わたしの願いが叶いますように。
あなたの願いが叶いますように。
素敵な祈りの儀式
願いが叶ったら
それはそれは、どんなに嬉しい事だろう。
金運が上がりますように。
人間関係が良くなりますように。
イジメがなくなりますように。
成功ができますように。
けれど、なかなか叶わない。
言葉をじーっと考える。
何かが間違っているのかしら?
じーっとイメージしていると、
△△が、〇〇なるように。
△△を特定して祈ってる。
△△以外にも、願望があるはずなのに、
まるで一点集中意識を尖らせ
不足や欠如を強調し、懇願している感覚だ。
それはまるで、
金運我、上がりますように。
人間関係我、良くなりますように。
イジメ我、なくなりますように。
成功我、できますように。
強く、強く、強く、望む
我ん望のように思えてくる。
祈りに祈りを重ねても、
叶わな過ぎて、落胆する。
どうせ願っても叶いやしないと
気持ちもすさんで落ち込むけれど、
再び願いの言葉を眺めていると
桃がころころ転がった。
桃、桃、桃、
もも、もも、もも
転がる桃は我を弾き飛ばし
新たな言葉に変容させた。
金運も、上がりますように。
人間関係も、良くなりますように。
イジメも、なくなりますように。
成功も、できますように。
「が」を「も」に置き換えただけで
特定から広がるイメージに早変わり。
「金運も上がりますように。」
と言うことは、
金運以外は上がっているってこと⁉︎
「人間関係も良くなりますように。」
と言うことは、
人間関係以外は良くなったってこと⁉︎
「イジメもなくなりますように。」
という事は、
イジメ以外の嫌なことはなくなったってこと⁉︎
「成功もできますように。」
ってことは、
成功以外はできたってこと⁉︎
なぜだかニヤリとなってくる。
△△も、〇〇になるようにと願うと
たわわに実った果実のように
他の願いは叶っているように思えてくる。
予祝の完了系も同じこと。
「△△運も良くなりました。ありがとう」
「〇〇もできました。ありがとう」
なぜかワクワクしてくるよ。
言葉っておもしろい。
言葉は思考を刺激する。
一文字置き換えしただけで
イメージをガラリと変えることもある。
何となく冴えない言葉があったなら
他の言葉に置き換えよう。
誰もの願いも叶ったら
奪うことなくお裾分け。
軽やかに、たわわに桃を実らせよう。
あなたの願いも叶いますように。
わたしの願いも叶いますように。










