【今日の1枚】Bo Hansson/Magician's Hat(魔法使いの帽子) | 古今東西プログレレビュー垂れ流し

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Bo Hansson/Magician's Hat
ボ・ハンソン/魔法使いの帽子
1972年リリース

ハモンドオルガンの可能性を追求し、
ファンタジックな夢想世界へ誘う名盤

 後にニューエイジ・ミュージックやフュージョンに影響を与えるスウェーデンのマルチミュージシャン、ボ・ハンソンのセカンドソロアルバム。前作のトールキンの小説『指輪物語』をモチーフとしたデビューアルバムに続く、フェアリー・テール・トリロジーの第2弾である。そのサウンドはハモンドオルガンを中心にメロトロンやシンセサイザーを駆使し、多彩なジャンルが盛り込まれたファンタジック性の強い楽曲になっている。現在でもファット・ジョーを筆頭にヒップホップのアーティスト達によってサンプリングされるなど、世代を越えて愛され続ける名盤である。

 ボ・ハンソンは1943年の4月10日にスウェーデンの南部の都市イエテポリで、レストランを経営する両親の元に生まれている。幼少期は北部のイェムトランドという小さな村に住む親戚に預けられて過ごし、後にストックホルムに移住した両親の元に上京している。この時、彼は急成長してきたロックに目覚め、スウェーデンの最初のロックグループとされるロック・オルガに参加。後に音楽シーンはロックからジャズやブルースに移行しはじめたの機に“スリム”ノティニーズ・ブルース・ギャングに加入するなどを経て、彼自身のブルース・グループであるザ・メリーメンを結成している。ザ・メリーメンはローリング・ストーンズのスカンジナビアツアーをサポートするなど知名度を上げ、ポリドールから2枚のシングルと1枚のフレキシ・ディスクをリリースしている。意気揚々と活動していたボ・ハンソンだったが、彼の音楽人生を一変させる出来事が起こる。それはストックホルムで有名なクラブ、ゴールデン・サークルでアメリカのジャズオルガン奏者のジャック・マクダフのプレイに魅了してしまい、彼は新たに音楽的な幅を広げるために自ら結成したザ・メリーメンを解散させている。ポリドールのA&Rのプロデューサーだったビル・エールシュトレムは、ボ・ハンソンの新たな活動に対して後押しする形で、ジャズ系ドラマーのヤンネ・カールソンを紹介し、彼にはハモンドオルガンを与えている。ハンソンとカールソンの2人は意気投合し、ポリドールと契約して1967年からデュオ・グループ、ハンソン&カールソンとして活動を開始する。彼らはアートロックを先取りしたアルバム『モニュメント』を発表。1968年には『レックス』、1969年に『マン・アット・ザ・ムーン』と立て続けにアルバムをリリースし、スウェーデンのみならずヨーロッパでも人気を高めていったという。その評判はジミ・ヘンドリックスの耳にまで届き、クリームやジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンスのサポートアクトを務めるようになる。しかし、1969年頃にヤンネ・カールソンはコメディアンやTV司会者として成功したことで音楽活動から離れ、ハンソン&カールソンはパートナーシップを解消することになる。

 ハンソン&カールソン解散後のボ・ハンソンは、時間を持て余していた折、偶然ガールフレンドが手にしていたJ.R.R.トールキンの『指輪物語』の本に巡り会う。本を読んだハンソンは、その物語の深遠さに魅了され、すぐさま不在だった友人のアパートに引っ越して本の音楽的解釈に取り組みながら曲を描きはじめる。しかし、デモ制作を行ったときに騒音問題でアパートを退去させられ、ストックホルム群島のひとつの島にある小屋に引っ越している。その小屋にこもって生活しつつ、知り合いの協力を得ながら間に合わせの小さなレコーディングスタジオを作ったという。その時にかつてハンソン&カールソン時代に共にプレイしていたパーカッション奏者のルーン・カールソンや後にサイレンス・レーベルの創始者となるエンジニアのアンデシュ・リンドと共に4トラックのレコーダーで録音している。この録音された楽曲はソロデビューアルバムの一部に使用されている。後にリンドはスウェーデンの国営ラジオ放送局でしか使用されていなかった8トラックレコーダーを“買うための試供”と偽って借り受け、ストックホルムのデシベル・スタジオで楽曲の録音に成功。さらに、リンドはレコーディング時にセッションミュージシャンでサックス奏者のグンナール・ベリスティーン、フルート奏者のステン・ベルイマンを参加させている。資金援助が少なかったため、ハンソンはオルガンとムーヴ・シンセサイザー以外にギターとベースを兼ねて演奏していたという。こうしてアンデシュ・リンドが創設したサイレンス・レーベルの最初の作品として、ボ・ハンソンのデビューアルバムとなる『Sagan Om Ringen(指輪物語)』が1970年12月にリリースされる。アルバムはスウェーデンの国営ラジオ放送局のスヴェリエ・ラジオでヘヴィーローテーションされたこともあり、大ヒットを記録する。この成功を受けてセカンドアルバムの制作に取り掛かり、再度ストックホルム群島の小屋に戻ってアルバム用のマテリアルを作曲している。レコーディング・セッションは前作と同じデシベル・スタジオで行われ、デビューアルバムとほぼ同じメンバーが参加している。メンバーはボ・ハンソン(オルガン、ギター、ベース、シンセサイザー、メロトロン)、ルーン・カールソン(ドラムス)、グンナール・ベリスティーン(サックス、フルート)、ステン・ベルイマン(フルート)、ボボ・ステンソン(エレクトリックピアノ)、ウーベ・グスタフソン(ベース)、ペレ・エクマン(ドラムス)、イェラン・フリーズ(サックス)、ビル・エールシュトレム(コンガ)であり、さらに北欧を代表するサイケデリックフォークグループ、ケブネカイゼのロルフ・シュラー(ギター)、ケニー・ホカンソン(エレクトリックギター)が参加している。1972年の暮れにリリースされたセカンドソロアルバム『Ur Trollkarlens Hatt(魔法使いの帽子)』は、前作よりもジャズテイストの強い作風になり、1970年代の北欧特有の夢想感とサイケデリックさが漂う、独特のサウンドを醸成した画期的な作品となっている。

