【今日の1枚】Egg/Egg(エッグ) | 古今東西プログレレビュー垂れ流し

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ロック(プログレ)を愛して止まない大バカ…もとい、音楽が日々の生活の糧となっているおっさんです。名盤からマニアックなアルバムまでチョイスして紹介!

Egg/Egg
エッグ/ファースト
1970年リリース

ディヴ・スチュワートを中心に若き才能が集結した
初期のカンタベリーミュージックの名盤

 後にハットフィールド&ザ・ノースに加入するキーボーディストのディヴ・スチュワートをはじめ、ギルガメッシュやハットフィールド&ザ・ノースのサポートメンバーとなるヴォーカル兼ベーシストのモント・キャンベル、そしてドラマーのクライヴ・ブルックスの3人で結成したエッグのファーストアルバム。同じトリオ編成のキース・エマーソン率いるザ・ナイスと比較されることが多く、クラシックの造詣が深いモント・キャンベルとクラシカルなオルガンをプレイするディヴ・スチュワートによるユニークともいえるサウンドが特徴になっている。元々、スティーヴ・ヒレッジのいた「Uriel(ユリエル)」の後継グループだが、初期のカンタベリーシーンを語る上で欠かせない重要なアルバムである。

 エッグは前身である1967年に結成した学生グループの「Uriel(ユリエル)」にさかのぼる。シティ・ロンドン・スクールというパブリックスクールに通うディヴ・スチュワートが、冴えない風貌で変わり者だったスティーヴ・ヒレッジとモント・キャンベルと出会うところから始まる。勉強はまるでダメだった2人が共通して興味を持っていたのが音楽であり、スティーヴはすでにギターを始めており、モントはベースやギター、ピアノを覚えたことで自分たちのグループの結成に動いている。そしてメロディ・メイカー紙でドラマー募集の広告を出し、応募してきたクライヴ・ブルックスを加入させ、「Uriel(ユリエル)」というグループ名で活動を開始する。当時はクリームやジミ・ヘンドリックスといったブルース調の音楽をはじめ、人気だったキース・エマーソン率いるザ・ナイスやサイケデリック性の強いソフト・マシーンやピンク・フロイドの音楽に影響され、ザ・ナイスの『ロンド』やジミ・ヘンドリックスの『フォクシー・レディ』といった有名グループのアレンジ曲を中心に演奏していたという。彼らは多くの大学でギグを行い、1968年にはワイト島のライド・キャッスル・ホテルを宿舎として、リハーサルやライヴ演奏をする毎日を送るようになる。その中でアーサー・ブラウンとフェアポート・コンヴェンションのサポートを行うようになり、このような経験を経てメンバーの音楽的スキルが向上していくことになる。しかし、その年の夏にメンバーのスティーヴ・ヒレッジがケント大学に進学するためにグループを脱退。彼らはギタリストを募集してはオーディションを行ったが、ヒレッジほどの腕前のあるギタリストが見つけられず断念。残った3人はブルース調の音楽を捨てて、モント・キャンベルの多調性なハーモニーとクラシックの要素を取り入れたトリオ編成のグループとなる。彼らはロンドンのコヴェント・ガーデンにあったサイケデリック・クラブ“ミドル・アース”で、出演するグループのサポートを務めていた際、ミドル・アースのマネージャーがユリエルのマネジメントをぜひ行いたいとの申し出があったという。彼らは喜んで承諾をしたが、マネジメントをする条件としてグループ名の変更を余儀なくされる。理由は「Uriel(ユリエル)」では奇妙すぎてしまい、何よりも「Urinal(しびん)」の響きと酷似していたからである。

 1969年にグループ名をエッグに改めた3人は、ミドル・アースに所属するグループとなり、ギグの回数も増えている。この時にはストラヴィンスキーやホルストのクラシックの要素を取り入れたオリジナル曲をプレイするようになり、トリオグループとしての知名度も高まりつつあったという。この時に有名な話として、脱退したスティーヴ・ヒレッジを加えたユリエルの4人が再結集して“Arzachel(アーザケル)”名義でアルバムレコーディングをしている。これは企画アルバムとして制作を打診されたもので、彼らにとって初めてレコーディングを行った作品となる。後にBBCのラジオセッションやBBC2のテレビにも出演したエッグは、やがてミドル・アース・レーベル部門として輩出するでデッカ・レコードとの契約の話が持ち上がり、マネジメントを通じて最終的にデラム/ノヴァレーベルと契約をしている。こうして1969年10月にランズドワン・スタジオに入ったディヴ・スチュワート(オルガン、キーボード)、モント・キャンベル(ベース、ヴォーカル)、クライヴ・ブルックス(ドラム)の3人によるファーストアルバム『エッグ』が、1970年3月にリリースされる。アルバムはクラシックの造詣の深いモント・キャンベルの楽曲をベースに、ディヴ・スチュワートのクラシカルでサイケデリックなオルガンが鳴り響く内容となっており、後のカンタベリーミュージックにも通じる複雑なプレイが堪能できる傑作となっている。

