【今日の1枚】Asia Minor/Between Flesh And Divine | 古今東西プログレレビュー垂れ流し

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Asia Minor/Between Flesh And Divine
アジア・ミノール/ビトウィーン・フレッシュ・アンド・ディヴァイン
1980年リリース

神秘的でメランコリックなサウンドが際立った
技巧派フレンチ・シンフォニックロック

 トルコ系フランス人を含むメンバーで結成されたアジア・ミノールのセカンドアルバム。そのサウンドは美しいシンセサイザーとフルートによる、キャメルを思わせるような叙情性と優雅さを兼ねそろえたシンフォニックロックとなっている。リズムやアンサンブル、曲構成のどれをとってもパターンの踏襲がまったくなく、メロディアスでありながら技巧的な演奏が冴え渡っており、近年、再評価されている傑作である。

 アジア・ミノールは歴史をさかのぼること1971年に、トルコの旧都であるイスタンブールの聖ジョセフカレッジのハイスクールに通う3人の学生の出会いから始まる。そのうちアジア・ミノールのメンバーとなるEril Tekeli(ギター、フルート)、Setrak Bakirel(ギター、ヴォーカル)の2人と、同じ学内のドラマーと組んでジャズロックを演奏するトリオグループを結成。彼らは同年にトルコ全土から250組のハイスクールバンドが参加したコンテストにおいて、作曲賞と演奏技術賞の2つを獲得する快挙を成し遂げている。1973年にEril TekeliとSetrak Bakirelの2人はフランスのパリに渡り、パンテオン・ソルボンヌ大学に入学して建築学の学業と音楽生活を始めることになる。1974年に2人はLAYLAというグループを結成。フランス南東部のグルノーブルに移住していたハイスクール時代のドラマーを加えてデモ用のレコーディングを行い、1975年にはベーシストを加えた4人編成となてからグループとして初のコンサートを行っている。彼らはその年に多くのライヴ活動を経てステージ経験を得たが、1976年にベーシストが学業のために交代したのを機にグループ名をアジア・ミノール・プロセスとしている。今度は1977年にハイスクール時代から共にしてきたドラマーが脱退。残ったメンバーは改めてオーディションを行い、当時若干16歳のLionel Beltramiが選ばれて加入する。こうして新たに加わったことで、グループ名を正式にアジア・ミノールとしている。

 彼らは早速、デビューアルバム用のデモレコーディングを開始し、ドラマーのLionel Beltramiの提案により、GRIMEというグループのメンバーであるNicolas Vicenteをキーボード奏者に協力を仰ぎ、タイ・フォンのホームスタジオで3曲のデモトラックにキーボードを加えた楽曲を録音している。デモ用のレコーディングの合間に行っていたライヴステージが好評となり、一時はCBSレコードと契約寸前に至ったが実現せず、結局、両親や友人の資金援助を受けたセルフリリースを選んでいる。しかし、このセルフリリースの選択でベーシストが脱退してしまい、ベース不在のままレコーディングを行っている。このレコーディングの際には、GRIMEのキーボード奏者のNicolas Vicenteも全面的に協力し、1979年4月にデビューアルバムとなる『クロッシング・ザ・ライン』がリリースされる。このアルバムはフランスらしい悲哀感とエキゾチズムに満ちた神秘的なサウンドとなっており、今ではフレンチシンフォニックロックの代表格ともいえる1枚となっている。しかし、当時ではプレス枚数は1,000枚ほどで、プロモーション用に400枚、コンサート会場で300枚を売り、残りをレコードショップに細々と置いてもらうような有様だったという。デビューアルバムのリリース後に、Robert Kemplerというベーシストを加入させる。実はこのRobert Kemplerというベーシストは、先のドラマーのLionel Beltramiが選ばれたオーディションに姿を見せたアーティストである。その時はキーボード奏者として受けていたが、採用は見送られている。彼はドラマーのLionel Beltramiと同じく元アトランティスというグループに所属しており、Lionelとは隣家の幼なじみである。彼はLionelから声をかけられたことで正式にメンバーとなっている。そして1980年にはもう1人、専任のキーボーディストも迎え入れる。この5人のメンバーでコンサートをはじめとするラジオやテレビといったプロモーション活動を行い、グループの知名度も高まっていったという。今度こそレコード会社の良い返事を待っていたが、迎え入れたキーボード奏者が脱退。結局、レコード会社から色よい返事はもらえず、グループは再度、両親や知人を頼りに資金を集めて、次なるアルバムのレコーディングを行うことになる。この時、ベーシストとして加入したRobert Kemplerが、幼少期よりピアノのレッスンを受けていたことで、キーボード兼ベーシストとして演奏することになる。こうした中でレコーディングを行い、1980年12月にセカンドアルバムとなる『ビトウィーン・フレッシュ・アンド・ディヴァイン』がリリースされる。

★曲目★
01.Nightwind(夜風)
02.Northern Lights(北の煌めき)
03.Boundless(無限)
04.Dedicace(奉献)
05.Lost In A Dream Yell(夢の叫びの中で)
06.Dreadful Memories(恐ろしき思い出)

