【今日の1枚】Banco Del Mutuo Soccorso/Darwin! | 古今東西プログレレビュー垂れ流し

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Banco Del Mutuo Soccorso/Darwin!
バンコ・デル・ムトゥオ・ソッコルソ/ダーウィン!
1972年リリース

濃密で複雑なアンサンブルによる
圧倒的な展開を有するイタリアンロックの名盤

 レ・オルメ、PEM(プレミアータ・フォルネリア・マルコーニ)と並ぶ、イタリアを代表するプログレッシヴロックグループ、バンコ・デル・ムトゥオ・ソッコルソ(通称バンコ)のセカンドアルバム。進化論で有名なダーウィンをテーマに強烈な攻撃性と即興性を兼ね備えたアンサンブルと、クラシカルなツインキーボードによる圧倒的とも言える展開が持ち味となったサウンドになっている。カンツォーネの影響下にあるイタリアらしいフランシス・ディ・ジャコモのヴォーカルも素晴らしく、イタリアだけではなく日本でも人気となった名盤である。

 バンコは1969年にヴィットリオ・ノチェンツィ(キーボード)とジャンニ・ノチェンツィ(ピアノ)の兄弟を中心に、イタリアのローマで結成したグループである。当時17歳だったヴィットリオはイタリアで根差していたポピュラー・カンツォーネに対抗すべく登場したビートロックの流れから、アートロックやサイケデリックロックといわれるプログレッシヴロックに通じるジャンルへと変革していた時期に、キーボードを主体とした新たなサウンドができないか模索していたという。そんな時、ヴィットリオ・ノチェンツィの元にRCAのオーディションの話が舞い込み、弟のジャンニと友人であるクラウディオ・ファルコ(ギター)、ファブリツィオ・ファルコ(ベース)、フランコ・ポンテコルヴィ(ドラム)の5人編成で挑んでいる。しかし、PFMの前身グループであるクエッリやニュー・トロルス、レ・オルメ、イ・プーといった大物のグループが続々と登場していた中で、後のバンコらしいアヴァンギャルドなサウンドを披露したが、ヴォーカルを務めたヴィットリオを含めたグループとしての演奏力は大手メジャーレーベルであるRCAには届かず、デビューが叶うことはできなかったという。それでも彼らはギグを含めた多くのステージをこなし、1971年にはローマのカラカラ・フェスティバルにも出場している。そのフェスティヴァルでローカルグループであるエスペリエンツェのヴォーカリストであるフランチェスコ・ディ・ジャコモと、フィオーリ・ディ・カンポというグループにいたギタリストのマルチェッロ・トダーロと出会っている。2人はヴィットリオ兄弟と意気投合し、グループの改革を決意。リズムセクションを強化するためにエスペリエンツェからレナート・ダンジェロ(ベース)、ピエルイージ・カルデニーロ(ドラム)を呼び寄せ、新たなメンバーを含めた6人で活動を開始する。この時に“共済銀行”という意味を持つバンコ・デル・ムトゥオ・ソッコルソというグループ名を名乗ることになる。彼らは最初の活動として、ドラマーのジョン・ハインズマン率いる英国のグループ、コロシアムのローマ公演のサポートアクトを務め、徐々に知名度を上げていくことになる。1972年に入るとイタリアのレーベルであるリコルディと契約し、デビューアルバム『バンコ・ファースト』をリリース。そのアルバムはクラシック音楽に基づいたキーボードプレイと変拍子を多用した破壊的なリズムを擁したサウンドであり、何よりも壺型の変形ジャケットが話題となった作品である。アルバムリリース後、彼らはロリー・ギャラガーやカーヴド・エアのサポートとしてイタリア国内を回りつつ、作曲者であるヴィットリオは次のアルバムに向けての制作を始めている。デビューアルバムで手ごたえを感じたヴィットリオは、次のアルバムでダーウィンの進化論をテーマにしたコンセプトアルバムを作ろう考え、プロデューサーに前作同様にサンドロ・コロンビーニ、エンジニアにウォルター・パタニャーニを起用。同年の末にセカンドアルバムとなる『ダーウィン!』をリリースすることになる。そのアルバムは濃密で複雑なアンサンブルの中で、ノチェンツィ兄弟によるクラシカルなキーボードと、ジャコモの優しくも強いファルセット・ヴォイスが冴え渡ったイタリアンプログレの傑作となっている。
 
