母との別れ
先日、母が亡くなりました
持病もなく
眠るようにの大往生でした
昨年アネがなくなりましたが
母の亡くなった日が
1年前のアネの火葬の日付と同じ
こんなことってあるんですね…
それにしても
あと10日もしたら
面会の日だったのに
あの時、8月の初めに面会予約していたら
会えたのに
2ヶ月前にリモートで話をしたのが最後になってしまいました
コロナがなければと
何度も思います
直に会話をしたのは一年以上も前です
なんとも悔しいです
コロナさえなければ…
2ヶ月前に話をした時
少し私のことが認識しにくくなっていて
認知症が進んだのがわかりました
2ヶ月会わないと
やはり、進行するんですよね
そこでも
コロナが無ければ…と悔しかったですが
まさかそのまま
会えないまま
触れることができないまま
別れることになろうとは。
施設では
最後に服を着せてくれ
お化粧も施していただきました
わたしは
生前の顔の記憶を残したいので
死顔を見ないことにしてるのですが
きれいになった母の顔は
とてもきれいで
拝むことができてよかったです
90歳を超えて
最後まで綺麗な方でした
今までありがとう
おかあさん
火災直後の大変さ
家屋全焼の被災から約一年たちますが
未だに被災日のしんどさが蘇ります
1人で対応するしかないからなのですが
現場に帰り着いた途端取り調べです。
何もかもなくなった状態で
今の状況も詳しく知らされず
なにしろ、帰って小一時間してからアネの死を知らされた、というか、聞いたから教えてくれた状態
もう、、驚きとか、悲しみとかなく
ポカーンです
心の中で
焼け残った書類や荷物取り出したい!
今日の寝床確保しないと!!
と、なるのだが
そんなことさせてもらえない
なんせ
トイレも行けない
現場検証に立ち会わされる
そりゃ消防も警察も仕事だし
中に入って現場検証が始められる
消防の後の水が降りかかる
消防の人たちは頭からレインコートみたいなのを着ているからいいけど
私の服はずぶ濡れになる
炭の雨が体にかかる
(この服しか、無いのに!)
たまたま庭に傘を干していたのを思い出し
途中から傘をさす
今の時間なら
着替えを買いに行けるのに
夜眠る場所を確保できるのに
そんな時間が過ぎ去っていく
屈強な消防の人たちと同じ時間
外で立ち続けなければならなかった
座りたいんだけど!
水分も取りたいんだけど?!!
すると、これもまた、たまたま
残していた母の、椅子になるカートが庭にあった
もう使わないから、たくさん捨てた中
高そうなものをなぜか一つ残していたのだ
奇跡
そのカート助けられた
その後夕方まで自由な時間はなく
「その後のこと」を手配する時間が削られ
なんとかなるか、という気力も失せていました。
被災直後
被災当人が
これほどしんどいとは
せめて被災者に
仮で眠る場所を提供する体制とか
無いもんなんだろうか…?
結局、その夜は
地元の自治会館で寝ることとなりました。
お風呂がないので
炊事場で頭を洗い、体はシートで拭きまくり。
もう炊事場で洗髪は
懲り懲りです
しかし翌日朝から
会館を使うおばさまたちがやってきて
その場を明け渡すこととなりました…
1日くらい
カラオケ大会中止にしてくれても良くない?
なんてヒネたこと考えましたが
他人の不幸など
関係ないよね
ひねてごめんなさい
その後も
悲しむ暇のない日々が続きました
とにもかくにも
半年
半年後ですかね
やっと我にかえるのは
かれこれ約4年経過の傷跡
摘出してから、ずいぶん経って
来月で四年です
ここ数年は
傷に服地が擦れても気にならないし
もう記憶の彼方にあったのですが
先日
ふと最近手術痕が気になりました
あれ?
ひきつれてる?
おへそ付近の傷跡の一部が
ペコっと凹んだ感じになっていました
なんだろう
皮下脂肪が増えたり減ったりとかで
なんか痕が引っ張られるのかな?
年月が経っても
変化ってあるんですね
そういえば、最近
生理用品無料配布とかの話がありますが
筋腫持ちの超絶大出血にも
対応してくれるんだろうか?
大出血の日々は
本当に生理用品への出費が大変だった
もうパンパースの域だったもんなあ
なんとなく「配ればいいじゃん」ではなく
いろんなタイプの出血に
対応してくれるといいですよね
災害時の生理用品も
大出血タイプも揃えて欲しいと思います
さて
ちょっと傷跡にもオイル塗ったりしてみるか…