【今日の1枚】I Pooh/Opera Prima(イ・プー/オペラ・プリマ) | 古今東西プログレレビュー垂れ流し

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ロック(プログレ)を愛して止まない大バカ…もとい、音楽が日々の生活の糧となっているおっさんです。名盤からマニアックなアルバムまでチョイスして紹介!

I Pooh/Opera Prima
イ・プー/オペラ・プリマ
1971年リリース

壮大なオーケストラとポップセンスによる
至上の愛を歌った究極のアルバム

 50年近く経った今でもイタリアで絶大な人気を誇るイ・プーが、1971年にCBSシュガーからメジャーデビューした4枚目のアルバム。プロデューサーにラヴ・ロックの仕掛け人であるジャンカルロ・ルカリエッロを迎えて、ビートグループだったイ・プーが壮大なオーケストラを導入した記念碑的作品である。絶妙なコーラスワーク、親しみやすいメロディといったイ・プーの普遍的なポップセンスにオーケストラアレンジを施した華麗なるサウンドは、イタリアンロックの王道を指し示した名盤となっている。

 イ・プーはイタリア北部の都市ボローニャで、1966年に結成されている。メンバーはヴァレリオ・ネグレーニ(ドラムス)、マウロ・ベルトーリ(ギター)、マリオ・ゴレッティ(ギター)、ジルベルト・ファッジョーリ(ベース)、そしてイギリス人のロバート・ギロット(キーボード)の5人で、当初ビートグループだったジャガーズから“くまのプーさん”から名前を取ったイ・プーとグループ名に変えている。彼らはミラノにあるマイナー・レーベルのヴェデッテから、英国のナンバー1のヒット曲『キープ・オン・ランニング』のイタリア語ヴァージョンであるシングル『Vient Fuori』でデビューしている。後にロバート・ギロットがイギリスに帰国したため、代わりにピエールフリッポ・エ・レ・コバンのメンバーとしてボローニャに来ていたロビー・ファッキネンティが加入する。このメンバーで1964年に全米でナンバー1となったフォー・シーズンズの『悲しきラヴドール』のイタリア語ヴァージョン『Quello Che Non Sai』をリリースするが、後にジルベルト・ファッジョーリが脱退。代わりにスレンダーズに在籍していたリッカルド・フォッリがメンバーとなる。テロ事件を扱った曲『Brennero 66』を発表した後に、RCAが中心となって1966年9月にローマで行われたアンチ・サンレモ音楽祭の“バラのフェスティバル”に参加して、イタリア国内でイ・プーの名が知られるようになる。やがてこれまでのカヴァーシングルを集めたファーストアルバムとなる『Per Quelli Come Noi』がリリースされるが、1967年の初頭にマウロ・ベルトーリが脱退することになる。4人となったメンバーはこれまでカヴァー中心だった楽曲からオリジナル曲を作るようになり、1967年から1968年にかけてシングルを立て続けにリリースする。その中の1968年に発表した『In silenzio/Piccola Katy』がグループ初のヒットとなり、シングルチャートで10位にランクインされる。この曲はヴァレリオの歌詞、ロビーの曲、リッカルドのヴォーカル、そしてオーケストレイションが組み込まれており、後のイ・プーのオリジナリティが見えはじめた楽曲となっている。1969年にはそのヒット曲を加えたセカンドアルバム『Contrasto』を発表。後に初期メンバーで作曲を手がけていたマリオ・ゴレッティが脱退し、代わりに当時17歳だったドディ・バッターリアが加わっている。新しい曲『Mary Ann』を引っさげて、その年の夏のカンタジーロ・フェスティヴァルの参加を皮切りに、イタリア中を回るライヴツアーを行う。やがて『Mary Ann』を除くヴァレリオとロビー作によるサードアルバム『Memorie』を発表し、確実にファンを増やしていったという。

