。ヴォーカルにマッティ・ハイナメンを迎えて、1975年にサードアルバム『Iso Lintu』をリリースする。よりストレートなロックサウンドになったが、売上不振によりグループは解散することになる。1976年にラットゥネンはハイハットレコードのために、再度ミュージシャンを集め、エリヤス・ホルム、ヨルマ・ニクラネン、ハンヌ・ロントゥというラインナップで、ファンクの影響を受けたシングルを出したものの、すぐに解散している。その後、ラットゥネンは地元のフィンランドでセッションミュージシャンを続けていたが、20年近く経った1997年にハイカラを再結成している。新たなメンバーにはトミー・マキネン(ベース)、ユッカ・テリサーリ(ドラム、パーカッション)、カリ・サリミ(パーカッション)、ジョン・シェーバー(ヴォーカル)が加わり、1998年に4枚目となるアルバム『ドミノ』をメタモルフォスよりリリースしている。そのアルバムはフォーク調のワールドミュージックとなっており、フィンランドらしい美しいサウンドになっている。2001年には5枚目のアルバム『Tuhkamaa』をメロウ・レコードよりリリースするなど、精力的な活動を続けていたラットゥネンだったが、2005年3月3日に死去している。次のアルバムに向けてレコーディングを行う直前だったという。

 

 皆さんこんにちはそしてこんばんわです。今回はフィンランドの隠れ名盤の1枚と言われているハイカラのデビューアルバムを紹介しました。フィンランド語であるハイカラは日本語でこうのとりを意味します。決して明治時代に西洋風の身なりや生活様式を取り入れたHigh Colorの人々を指すハイカラではありません。とはいっても、このアルバムを手に取った理由は、そのグループ名に惹かれてしまったことは間違いなく、頭の中でオシャレで目新しい音楽を追求したグループなんだろうな~と勝手に解釈していました。実際に聴いてみたところ、『リザード』や『アイランド』時代のキング・クリムゾンやヴァン・ダー・グラーフ・ジェネレイター、フランク・ザッパといった米英のプログレからの影響が感じられますが、ホーンセクションがこれまた強烈です。現代音楽やジャズ要素をミックスさせた要素もあり、はっきり言って摩訶不思議なサウンドです。これを幻想的と呼ぶのか先鋭的と呼ぶのか斬新と呼ぶのか聴き手を選びますが、そのシュールな世界に引きこまれること間違いなしです。良く言えば癖になるんですよね。個人的には3曲目のスリリングな演奏を披露した『一国、一民族』やジャズ要素の強い『再び我々のもの』、不協和音に近いヘヴィなサウンドに変化する『暗黒街』は一聴の価値ありです。

 

 さて、そのシュールな音楽を具現化したようなジャケットアートですが、イラストはドラマー兼グラフィックアーティストでもあるマルクス・ヘイケロが描いたものです。彼の経歴は面白く、音楽よりも絵が好きだったようで、ハイカラ解散後にアールト大学芸術デザイン学部に入学して1980年に卒業しています。彼はポップアートの要素とシュルレアリズムを組み合わせた絵画を手掛けて、1986年にヘルシンキのクルーヴ・ギャラリーで大規模な展覧会である「シュルレアリスム・ポピズム」を開催しています。その後はヨーロッパとアメリカの文化の要素を組み合わせた油絵を描き、1999年にヘルシンキのキアズマ現代美術館で個展を開いたというから驚きです。現在でも画家としてフィンランドの偉大な芸術家の1人として数えられているそうです。

 

 そんな彼のシュルレアリスムな感性と、ラットゥネンの多彩な音楽性を組み合わせたのがあの摩訶不思議なハイカラのサウンドの産物だと考えています。ぜひ一癖も二癖もある本アルバムを一度堪能してほしいです。ちなみにセカンドアルバムも本アルバムに劣らない摩訶不思議さがありますよ。

それではまたっ!