★曲目★
01.L'Evoluzione(革命)
02.La Conquista Della Posizione Eretta(征服)
03.Danza Dei Grandi Rettili(卑劣漢の踊り)
04.Cento Mani E Cento Occhi(100の手と100の瞳)
05.750.000 Anni Fa... L'Amore?(75万年前の愛)
06.Miserere Alla Storia(悲惨な物語)
07.Ed Ora Io Domando Tempo Al Tempo Ed Egli Mi Risponde... Non Ne Ho!(疑問)

 アルバムの1曲目の『革命』は14分に及ぶ大曲となっており、アヴァンギャルドなシンセサイザーとクラシカルなピアノを奏でるノチェンツィ兄弟とファルコの華麗なギターを中心に作られた楽曲世界。両キーボーディストがそれぞれ独自の道を進んでいる間も持続した相互作用があり、その中でジャコモのオペラ風の力強いヴォーカルが素晴らしい。濃密で複雑なアンサンブルながらも煌びやかなビブラフォンやクラリネットを使用し、重々しさと軽やかさが織りなす不思議な魅力の詰まった一大絵巻となっている。2曲目の『征服』は、シンセサイザーが動物のような鳴き声のようであり、ティンパニを使用したダイナミックなドラミングと共に始まる楽曲。脈動するオルガンとピアノが交互に奏でられ、そのパワフルなサウンドは、まるで太古の類人猿の生命力を表しているようである。後半にはハープシコードをバックに雄々しいジャコモのファルセット・ヴォイスが堪能できる。3曲目の『卑劣漢の踊り』は、ピアノとベースを中心にシンセサイザーが加味されたジャズ風味の強い楽曲。非常にゆったりとしたサウンドだが、タイトルの別名が『大型爬虫類のダンス』の通り、見つけた獲物を虎視眈々と狙っている様子を描いている。4曲目の『100の手と100の瞳』は、アンメロディックなシンセサイザーと美しいピアノソロを備えたアグレッシヴな楽曲。エネルギッシュでありながら誇張されておらず、曲調の変化とテンポの変化によって絡み合う音楽的なアイデアの詰まった内容になっている。後半ではダイナミックな展開の中で歌うジャコモのヴォーカルがひと際光った曲である。5曲目の『75万年前の愛』は、ピアノをバックに悲哀のあるジャコモのヴォイスを湛えたバラード曲。中盤でシンセサイザーによるソロパートを挟んでいるが、バンコのバラード曲の中でもトップクラスに位置する。6曲目の『悲惨な物語』は、前曲の悲しみが去って壮大さが戻り、クラリネットやキーボードを中心にテーマが紡がれるシンフォニックな楽曲。劇的なピアノソロを挟み、まるで楽器で動物たちの喧騒や遠吠えを演出したような複雑なアンサンブルが展開されている。7曲目の『疑問』は、ハープシコードやクラリネット、コントラバスを駆使したイタリアらしい古典的な楽曲。まるで遥かな古代の世界から人間社会に行き着いたような華やかさのあるサウンドになっている。こうしてアルバムを通して聴いてみると、ファーストのイメージをそのままにコンセプトアルバムとして仕上げているが、さらにツインキーボードと多彩な楽器による劇的でダイナミックな構成美にあふれた内容になっている。特筆すべきはジャコモの巨体から発せられる力強いファルセット・ヴォイスだろう。クラシックやジャズ、そしてロックのコンビネーションにオペラ風のヴォーカルを加味するという、イタリアならではの多様性のあるプログレッシヴロックとなっていると思える。

