【今日の1枚】Zingalé/Peace(平和への希求) | 古今東西プログレレビュー垂れ流し

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ロック(プログレ)を愛して止まない大バカ…もとい、音楽が日々の生活の糧となっているおっさんです。名盤からマニアックなアルバムまでチョイスして紹介!

Zingalé/Peace
ツインガーレ/平和への希求
1977年リリース

スリリングなジャズロックにピースフルな
歌声を交えた抒情派プログレの名盤

 中東イスラエルが生んだプログレッシヴロックグループ、ツインガーレが1977年にリリースした唯一作。2名のヴォーカリストを含む8人のメンバーからなるグループで、艶やかなヴァイオリンと美しいツインキーボードによるシンフォニック的な要素と畳みかけるようなジャズロック的な要素が絡み合い、そこに平和への願いを込めた抒情的なヴォーカルを湛えたクオリティの高い作品となっている。1973年に勃発した第4次中東戦争(ヨム・キプール戦争)によって、メンバーの何人かはその戦争に参加し、仲間や親戚を戦禍で失った辛い想いを経験したことから、世界平和を願った強いメッセージが込められている。ツインガーレは古くからイスラエルが生んだ幻のプログレッシヴグループとしてファンの間で認知されており、CDやレコードは未だ高値で取引されている。

 ツインガーレは中東イスラエルのテルアビブ地区の都市ラマト・ガンで、1974年に結成されたグループである。結成の動機は地元の学生だったヨナタン・スターン(ヴォーカル、12弦ストリングス)とデヴィッド・バチャール(ヴォーカル、ハーモニカ)が、陸軍のミュージシャンだったウディ・タミール(ベース)と出会ったことで、趣味だった音楽からステージで披露するプロのミュージシャンになりたいという願望からグループ結成に至っている。最初にヨナタンは、親友だったアディ・ワイス(キーボード、ピアノ)をウディに紹介し、ファーストアルバムのいくつかの曲を作成。後にイギリス人のトニー・ブロワー(ヴァイオリン)、イスラエルでプロとして活躍していたデヴィッド・シャナン(ドラムス)が加入し、グループとしての形を成していく。しかし、1年近くウディとアディの2人によって作成した曲で毎日リハーサルを行うも大きな進展はなく、地元の小さなバーで演奏を行うも反響も無く、メンバー間で少しずつ不満が募っていったという。そんな時、1973年に勃発した第4次中東戦争(ヨム・キプール戦争)で陸軍時代の戦友が死んだ知らせを聞いたウディは、戦争の愚かさや悲しさを何とか広めたいと思うようになり、「平和」のメッセージを込めた曲作りにシフトしている。無論、メンバーの何人かも家族が戦争に駆り出されたり、知り合いが戦死したりしたこともあって、すぐに共感を得たという。1975年にその楽曲を元にステージを行い、地元の小さなレコード会社であるハタクリットと契約して12インチのデビューシングル『パーティー・インサイド』をリリースする。しかし、軍の検閲によって市場から回収されるという憂き目に遭い、グループは一度は意気消沈するものの、それでも1976年までに2枚のシングルを立て続けにリリースしている。こうした彼らの果敢なる音楽活動に、戦禍で傷付き疲弊していた若者たちから絶大なる支持を受けるようになり、ツインガーレの名は一躍注目されるようになる。そして彼らの活躍と音楽を耳にしたスタジオエンジニアのデビッド・ローゼンタールは、ツインガーレの音楽プロデュースを申し入れ、自身が運営するコリノールのスタジオに招いている。ローゼンタールは彼らの音楽に厚みをもたらせるために、レコーディングにセッションミュージシャンであるダニー・ウェブ(シンセサイザー)、エフライム・バラク(ギター)を招聘させている。また、ローゼンタール自身もキーボードとパーカッションで参加し、将来は大手デッカレコードを見据えた英語歌詞によるワールドワイドな音楽作りを目指したという。こうして8人のメンバーからなるアルバムが完成し、1977年に『Peace~平和への希求~』がリリースされる。そのサウンドは艶やかなトニーのヴァイオリンとリリカルなアディのキーボードによるシンフォニック的な要素と、強靭なリズム隊によるジャズロック要素の2つのコントラストが映えた楽曲となっており、何よりもメンバーたちの平和への祈りに近いメッセージ性を込めた抒情的なヴォーカルが美しい傑作となっている。

