【今日の1枚】Taï Phong/Taï Phong(タイ・フォン/恐るべき静寂) | 古今東西プログレレビュー垂れ流し

古今東西プログレレビュー垂れ流し

ロック(プログレ)を愛して止まない大バカ…もとい、音楽が日々の生活の糧となっているおっさんです。名盤からマニアックなアルバムまでチョイスして紹介!

Taï Phong/Taï Phong
タイ・フォン/恐るべき静寂
1975年リリース

東洋と西洋の2つの才能が織り成した
極上のプログレッシヴポップ

 ベトナム出身のカーン・マイとタイ・シンの兄弟が中心となり、1972年にフランスで結成されたタイ・フォンのデビューアルバム。そのサウンドはさりげないキーボード、曲に溶け込むようなギター、絶品のハーモニーからくるアンサンブルの美しさを前面に出した甘美なプログレッシヴポップになっている。収録曲の『シスター・ジェーン』はシングルでフランス国内で大ヒットし、日本でもプログレッシヴファン以外の人々にも惹きつけた名曲となっている。

 タイ・フォンはベトナムの元ディエム大統領の内務大臣だった父を持つ2人の兄弟、カーン・マイとタイ・シンによって結成されたグループである。2人は8歳の頃からピアノを習いはじめ、思春期には鍵盤楽器から弦楽器に興味を持ち、カーンはギターをタイはベースを弾くようになる。15歳の頃からイギリスでアマチュアとして様々なグループで演奏しており、リセの高校で友人たちとビーチで演奏しているうちにグループの結成を考えるようになったという。2人は最初に“モンスター”というグループを結成し、当時彼らの住んでいた地域で開催されたソー管弦楽団によるイル・ド・フランス大会に出場し、3年連続優勝する快挙を果たしている。しかし、2人は家族の要求で勉学に集中するため、一時的に音楽を辞めることになる。バカロレア大学の入学資格を取得した2人は音楽活動に復帰し、1972年にベトナム語で“台風”を意味するタイ・フォンというグループをフランスで結成する。2人は早速、メロディー・メイカー誌でキーボーディストとギタリストを募集し、イギリス人でハモンドオルガンを持ってドイツからやってきたレスという名のキーボーディストとカリフォルニア出身のジョンという名のヴォーカル兼ギタリストが加わる。カーンとタイの両親が所有する地下室でリハーサルを行い、自分たちの望む音やスタイルを見つけるまで繰り返す毎日が続き、やがてバークレイで働いていたカーンによって、レコード会社に勤務するプロデューサーのフランソワ・ベルナイムを連れてくる。彼らの演奏を聴いたフランソワはパリのフェベール・スタジオでデモ・テープを作るよう提案し、メンバーは一晩中をかけてレコーディングを行ったという。しかし、レコード会社が提示した契約書の条項に対して、カーンとタイの2人の意向にそったものではなかったため、最終的に契約を断念している。この契約を断った出来事で2人の兄弟とメンバーとの対立が生まれ、ジョンはグループから脱退することになり、その後レスは解雇されることになる。こうしたことで2人の兄弟は再度オーディションを行うことになるが、ある晩のリハーサルでジャン・ジャック・ゴールドマンと出会うことになる。23歳だった彼は8歳からヴァイオリンを習うなどの音楽経験が長く、トライアルの後、正式にギタリスト兼ヴォーカルで採用される。さらに友人の紹介でピアノ歴15年、ジャズプレイヤーの父を持つキーボード奏者のジャン・アラン・ガルドが加入する。彼もまたクラシックとジャズに精通した音楽基盤をもったミュージシャンだったという。

 1973年に新たなメンバーと共に始動した彼らは、シングルをリリースするためにバークレイと契約する。2曲がレコーディングされたものの、アートディレクター間の内部対立が原因でシングルリリースが頓挫。いつまでもリリースしない状況から、グループはバークレイとの契約破棄を望み、何人もの弁護士を依頼して同年9月にバークレイから離れている。しかし、レコーディングされた2曲はバークレイに残されてしまうことになる。こうした経緯から彼らは自分たちの資金でデモ・テープを作り、レコード会社に売り込む決意をする。カーンはレコーディングされた20分程のテープを持って7つのレコード会社に訪問し、最終的にWEAと契約することになる。それはWEAのオフィスでデモ・テープを聴いた人物がすぐに契約したいと申し出たためだったが、この人物こそWEAの国際部門のディレクターであるドミニク・ランブランだったという。彼らはアルバムの制作前にドラマーを募集をかけたところ、あるオーディションで17歳のステファン・コーサリューが応募してくる。彼はドラム歴4年だったが、いくつものグループでドラムを叩く経験を積んできた人物だったという。こうして5人のメンバーとなったタイ・フォンは、自分たちの作った曲の反応を見るために、小さな会場でコンサートを開いている。客の反応が非常に良かったことが自信となり、メンバー全員が作曲したという20曲に及ぶタイトルから6曲が選ばれ、1975年の2月から3月にかけてレコーディングを開始する。デモ・テープを聴いてリハーサルの段階から彼らを見ていたジャン・マレスカがディレクターを申し入れ、彼らのレコーディングの予約から企画、制作進行を担当することになる。音楽に関しては全てタイ・フォンのメンバーが行い、曲や歌詞、アレンジに至るまで譜面化され、ようやく1975年6月にデビューアルバムとなる『恐るべき静寂』がリリースされる。そのサウンドはアコースティックとエレクトリックが見事に融合した繊細で美しいハーモニーとアンサンブルの妙が聴き取れる、素晴らしいアルバムとなっている。