 改めてメンバーは、Setrak Bakirel(ヴォーカル、ギター、ベース)、Lionel Beltrami(ドラムス、パーカッション)、Robert Kempler(キーボード、ベース)、Eril Tekeli(ギター、フルート)である。アルバムの曲は2人のギタリストが制作している。1曲目の『夜風』は、シリアスなベース音からシンセサイザーが加わり、次第にテクニカルなアンサンブルに変貌していく。そして柔らかいフルートの音色に導かれるように静かなギター上で歌うヴォーカルが美しくも儚い曲になっている。後半は激情ともいえる変拍子を交えたドラミングとギターで盛り上げている。2曲目の『北の煌めき』は、美しいキーボード上で切なく奏でるフルートを中心とした曲。途中から銅鑼の音から、ギターと手数の多いドラミングと相まったヘヴィな展開となる。再び優しいキーボードとなり、変拍子を交えたアンサンブル上で歌うヴォーカルが官能的である。ギターにどこか異国的な情緒があり、まるで広い砂漠をイメージするような感覚に陥る。3曲目の『無限』は、美しいキーボードとギターに乗せてしっとりと歌い上げるヴォーカルが印象的な曲。この曲では2人のギターによるアンサンブルが素晴らしく、穏やかなフレーズの中に情熱的ともいえるギターの音色が綴られている。4曲目の『奉献』は、力強いフルートの音色とドラミングを中心にした楽曲になっており、途中から変拍子を交えたシンセサイザーとギターのテクニカルなアンサンブルに切り替わっていく。ヴォーカルを加えた静と動の曲展開が見事であり、最後までスリリングな演奏を披露してくれる。5曲目の『夢の叫びの中で』は、雷雨の効果音から始まり、雨音と緩やかなシンセサイザー、そして静かなギターに乗せて歌うヴォーカルがロマンティックである。後半では本アルバムの中で、もっともリリカルなフルートの音色を聴かせてくれる。6曲目の『恐ろしき思い出』は、ダークな雰囲気のギターフレーズとヘヴィなドラムで始まり、重いシンセサイザーが重なり、一気に緊張感のあるアンサンブルになる。最後には不気味なノイジー音で幕を下ろしている。こうしてアルバムを通して聴いてみると、アルバムの楽曲のモチーフになっているのは、歌詞や曲調からして「夜」、または「暗闇」だろうと思われる。それでも単にダークなイメージで終始しているわけではなく、美しいフルートの音色からして、一筋の光を見出そうとするグループの希望が見え隠れしている。まるで月に照らされた夜の砂漠を歩いているようであり、そんな美しくも儚い幻想美を描いているのがアジア・ミノールの大きな魅力と言える。

 本アルバムは最後の頼みの綱として、プライベート・ステーションにプッシュしたことで、小規模なオン・エアに成功する。そこでサファリ・アンビエンスのレーベルのディレクターが目をつけ、1981年9月よりディストリビューションすることになったが、売れ行きは芳しくなかったという。失意に暮れていたメンバーだったが、イギリスの有名なユーロロック専門ショップのオーナーであるアンディ・ガルバルディが、偶然フランスに訪れていた際にアジア・ミノールのアルバムを聴いて興味を持ち、1981年末に諸外国に向けたディストリビューションを行う話を持ちかけられる。アンディの手でディストリビューションしたことにより、イギリス、カナダ、日本で紹介され、相応のセールスを記録。本セカンドアルバムは3回のプレスがあったとされている。しかし、この良好な状況も時すでに遅く、1982年に行ったコンサートを最後にグループは解散することになる。解散後のメンバーはバラバラになってしまったが、1983年以降もそれぞれ曲作りは続けていたらしく、いつかは再結成を考えていたという。やがて1991年を迎えた時、Setrak BakirelとLionel Beltrami、Robert Kemplerのオリジナルメンバーと、ギタリスト兼キーボード奏者のMichel Rousseauを新たに加えた4人によるアジア・ミノールを再結成し、ライヴ活動を開始している。そしてセカンドアルバムから40年という長い歳月を経た2020年に、3枚目のアルバム『ポインツ・オヴ・ライヴレイション』のリリースを果たしている。

 

 皆さんこんにちはそしてこんばんわです。今回はフランスにおいてポンプロック以前の旧世代シンフォニックロックシーンの最後のグループと呼ばれているアジア・ミノールのセカンドアルバム『ビトウィーン・フレッシュ・アンド・ディヴァイン』を紹介しました。「静寂の美」とも言われるリリカルなギターとフルート、そして情感的なヴォーカルが何ともいえない美しさと儚さがある一方で、変拍子を交えたテクニカルな演奏があるなど、楽曲における静と動を見事に描いたアルバムです。とにかくリズムやギター、キーボードのバリエーションが豊かで、どこか憂いのあるエキゾチックな雰囲気のある楽曲が、これまでのシンフォニックロックとは一線を画していると思います。専任ベーシストがいないとは到底聴いただけでは分からず、複数の楽器を持ち替えて演奏する各メンバーの技量には、ただただ感服です。

 さて、本アルバムは1980年リリースですが、1981年リリースとされている表記もあります。理由は上記でもありますようにディストリビューションされて日本に入ってきた時が1981年だったからです。この1980年前後はプログレッシヴロック史上もっとも不毛の時代と呼ばれていて、パンクから始まりテクノやニューウェーヴが音楽シーンを席巻していた頃です。プログレを標榜していた多くのロックグループが悲惨な目に遭い、アジア・ミノールもそのグループの1つとして数えられています。マリリオンが成功したことによるポンプロックの出現が1982年以降で、しかもプログレッシヴロックを専門とするフランスのムゼア・レーベルが誕生するのが1986年です。あと4、5年待てばアジア・ミノールなどのシンフォニックなロックを受け入れられるレーベルがあったということになります。リリースした時期が悪かったとしか言えませんが、それでも日本をはじめとする一部のヨーロッパや北米で売れたということは、当時潜在的にプログレが好きな人たちが多くいたということでもあります。

 本アルバムは変拍子のあるリズムとメリハリのある曲調の中で、リリシズムなフルートとギター、そしてキーボードが美しくロマンティックな作品です。旧世代のシンフォニックロックを受け継いだ独特なサウンドを、ぜひ聴いてみてほしいです。

それではまたっ!