★曲目★
01.Heroica (エロイカ)
02.Help This Lovely World(ヘルプ・ディス・ラヴリー・ワールド)
03.Carnival(謝肉祭)
04.Love Song(ラヴ・ソング)
05.7 Flowers Street(セブン・フラワーズ・ストリート)
06.One Minute Prayer(一分間の祈り)
07.Lonely Violin Crying For Peace(平和の為にむせび泣く孤独なヴァイオリン)
08.Stampede(スタンピード)
09.Soon The War Is Over(スーン・ザ・ウォー・イズ・オーヴァー)
★ボーナストラック★
10.Why Didn't I Win The Lottery(どうしてクジに当たらないの)
11.Everything Will Be OK(どうにかなるさ)
12.Genesis(創世記)
13.Good To Be Together(共に暮らせたら)
14.Party Inside(パーティー・インサイド)
15.Green Scooter On The Way To Asia(アジアへの向かう緑のスクーター)

 アルバムの1曲目の『エロイカ』は、華麗なエレクトリックピアノを含むツインキーボードとヴァイオリンによるシンフォニック性の高いインストゥメンタル曲。バックの手数の多いドラミングが非常にジャズっぽく、イタリアのアルティ・エ・メスティエリにも通じるダイナミックなサウンドになっている。2曲目の『ヘルプ・ディス・ラヴリー・ワールド』は、柔らかなエレクトリックピアノとヴァイオリンをバックに抒情的に歌うヴォーカルが印象的な楽曲。まさに「ラヴ&ピース」を歌ったものであり、英国然にも似た牧歌的で優しい世界を描いている。3曲目の『謝肉祭』は、スパニッシュ風のエキゾチックなギターとまさに宴のように弾きまくるヴァイオリンとキーボードが陽気な雰囲気を作り上げた楽曲。ジャズロック的なアプローチと入れ代わり立ち代わり楽器が奏られるスタイルが躍動感にあふれており、抑圧されたフラストレーションを楽曲に乗せたかのような錯覚に陥る。4曲目の『ラヴ・ソング』は、高らかなピアノやキーボードの伴奏と美しいヴァイオリンと変拍子のあるリズムで構成されたサイケデリック要素のあるヴォーカル曲。転調の多い楽曲でありながら、後半の伸びのあるヴォーカルとロングトーンのギターが抒情的であり、他に類を見ない独特ともいえる展開が素晴らしい。5曲目の『セブン・フラワーズ・ストリート』は、ストリングスとギターの調べによるアコースティカルで優しい雰囲気に包まれた楽曲。曲中でいたいけな子供の声が収録されており、彼らの願う平和な世界を描いている。6曲目の『1分間の祈り』は、テープを逆回転させたような曲に牧歌的ともいえるメロディを乗せた、実験性のある1分間の楽曲。断続的なヴォーカルがまるで神に訴えるようなイメージがある。7曲目の『平和の為にむせび泣く孤独なヴァイオリン』は、ヒステリックに近いヴァイオリンをメインにした楽曲であり、バックはパーカッションとベース音、そして流麗なエレクトリックピアノを擁したジャズ要素の強い展開となっている。8曲目の『スタンピード』は、テクニカルなドラミングソロから始まり、ベース、ギター、ストリングスが加わってシンフォニック的なアンサンブルとなった途端、エレクトリックピアノ、ヴァイオリンを交互に切り込むスピーディーで技巧的なジャズロックとなる。後半はゆったりとした雄大なサウンドになり、緩急を織り交ぜた構成美の妙が味わえる楽曲になっている。9曲目の『スーン・ザ・ウォー・イズ・オーヴァー』は、アコースティックギターとピアノをメインにしたヴォーカル曲。後にエレクトリックピアノとヴァイオリン加わった力強いヴォーカルと優しい雰囲気に包まれた楽曲が交互に展開され、その感情的ともいえる複雑な楽曲は、彼らの戦争に対する深い怒りと悲しみを表現しているようである。ボーナストラックの『どうしてクジに当たらないの』と『どうにかなるさ』は結成当初の曲目であり、録音状態は悪いが英国を意識したブルージーでノスタルジックな作風だったことが分かる。『創世記』、『共に暮らせたら』、『パーティー・インサイド』、『アジアへの向かう緑のスクーター』は、1976年から1977年頃にかけて地元の小さなレコード会社であるハタクリットと契約して発表した楽曲。ヘブライ語で吹き込み、これらを地元の放送局に送るなどをしていたが、後に世界進出を夢見て英語歌詞のスタイルに変えた本アルバムをリリースしていくことになる。こうしてアルバムを通して聴いてみると、テクニカルな「攻め」からアコースティックな「癒し」までの演奏があり、彼らが見聞きした幅広い音楽を独特の手法で昇華させていると感じる。イタリアのアルティ・エ・メスティエリやイギリスのヴァン・ダー・グラーフ・ジェネレイター、ジェントル・ジャイアントに影響されたかのような畳みかけや急旋回なサウンドもあるが、メロディは至ってロマンティックである。これはヴァイオリン奏者のトニー・ブロワーとキーボード奏者のアディ・ワイスの存在が大きく、彼らの奏法ひとつでジャズにもアコースティックにもクラシックにも変化させるテクニックに他ならない。