★曲目★
01.Bulb(電光一閃)
02.While Growing My Hair(ホワイル・グローイング・マイ・ヘア)
03.I Will Be Absorbed(アイ・ウィル・ビー・アブソーブド)
04.Fugue In D Minor(フーガ ニ短調)
05.They Laughed When I Sed Down At The Piano…(僕がピアノを弾こうとしたら、みんなが笑った…)
06.The Song Of Mcgillicudie The Pusillanimos(臆病者のマクギリキュディーの歌)
07.Boilk(卵ぐつぐつ)
08.Symphony No.2(交響曲 第2番)
 a.Movement 1(第1楽章)
 b.Movement 2(第2楽章)
 c.Blane(ブレイン)
 d.Movement 3(第3楽章)
 e.Movement 4(第4楽章)
★ボーナストラック★
09.Seven Is A Jolly Good Time(セヴン・イズ・ア・ジョリー・グッド・タイム)
10.You Are All Princes(ユー・アー・オール・プリンシズ)

 アルバムはクラシックの造詣が深いモント・キャンベルが作成した曲中心に展開し、バッハからストラヴィンスキー、果てはグリーグ、ホルストなど古典音楽から現代音楽まで幅広い楽曲を取り入れた内容になっている。1曲目の『電光一閃』はエンジニアのピーター・ガレンによるノイズ音から始まり、2曲目の『ホワイル・グローイング・マイ・ヘア』は、複雑なリズムセクションをバックにディヴ・スチュワートの華麗なるオルガンを響かせた楽曲。モント・キャンベルの自伝的な歌詞を元に歌われ、独自のワルツともいえるクラシカルなナンバーとなっている。3曲目の『アイ・ウィル・ビー・アブソーブド』は、4分の9拍子、4分の7拍子、そして8分の13拍子という複雑な変拍子で展開する楽曲。ジャズテイストながら多彩なキーボードと手数の多いドラミングに、憂いのあるモント・キャンベルのヴォーカルが一体となった極めて聴きどころのある内容となっている。4曲目の『フーガ ニ短調』は、言わずと知れたバッハの『トッカータとフーガ ニ短調』をアレンジした楽曲。ザ・ナイスのキース・エマーソンを意識したと思われるディヴ・スチュワートのオルガンプレイが堪能できる。5曲目の『僕がピアノを弾こうとしたら、みんなが笑った…』は、ディヴによるピアノソロを中心とした楽曲だが、チェロなのか弦楽器を使用した奇妙な音が重なるエキセントリックなサウンドになっている。6曲目の『臆病者のマクギリキュディーの歌』は、モント・キャンベルの疾走するベース音と、ディヴの力強く弾きまくるオルガンが印象的なプログレッシヴハード。オルガンとベース、ドラムによる饗宴が堪能できる逸品である。7曲目の『卵ぐつぐつ』は、弓弾きのベースとパーカッションを中心とした実験的な楽曲。8曲目の『交響曲 第2番』は、レコードでいうB面をすべて使った4楽章からなる楽曲であり、1楽章目はグリーグの『ペール・ギュント組曲』から『山の魔王の宮殿にて』を使用しており、第3楽章ではストラヴィンスキーの『春の祭典』から『乙女たちの踊り』を導入している。オルガン、ベース、ドラムというトリオ編成ながら、古典的なクラシックによるエキセントリックな楽曲を駆使した、圧巻ともいえるインプロゼーションが展開されている。ボーナストラックの『セヴン・イズ・ア・ジョリー・グッド・タイム』と『ユー・アー・オール・プリンシズ』は、ミドル・アース・レーベルと契約が進行している中で、デッカレコードの新機軸となるレーベル・ノヴァと契約した際にリリースしたシングル曲である。モント・キャンベルのヴォーカルを主体としているが、バックの複雑なリズムとアヴァンギャルドなオルガンがユニークな楽曲である。こうしてアルバムを聴いてみると、やはりモント・キャンベルとディヴ・スチュワートによるクラシック寄りの楽曲が非常に目立つ。大胆に古典的なクラシックを導入しているのは、キース・エマーソン率いるザ・ナイスを意識したのだろう。耳障りの良いクラシックがアルバム全体を覆っているが、よくよく聴いてみるとジャズ的な複雑なリズムや拍子を加えている。この複雑なリズムと展開が、後のカンタベリーミュージックシーンにも受け継がれていくことになる。