★曲目★
01.Big City~Full Version~(大きな街~フル・ヴァージョン~)
02.Divided Reality(共有の現実)
03.Elidor(エリダー)
04.Before The Rain(雨が降る前に)
05.Fylke(シャイア)
06.Playing Downhill Into The Downs(急滑降)
07.Findhorn's Song(フィンドホーンの歌)
08.The Awakening(目覚め)
09.Wandering Song(放浪の唄)
10.The Sun~Parallel Or 90 Degress~(太陽~平行あるいは90度~)
11.Excursion With Complication(困難な遠出)
★ボーナストラック★
12.Big City~Original Version~(大きな街~オリジナル・ヴァージョン~)
13.Waltz At Dawn(夜明けのワルツ)

 アルバムの1曲目の『大きな街』は11分以上の大曲になっており、ジャズへの傾倒が色濃く表れた内容になっている。なだらかなアンサンブルから中盤ではスリリングなサックスを中心としたダイナミックな演奏に変化している。レコード時代の収録時間の関係でカットされていた部分がCDで完全再現されており、フルヴァージョンで聴くことができる。2曲目の『共有の現実』は、英国カリスマ盤のみ収録されたもので、2本のアコースティックギターを利用したウエスタン風の楽曲になっている。3曲目の『エリダー』は、アラン・ガーナーが1965年に書いたファンタジー小説「エリダー」を題材にしており、フルートを前面に押し出したドリーミーな楽曲になっている。4曲目の『雨が降る前に』は、フルートとサックスを中心とした楽曲になっており、バックではオルガンやエレクトリックピアノが繊細に奏でられ、ノスタルジックな雰囲気を醸成している。5曲目の『シャイア』は、「指輪物語」をテーマとした曲であり、叙情的なフルートとアコースティックギターを中心としたアンサンブルとなっている。6曲目の『急滑降』も「指輪物語」をテーマとした曲である。短い曲であるが繊細なパーカッション上で奏でるサックスの音色が味わい深い。7曲目の『フィンドホーンの歌』は、サイケデリック風のイントロからシンセサイザーを駆使したミステリアスな曲になっている。8曲目の『目覚め』は、エレクトリックピアノとギターを中心にインプロゼーション的なアプローチのある楽曲。抑揚のある展開があり、アルバムの中でも多彩な楽器による重厚なサウンドになっている。9曲目の『放浪の唄』は、リリカルなキーボードとギター、そしてパーカッションによる独特の空気感の醸成したフュージョン的な楽曲になっている。10曲目の『太陽~平行あるいは90度~』は、パーカッションのリズムに合わせて奏でられるエレクトリックピアノがジャズフュージョン的な印象を与える楽曲。エレクトリックピアノはボボ・ステンソンが演奏しており、ギターはケニー・ホカンソンである。11曲目の『困難な遠出』は、複数のキーボードとパーカッションによる複雑な展開のある楽曲。途中からサックスを中心としたアンサンブルに切り替わり、比較的に陽気な雰囲気で幕を閉じている。ボーナストラックの『夜明けのワルツ』は、2002年の再発CDで初めて収録された曲。叙情的なギターとキーボードがまさに夢想的な雰囲気を作り上げている。こうしてアルバムを通して聴いてみるとジャズテイストの強い繊細なパーカッションとギター、サックスが目立つものの、ハンソンの弾くキーボードは楽曲の世界観を醸成する役割を担っている。キーボード奏者特有のパフォーマンスはほとんど無いが、静と動の「静」の部分を非常に大事にしており、良く聴くと繊細なフレーズが散りばめられている。熱烈なモダンジャズのファンだったボ・ハンソンが、自分なりに新たなジャズエッセンスのあるサウンドを構築しようとしていたことが良く分かる。