 アルバムはイタリアだけではなくヨーロッパでも高く評価され、この当時のイタリアンプログレッシヴロックの中でも屈指の人気作となったという。彼らは前作の構築美はそのままにアコースティック空間を活かし、翌年の1973年にリリースしたサードアルバム『自由への扉』で、その人気を確実なものとしている。しかし、イタリアの社会情勢が一変したことにより、バンコはコンサートはもとよりレコーディングもできない状況に陥ってしまう。そんな彼らに手を伸ばしてくれたのが、PFM(プレミアータ・フォルネリア・マルコーニ)の1973年のアルバム『幻の映像』で世界進出を企てて成功したマンティコアレーベルである。グレッグ・レイクが設立したマンティコアレーベルは、PFMの次なるイタリアの新進気鋭のプログレッシヴロックグループを探しており、バンコにに白羽が立ったのである。バンコは1975年に契約し、それまでのベスト選曲と新曲での英語ヴァージョンという構成で『イタリアの輝き~バンコ登場~』をリリースする。国内盤はもとより世界でも発売され、初の英米のツアーも行ったものの、セールスはPFMに到底及ばなかったという。このアルバムからゲストとして参加していたギタリストのロドルフォ・マルテーゼが正式にメンバーとなり、1976年に全曲インストゥメンタルで占めた『赤いカーネーション』、そして名盤と誉れ高い『最後の晩餐』をリリースしている。後にジェントル・ジャイアントと共に欧州ツアーに出て、それに合わせたドイツ盤による英語ヴァージョン『As In A Last Supper』が発売されている。1978年にはディスコブームの中、オーケストラと共演した『ディ・テッラ』、1979年にベーシストがジャンニ・コライアーコモに替わり、バンコの黄金時代の最後の傑作と言われたアルバム『春の歌』を発表。1980年代に入ると彼らはCBSレーベルに移籍し、プロデューサーのルイージ・マントヴァーニの影響からポップなスタイルとなっている。それでもバンコの人気は衰えておらず、1万人を収容できる有名なパラスポルトを満員にしていたという。CBSとの契約が切れた1980年代の後半からはライヴ活動を中心に行い、往年のファンの強い要望もあり、1994年にはヴィットリオ、ジャコモ、ロドルフォのオリジナルメンバーと、新たなリズム隊を加えた9年ぶりの新作『Il 13』を発表している。1997年と1998年に来日が実現し、その1997年のライヴを収録した『ヌード』をリリース。その後は各メンバーはセッションミュージシャンとして、マウロ・パガーニの新プロジェクト“インダコ”というグループにヴィットリオやジャコモ、ロドルフォの3人が参加しており、リック・ウェイクマンの1999年のアルバム『Stella Bianca Alla Corte Di Re Ferdinando』にもジャコモとロドルフォがゲスト参加をしている。


 皆さんこんにちはそしてこんばんわです。今回は1970年代初期のイタリアンプログレにおいて、イタリアや日本でも人気の高いバンコ・デル・ムトゥオ・ソッコルソ(通称バンコ)のセカンドアルバム『ダーウィン!』を紹介しました。バンコは多くの名盤を発表していますが、マンティコアレーベルに移籍する前の3枚のアルバムが初期の傑作とされています。その中でも本アルバムは地球上の生命の誕生と進化を描いたコンセプトアルバムとなっていて、ノチェンツィ兄弟のツインキーボードを主軸に作られた野心的ともいえる作品です。クラシックなピアノやオルガンとアグレッシヴなシンセサイザーを交互に使い分け、多彩な楽器を加えた変化に富んだダイナミックな展開を持ち味にしており、ジャズや古典的なクラシックといったジャンルを盛り込んだまさしく多様性のある楽曲になっていると思います。1曲目の『革命』のめぐるましい展開の中で歌う、優しくも力強いジャコモのファルセット・ヴォイスも素晴らしいですが、4曲目の『100の手と100の瞳』の緊迫感あふれるアンサンブルが非常に惹かれます。複雑な楽曲が多いですが、ハープシコードやクラリネットといった楽器を活用しているところから、やはり彼らは古典的な響きを好むイタリアのグループなんだなとしみじみ思った今日この頃です。

 

 さて、本アルバムはダーウィンの進化論をテーマにしたコンセプトアルバムですが、もう1つフランチェスコ・ディ・ジャコモの象徴する歌が際立っています。ジャコモによる心のこもった素晴らしい歌と歌詞には、性的欲求と自身の魅力、そして誘惑に対する疑いといった内面を掘り下げた強烈な内容になっていて、要するに私たちは類人猿だった時代から何ら変わっていないことを物語にしています。これは窮屈な都市社会への不快感を感じる若者たちを謳ったと言っても良いと思います。それが次のアルバムの『自由の扉』に収録されている2曲目の『Non Mi Rompete=私は壊れません』という楽曲と歌詞につながっています。彼らがイタリアで人気を誇っていたのは、楽曲だけではないイタリア社会を風刺にした歌詞の力があったからだと思っています。そんな歌詞をジャコモの素晴らしい歌声に乗せられては、まるで魔法をかけられたといっても過言ではないです。

 クラシックに根づいたキーボードプレイと変拍子を多用したリズムセクションとの融合という、イタリアンロックならではの形態としてすでに完成された前作から、さらにダイナミックな構成美となったのが本アルバムです。ぜひ、バンコの魅力が詰まった本作品をぜひ一度味わってみてくださいな。
 
それではまたっ!