 一方、ローマでイ・プーのシングル『In silenzio/Piccola Katy』を聴いた名プロデューサーであるジャンカルロ・ルカリエッロは、ロビー・ファッキネンティの曲作りの才能に注目していたという。ジャンカルロはローマでRCAの仕事をしており、その後ミラノにあるCGDに移っている。彼はマイナー・レーベルだったヴェデッテからイ・プーを迎えて、同系列のCBSシュガーからイ・プーを売り出そうと考えていたという。こうしてイ・プーは、ジャンカルロ・ルカリエッロをプロデューサーとして迎えて曲作りを始めることになる。ルカリエッロはヴァレリオの歌詞とロビーの曲を活かすべく、ジャンフランコ・モナルディにアレンジとオーケストラの指揮を任せ、ヴォーカルのリッカルドをアイドルに仕立てたという。このようにして1971年の夏にフェスティバル・パールの参加曲としてシングル『君をこの胸に』を出している。この曲はイタリアのシングルチャートで1971年9月から9週連続1位となり、続くシングル『ペンシエロ』も12月に1位を記録する大ヒットとなる。このヒットした2曲を加えたCBSとしては初のアルバム『プリマ・オペラ』が制作される。このアルバムは新しいイ・プーの船出にふさわしい処女作というイメージのタイトルが付けられ、壮大なオーケストラによるシンフォニックなサウンドをバックに、絶妙なコーラスワーク、親しみやすいメロディが散りばめられた華麗なるラヴ・オペラとなっている。

★曲目★
01.Pensiero(ペンシエロ)
02.Un Caffe' Da Jennifer(ジェニファーのコーヒー)
03.Tutto Alle Tre(3時の約束)
04.Terra Desolata(哀しみの地平線)
05.A Un Minuto Dall'Amore(この愛の時)
06.Tanta Voglia Di Lei(君をこの胸に)
07.Che Favola Sei(夢のあなた)
08.Il Primo E L'ultimo Uomo(ただ1人の男)
09.Alle Nove In Centro(夜のしじまの中に)
10.Opera Prima(オペラ・プリマ)

 アルバムの1曲目の『ペンシエロ』は、ヴァレリオ・ネグレーニが歌詞、ロビー・ファキネッティが曲を担当している。アコースティックギターの旋律から揚々としたコーラスに、ジャンフランコ・モナルディによる壮大なるオーケストレイションがアレンジされた名曲である。歌詞は自分の考えだけで愛する女性に手を差し伸べることができるという無実の囚人の話を元にしており、ライヴでも人気の曲となっている。2曲目の『ジェニファーのコーヒー』は、美しいストリングスをバックに叙情的なヴォーカルが印象的な曲。かつて通っていたジェニファーという女性がいた喫茶店で思いを馳せる内容を、王道ともいえる甘美なメロディで綴られている。3曲目の『3時の約束』は、ヴァレリオ・ネグレーニがヴォーカルを担当し、非常にロック的なアプローチのある曲。間奏には叙情的なオーケストラが組み込まれ、スーツケースを持って準備する彼女との別れを描いている。4曲目の『哀しみの地平線』は、まさに絶妙なコーラスをはじめ、ドラマティックな12弦ギターのアンサンブルが美しいイ・プーのメロディセンスがあふれた曲。歌詞には愛の哀しみは時と共に消えていくという前向きなメッセージが込められている。5曲目の『この愛の時』は、壮大なオーケストラによってアレンジされたラヴソング。アコースティックギターで語るようなヴォーカルが印象的で、歌詞はプッチーニの『トゥーランドット』がオマージュになっている。お互いの愛の変化に気づいた男女が、この愛を終わらせまいとする過程を描いている。曲の最後にはフェードしてリフレインのメロディを入れている。6曲目の『君をこの胸に』は、シングルで大ヒットしたイ・プーの代表的な曲。甘美なメロディにあふれたロマンティックな楽曲となっており、ベッドで寝ている彼を横目に別の男の元に向かうものの、やはり好きなのは彼だったと後悔して戻っていく彼女を物語った歌詞となっている。7曲目の『夢のあなた』は、ピアノと12弦ギターによるポップ感覚あふれる曲。名前の分からない女の子を夢の中で思い続ける男の子の青春を歌っている。8曲目の『ただ1人の男』は、アルバムの中でもハードロック的なアプローチのある曲。力強いドラミングにブルージーなギター、そしてシャウトするヴォーカルといった内容になっており、失った彼女に対する行き場の無い怒りを描いている。9曲目の『夜のしじまの中に』は、ロック的なオープニングから美しい12弦ギターに変わり、イ・プーらしいコーラスワークになっていく心地よい曲。真夜中に彼女が本当に来てくれるだろうかと1人待ち続ける様子を描いている。10曲目の『オペラ・プリマ』は、リリカルなピアノ上で語るようなヴォーカル、マーチのようなドラミングから始まり、荘厳なオルガンと共にオーケストラへと盛り上がっていく。雄大なオーケストラをバックに、どんなに世界が変わろうと愛し続けるという決意が込められた曲になっている。こうしてアルバムを通して聴いてみると、ジャンフランコ・モナルディによってアレンジされたオーケストレイションに耳が奪われがちだが、根本はヴァレリオとロビーによる愛をテーマにした普遍的なメロディがあってこそのアルバムであると言える。ドディのクラシカルな12弦ギターはオーケストラとマッチしており、リッカルドの憂いのあるヴォーカルはロマンティズムでさえある。彼らの曲作りのセンスをオーケストラで十二分に活かしたルカリエッロの手腕は見事であると言わざるを得ない。