 アルバムは音楽評論家のあいだで高く評価され、特にイギリスで賞賛されたという。しかし、前作と同様の音楽性とポテンシャルを持ったアルバムだったが、売り上げには今ひとつ結びつかなかったとされている。イギリスやアメリカではチャートインすらしなかったが、スウェーデンではボ・ハンソンの人気は高まり、後に大規模な国内ツアーが計画される。ドイツでもフェスティバルの出演の要請を受けていたが、ツアーを行う動機が無いという理由からオファーを断っている。彼は孤独を好んだためかほとんど表に出ることなく、しばらく隠遁生活を続けていたが、ファンの後押しもあって再度デシベル・スタジオに入り、1973年に3枚目のアルバム『屋根裏部屋の夢想』がリリースされる。英国カリスマレコードでは1975年にリリースされており、ムーヴ・シンセサイザーを導入したまさに夢想感が漂う傑作となっている。3年後の1976年にはインスピレーションの元となったリチャード・アダムズ著「ウォーターシップダウンのうさぎたち」を題材にしたアルバムを発表し、その牧歌的なサウンドで小説世界を描ききっている。しかし、スウェーデンのみならず、世界的に優れたアーティストだったが、チャートでの不振が彼を失望させてしまうことになる。しばらくは友人たちとセッションを行い、新たな曲を作っていたが、1985年の『Mitt I Livet』というシングルを最後に音楽界から姿を消してしまう。その後はドラッグや酒に溺れたらしく、闘病を経て路上生活をしている噂が流れるほど低迷していたらしいが、近年になってDJらに再評価されて復活。ハンソン&カールソンの再編ライヴが行われ、若手アーティストとのコラボが実現するなど、2000年代になってようやく活動の兆しが見え始める。しかし、再び病気を患い、残念ながらボ・ハンソンは2010年4月24日に永眠している。享年67歳である。彼が残したアルバムのシリーズはフェアリー・テール・トリロジーとして、国境やジャンルを越えて今でも愛され続けている。

 

 皆さんこんにちはそしてこんばんわです。今回はスウェーデンのキーボード奏者であり、マルチプレイヤーであるボ・ハンソンのセカンドソロアルバム『魔法使いの帽子』を紹介しました。このアルバムは再発した紙ジャケ盤で手に入れたものですが、他に同スカンジナビアシリーズとしてフィンランドのタブラ・ラサのアルバムもこの時に入手した記憶があります。サウンドはジャズテイストでありながら、フォーク的であり、随所でハモンドオルガンやムーヴシンセサイザーを奏でた独創的な曲になっています。トールキンの『指輪物語』やアラン・ガーナーの『エルダー』の物語をコンセプトにしているためか、非常にドリーミーでファンタジックなサウンドになっています。上にも書きましたが、静と動の「静」の部分を非常に大事にしているので、繊細なパーカッション上で鳴り響くアコースティックギターやフルートがことさら心地よく、これを夢想感というのであればちょっとした新感覚です。ちなみに曲順がリリースした国によって変わっているそうで、2曲目の『共有の現実』は本来、最後の曲だったそうです。

 さて、スウェーデンでは名アーティストとして名高いボ・ハンソンですが、別名、孤高のキーボーディストと呼ばれています。それはライヴをあまりせず、1人でいることを好んだそうで、ストックホルムの小さな島に住居兼スタジオを構えてこもるように曲作りをしていたところから来ています。ジャケットの裏には森の中で彼がオルガンを1人で弾いている写真があまりにも象徴的です。幼少期に両親と離れて森のある小さな村で過ごした経験が大きかったためと言われていますが、喧騒を好まない作家やアーティストにはよくあることです。しかし、そんな孤独を愛する彼をほっとけない周囲の人たちも多かったわけで、彼がアルバム制作に取り掛かろうとすると、サイレント・レーベルの創設者であるアンデシュ・リンドは、必要な機材を小島にある彼のスタジオに運んでいます。また、彼は当時スウェーデン内で1台しかなかった8トラックレコーダーが国営ラジオ放送局にありましたが、「購入する前に試供したい」という理由でそこの録音室を押さえるという暴挙?でアルバムのレコーディングを果たしています。もう1人、元ザ・メリーメンのバンドメイトだったビル・エールシュトレムは後にA&Rのプロデューサーとなり、彼にハモンドオルガンを所持するように勧めて、分割払いの保証人になっています。さらにビルに関してはボ・ハンソンの目指す音楽に合った新たなミュージシャンを探し回り、ヤンネ・カールソンを引き合わせ、後に2人はハンソン&カールソンとして活躍することになります。ボ・ハンソンがアーティストとして生き続けられた裏には、そんな音楽の才能以上にかけがえのない友人たちや周囲の人たちの助けがあったわけです。レコーディングセッションとはいえ、10人近くのメンバーやゲストが小島のコテージに集まっているところをみると、彼に何か惹かれるものがあったのかな~と思ってしまいます。

 そんな彼の北欧特有の哀愁のメロディとハーモニーに、サイケデリックなオルガンやシンセサイザー、ジャズ的な管楽器、パーカッションをフィーチャーした独特なサウンドは、才能以上にハンソンの人間味があふれているように感じます。

それではまたっ!