★曲目★
01.Goin' Away(ゴーイン・アウェイ)
02.Sister Jane(シスター・ジェーン)
03.Crest(聖使の羽飾り)
04.For Years And Years(時の流れの中に)
05.Field Of Gold(黄金の草原)
06.Out Of The Night(闇の彼方へ)
★ボーナストラック★
07.North For Winter(ノース・フォー・ウインター)
08.Let Us Play(レット・アス・プレイ)
09.Sister Jane~Single Version~(シスター・ジェーン~シングル・ヴァージョン~)

 アルバムの1曲目の『ゴーイン・アウェイ』は、軽快なギターワークとリリカルなキーボードを前面に出した楽曲になっており、力強いヴォーカルと緩急をつけたアンサンブルが心地よい。後半の巧みなギターソロの展開は、グループの絶妙なアレンジ力を示した内容になっている。2曲目の『シスター・ジェーン』はグループにとって最もヒットした記念碑的な曲。美しいハーモニーによるスタンダードな曲だが、その甘美なサウンドは静かなる感動を与えてくれる。3曲目の『聖使の羽飾り』は、リズミカルなオープニングから静寂なハーモニーとなり、ハイトーンのヴォーカルが天高く響く内容になっている。ここでは美しいキーボードとステファンのテクニカルなドラミングが堪能できる。4曲目の『時の流れの中に』は、ピアノの音色をバックに優しく歌うヴォーカル、泣きのギターが印象的なバラード曲。途中から一転して変拍子を含む複雑なアンサンブルとなり、やがてなだらかなインストが続くなど1曲の中に様々な展開のあるバラエティ豊かな曲になっている。5曲目の『黄金の草原』は、『シスター・ジェーン』と並ぶ名曲。まさに広い草原を思わせるゆったりとしたサウンドと、センチメンタルなハーモニーが絶品である。後半の泣きまくるギターとリリカルなキーボードによる叙情的なインストはあまりにも美しく切ない。6曲目の『闇の彼方へ』は、荘厳なシンセサイザーをバックにしたヴォーカルからはじまり、全体的にリリシズムにあふれる楽曲になっている。後半はやはり泣きまくるギターソロが素晴らしく、荘厳なシンセサイザーと相まって神秘的ですらある。最後はイントロで使用した雨の効果音と共にフェードアウトしていく。ボーナストラックの『ノース・フォー・ウインター』は、シンセサイザーやピアノ、アコースティックギターのアルペジオが美しいクラシカルなヴォーカル曲になっている。『レット・アス・プレイ』は巧みでポップなキーボードとスキャット風のヴォーカルが効果的な曲。彼らの楽曲センスが凝縮された聴き応えのある内容になっている。こうしてアルバムを通して聴いてみると、アコースティックなサウンドとエレクトリックなサウンドが見事に融合しており、普遍的なメロディであるにも関わらず、英国のプログレッシヴロックにあるような技巧的なアンサンブルが随所に聴き取れる。当時のプログレッシヴロックの多くが自己の内側に向かう翳りのあるサウンドを標榜していたが、タイ・フォンはむしろ外側に向かって実に穏やかな優しい光を放っているかのような音を目指している。それが多くの人々に受け入れられた大きな要因となっている。