 アルバムリリース後、大手デッカレコードと契約を結ぶためにヨーロッパツアーの計画も考えていたというが、残念ながら実現はしていない。本アルバムはイスラエルの小さなレコード会社であるハタクリットを通じて数百枚だけ限定プレスされたという。しかし、彼らのアルバムに込めた平和への願いもむなしく、1970年代後半のイスラエルの多くのロックグループがそうだったように、軍当局の理不尽な弾圧によって発売中止や市場回収という憂き目に遭っている。それでも彼らは軍当局の目を盗みながら、3年近くライヴを中心に活動を続けてグループの温存を図っている。特に地元の音楽シーンでの地位を確立するためにヘブライ語に焦点を当て、3曲のヘブライ語のトラックを録音してイスラエルのFMラジオで放送するなどをしたが、国内の小さな市場ではグループを維持することが難しくなり、1981年初頭に自然消滅に近い形で解散している。ヨナタン・スターンとウディ・タミールは敬虔なユダヤ教徒となり、タミールは地元のラジオ局で働きつつ作曲を手掛けるミュージシャンになっている。また、エフライム・バラクは小さな村に自分の録音スタジオを建設。彼はスタジオミュージシャンとして活躍し、その後は妻と一緒にゲストハウスを経営している。さらにデビッド・シャナンは養蜂家になるなど、解散後のメンバーはそれぞれの道を歩んでいったが、デヴィッド・バチャールは重度の薬物中毒と戦後のトラウマの影響で自殺をしている。

 グループが解散して数年後、1986年にツインガーレが海外コレクター経由でマーキー誌に取り上げられ、レコードのオリジナル原盤は高額なプレミアムを呼び、プログレッシヴロックファンの間で伝説のアルバムとなる。1993年にCD化したことでそのクオリティの高い演奏が話題となり、2002年には廃盤となっていたレコードが再リリースしている。その機運に乗じて2006年頃に、ウディ・タミールとエフライム・バラク、そして新たなドラマーを迎えた新生ツインガーレが復活し、2008年に実に32年ぶりとなるセカンドアルバム『The Bright Side』をリリースしている。そのアルバムは広がりのあるキーボードと流麗なギターによる美旋律あふれる絶品のシンフォニックサウンドになっており、1977年当時と変わらずに英語歌詞で愛や平和を歌った意欲的な作品となっている。


 

 皆さんこんにちはそしてこんばんわです。今回はイスラエルの伝説的なグループと言われたツインガーレの唯一作『平和への希求』を紹介しました。このアルバムはレコードでは見かけたことはありませんが、1993年にはイスラエルの中古楽器店、および輸入と流通を担ってきたThird Earという音楽レーベルの中古CDを1990年代後半で手に入れています。この頃から1970年代のプログレッシヴロックがCDリイシュー化されて、徐々にプログレッシヴファンが広がっていった時期で、私もハードロックやメタルを聴きつつもその流れに乗った1人です。ツインガーレといえば装飾品を身にまとった祈祷師のような男がハシシ(大麻)、もしくはマリファナを吸いながらこちらを見つめたアルバムジャケットが印象的で、どこか暗鬱とさせていて一度見たら忘れられないほどのインパクトがあります。しかし、後にメンバーだったトニー・ブロワーがインタビューで「アルバムのカヴァーアートはこれまで最も醜いものだった」と語っているほど不満があったそうです。確かに平和や希望、祈りをテーマにしたアルバムにしては少し乖離していて、ジャケットのイメージから楽曲を聴くと、その曲想とメロディに思わず面を食らってしまいます。こんなに素晴らしい楽曲なのに、ジャケットイメージで損をしている典型的なアルバムと言っても良いと思います。

 さて、本アルバムは中東イスラエルが生んだとは到底思えないほど、スリリングでありながらドラマティックな楽曲になっています。アディ・ワイスのピアノやキーボード、そしてトニー・ブロワーのヴァイオリンが変幻自在であり、彼らの腕前ひとつでクラシカルにもジャズにも通じたアンサンブルになっているのが特徴とも言えます。ワールドワイドを狙った英語歌詞による抒情的なヴォーカルや手数の多いドラミングも一役買っており、世界中のプログレファンを驚嘆させたそのポテンシャルの高い演奏は、決して古さを感じさせない強靭さがあります。そんな時代に翻弄されながらも奇跡的に残した本アルバムは絶品の一言です。ジェントル・ジャイアントやイタリアのアルティ・エ・メスティエリ好きな方は、ぜひ、聴いてほしいアルバムです。

それではまたっ!