 アルバムは1971年11月7日にチャートで13位にランクされ、セールス的に大成功を収める。この大ヒットでヴァレリオ・ネグレーニは自身の歌詞の才能に気づき、ドラムスをステファノ・ドラーツィオに任せて演奏面から退き、ヴァレリオは歌詞専任でグループを支えることになる。1972年には次なるアルバム『ミラノの映像』でゴールドディスクを獲得し、イ・プーはイタリアン・ポップス史上最高のグループと称されるようになる。この時にリッカルド・フォッリがソロで活動するために脱退している。後にオーケストラを帯同した国内ツアーを行い、1973年には初のアメリカツアー、1975年には東ヨーロッパへのツアーを慣行し、世界的にイ・プーの人気を押し上げている。毎年のようにアルバムをリリースし、1980年には英語バージョンのアルバム『ハリケーン』を世界的に発表。1983年には世界歌謡祭で初来日し、1990年にはサンレモ音楽祭に『Uomini soli』で初参加し優勝している。1994年にはバチカン市国で行われたクリスマス・コンサートで『E non serve che sia Natale』をローマ法王の前で披露し、2006年のFIFAワールドカップドイツ大会のイタリア代表公式応援ソングとしてイ・プーの曲が使用されている。まさしくイタリアの国民的グループとして君臨し続け、2016年の結成50周年として行われたボローニャのコンサートを最後に、イ・プーの活動を締めくくっている。そこにはグループから離れていたリッカルド・フォッリや2009年に一時的に脱退していたステファノ・ドラーツィオが復帰しており、最後にふさわしいコンサートになったという。

 

 皆さんこんにちはそしてこんばんわです。今回はイタリアン・ポップ史上最高のグループといっても過言では無いイ・プーの『オペラ・プリマ』を紹介しました。メンバー全員がヴォーカルを担当し、オーケストラアレンジを導入したのも本アルバムからで、イ・プーがイタリアの国民的グループにのし上がった大きなきっかけとなった画期的な作品です。当時の日本でもイ・プーの人気は高く、プログレを聴かない人でもヨーロピアンロックのオススメの1枚として紹介されていたそうです。イ・プーは私がプログレを聴き始めてから早い段階で入手しており、イ・プーのアルバムの中でも最初に聴いた作品です。5作目の大傑作『ミラノの映像』や10作目の『ロマン組曲』のようなドラマティックの粋を極めたアルバムも好きですが、素朴で親しみやすいストレートなメロディと、そのメロディを包むようにアレンジされたオーケストラが絶妙な本アルバムの方が個人的には好きです。歌詞からして男女の至上の愛を綴っていて、まさに王道のラブソングといっても良いです。変拍子の多いテクニカルな演奏や目ぐるましい展開の演奏を好む私自身ですが、こういった普遍的なメロディを聴いたときに何故かほっとする自分がいます。やはり行き過ぎた音楽ばかり聴いてきたから、親しみやすいメロディの曲を欲していたのかな? 久しぶりに聴いて音楽の基本に立ち返った自分がここにいます(笑)

 なお、素晴らしい歌詞を作り続けたヴァレリオ・ネグレーニは、2013年1月3日に心筋梗塞により死去しています。また、ヴァレリオに代わってドラマーとなったステファノ・ドラーツィオも、2020年11月6日にコロナ感染症により残念ながら死去しています。ここで謹んでご冥福をお祈りいたします。

それではまたっ!