 本アルバムは無名のグループながら50,000枚を売り上げるヒットとなり、シングルでリリースされた『シスター・ジェーン』は、ヨーロッパで20万枚という売り上げを記録している。とりわけ批評家の評判は高く、1975年6月のロック&フォーク誌で取り上げられ、彼らの洗練されたスタイルとサウンドを褒めちぎっている。その年はアルバムとシングルのプロモーションのためにテレビにも出演し、タイ・フォンの知名度は一気に高まったという。彼らはこの勢いを維持するために2枚目のシングルを録音。ジャン・ジャック・ゴールドマンの『レット・アス・プレイ』、ジャン・アラン・ガルドの『ノース・フォー・ウインター』が1975年の冬にリリースされる。翌年にはセカンドアルバムの制作に取り掛かり、長い期間のレコーディングを経て『ウインドウズ』がリリースされる。そのサウンドは奇抜で独創的なシンフォニックロックとなっており、プログレファンからはこのセカンドアルバムを推す者が多い。しかし、これだけ高い人気を誇るグループであるにも関わらず、コンサートやライヴの数は少ない。その理由はジャン・ジャック・ゴールドマンの極度の緊張によるステージ恐怖症にある。彼は優れたギタリスト兼ヴォーカリストだったが、これがグループの勢いの足かせになっていたという。このジャン・ジャックのライヴやツアーの不参加に対してメンバーの不満が高まり、最終的にキーボード奏者のジャン・アラン・ガルドが脱退している。ツアー前にジャン・アランが脱退したために6人のキーボード奏者を集め、ヴォーカル兼ギタリストにマイケル・ジョーンズを雇いツアーを決行。その中には20年後の再結成アルバムに参加するアンジェロ・ズルゾロも参加していたという。ツアーは高い評価を得たが、長く続けることができずに終わり、このグループの状態に満足がいかなかったカーン・マイがグループを去ることになる。1979年に3枚目となる『ラスト・フライト』がリリースされるが、曲のいくつかはメインとなるメンバーが不在のレコーディングだったため、まとまりのない音楽となってしまっている。タイ・フォンは1980年にWEAとの契約上、4枚目のアルバムの制作は可能だったが解散を決めている。メンバーはそれぞれ活動を開始し、特にジャン・ジャック・ゴールドマンはフランスを代表する歌手となり成功している。そんなジャン・ジャックはステージで『シスター・ジェーン』を演奏したいがために、1985年の自身のツアーにカーン・マイやステファン・コーサリュー、マイケル・ジョーンズに声をかけ共にステージに上がっている。これが大きなきっかけとなり、1993年にカーン・マイとステファン・コーサリューを中心に再度メンバーが集まり、新たなアルバムをリリースすることを決意する。7年後の2000年に21年ぶりとなる『旭日の戦士 - サン』がリリースされ、フランスやヨーロッパを中心にツアーを行っている。2013年には『静寂、抒情、そして無限 - リターン・オブ・ザ・サムライ』 がリリースされ、2014年10月に初の来日公演を果たしている。

 

 皆さんこんにちはそしてこんばんわです。今回はベトナム出身の2人を中心に東洋と西洋の才能が作り出した美しいアンサンブルが特徴のタイ・フォンのデビューアルバム『恐るべき静寂』を紹介しました。このアルバムはプログレを聴き始めて間もない頃に入手して、何度も聴いたアルバムです。さりげないキーボードと泣きのギター、絶妙なハーモニーといった甘美な楽曲が素晴らしく、決してポップで終始せずに技巧的なアレンジが随所に表れた素晴らしい作品になっています。『シスター・ジェーン』も好きな曲ですが、個人的に『黄金の草原』が大好きで、初めて聴いた時から今までずっと耳に残っているほど素敵なメロディをもった曲だと思います。紙ジャケ盤のボーナストラックに収録している『レット・アス・プレイ』の曲も、彼らのセンスがギュッと凝縮された軽快な楽曲になっていて、改めてタイ・フォンの良さを感じた次第です。この記事を書いている時も久しぶりにアルバムを通して聴いたのですが、懐かしさも相まってちょっと幸せな気分になりました。

 さて、タイ・フォンの中心メンバーであるカーン・マイとタイ・シンの兄弟は、レコーディングをはじめとする音楽に関してはもちろん、慎重に慎重を重ねる完璧主義者であったと言われています。とにかくリハーサルでは自分たちの音楽スタイルが完成するまで何度も行い、アレンジを含めた楽曲を全て楽譜に落としこんだそうで、普通ではなかなかできないことをしています。また、バークレイと契約するにあたって不利だと思った途端に断念したり、WEAとの契約では念入りにチェックし、何度も検討して最終的に合意しています。これはメンバーが職業としてのミュージシャンではなかったからで、最初のアルバムのレコーディング時では、カーン・マイはスタジオの録音技師、ジャン・ジャック・ゴールドマンはモンルージュのスポーツショップの店員、タイ・シンはパリ国立銀行(BNP)の職員として働き、さらにステファン・コーサリューはドラムを教える講師で、ジャン・アラン・ガルドは他のミュージシャンのバックで演奏していたそうです。契約ではこのそれぞれのメンバーが持っている仕事を維持することを盛り込んだそうで、アルバムが売れなかった場合はすぐに解散する決意で契約を交わしたといいます。これだけ強気にそして慎重に事を進めていた理由は、自分たちの作る楽曲に対する自信があったというより、やはり中心メンバーの2人が東洋人であったことが大きいのかも知れません。結果、デビューアルバムが売れたことで、メンバーはミュージシャンとしての地位を確立することになります。

 このファーストアルバムは日本でも売れたアルバムなので聴いたことのある曲があるかも知れません。プログレにありがちなダイナミズムよりも、アンサンブルの構築美を活かした甘美なメロディをぜひ、堪能して欲しいです。

それではまたっ!