 アルバムはデラム/ノヴァレーベルからリリースされたが、このレーベルの作品のほとんどが1,000枚以下のプレスだったため、ヒットには程遠い売り上げだったという。しかし、クラシックの大胆な導入や複雑なリズムからなるエッグ特有の楽曲は、一部の評論家から絶賛され、このアルバムが再評価されるのは1970年代のカンタベリーミュージックが盛んになる数年後となる。ファーストアルバムリリースから2ヵ月後の1970年5月に、彼らはセカンドアルバム『優雅な軍隊』をレコーディングするために、ロンドンのモーガンスタジオに入る。前作はセルフ・プロデュースだったが今回はニール・スレイヴンがプロデューサーとして参加している。ノヴァ・レーベルのアーティストたちとライヴ活動を続けながら、数ヵ月をかけてレコーディングを行い、ついにセカンドアルバムが完成する。しかし、セカンドアルバムのリリースをなぜかレーベルが拒否する事態に発展する。理由は何とレーベルのスタッフが契約し忘れたという酷いもので、メロディ・メイカーの評論家であるリチャード・ウイリアムスがエッグの2作目の発売を中止する内幕記事を書いたのが発端だったという。エッグのメンバーは大いに落胆をしたが、最終的にプロデューサーのニール・スレイヴンの尽力で、1970年末にデラムの本レーベルよりセカンドアルバムがリリースされることになる。しかし、この事が原因でグループの状況が悪化し、モント・キャンベルが本格的にフレンチ・ホルンを学ぶために脱退したため、エッグは1972年7月に解散してしまう。ドラマーのクライヴ・ブルックスは、知り合いのグラウンドホッグスのメンバーとなり、ディヴ・スチュワートは、ユリエル時代のメンバーであるスティーヴ・ヒレッジが率いるカーンのレコーディングに参加。その後、ディヴはハットフィールド&ザ・ノースのキーボード奏者として大成功を収め、カンタベリーミュージックシーンの中心的なミュージシャンとして君臨することになる。

 

 皆さんこんにちはそしてこんばんわです。今回はディヴ・スチュワート、モント・キャンベル、スティーヴ・ヒレッジというカンタベリーシーンでは欠かせないミュージシャンが集った「ユリエル」を前身とするエッグのデビューアルバムを紹介しました。このアルバムはカンタベリーミュージックを聴き始めたきっかけであるハットフィールド&ザ・ノース、ナショナル・ヘルスの次に聴いたもので、後にカーンやギルガメッシュ、ゴングへと広がっていった個人的に深い作品になります。前身のユリエルというグループで、スティーヴ・ヒレッジが脱退した理由が大学入学のためと知ったとき、思わず、はっ?と思ったのですが、当時、ディヴ・スチュワートとスティーヴ・ヒレッジが17歳だったとは驚きです。早くして自分の才能を活かそうとするアクティブさには敬意を評しますが、それを見い出し受け止める音楽界があったことがとても羨ましく思います。

 さて、本アルバムは、当時の音楽評論家が絶賛する玄人好きにはたまらない楽曲になっています。古典的なクラシックの導入は、ザ・ナイスのキース・エマーソンが圧倒的なパフォーマンスを元に披露していましたが、このアルバムでは複雑なリズムと変拍子を駆使した圧巻のインプロゼーションにあると言っても過言ではないです。最後の『交響曲第2番』は、20分を越える楽曲でありながら、クラシックをアクロバティックな演奏で解釈するザ・ナイスのキース・エマーソンとは違って、トリオとしての配分を考えながら、うまく組み合わせていると感じます。オルガン、キーボード奏者のディヴ・スチュワートが本格的に活動し始めた頃のアルバムとはいえ、自分たちの目指す音楽をきちんとプレイしており、オルガンロックとしても傑作と言わざると得ません。セカンドアルバム後にグループは解散してしまいますが、脱退したモント・キャンベルの代わりにヒュー・ホッパーを迎える案もあったそうです。最終的にその案は却下されましたが、もし実現していたらと思うと非常に興味深いです。

 ディヴ・スチュワート好きならもちろん、ザ・ナイスのキース・エマーソン好きにはオススメしたいアルバムです。カンタベリーミュージックが花開く前の若き3人によるクラシカルでサイケデリックな音楽をぜひ堪能してほしいです。

それではまたっ!