許せないこと、怒りたいこと、
誰にだってある。
許せない相手、怒りたい相手
誰にだっている、
相手を許したって
相手への怒りを鎮めたって
実はあまり意味がない。
だって、本当は自分自身が
それを選んだ自分に対して
怒っているのだから
許せなくて当然なこと。
怒りは
寂しさ?悲しみ?恐怖?
思考で深掘り、堂々廻りしたって
意味がない。
感情は、
どうやら言葉で解決できないみたい。
許せない。
怒り、悲しみ、恐怖、は
ただの固有の名称に過ぎない。
五感や体感を表現する
暗号ツールのようなもの。
許せない。怒っている。
言葉自体を消し去ると、
何が残っているのかな?
言葉自体に意味がなければ
その感覚を
なんて表現するのかな?
許せない時、怒っている時
五感や体感は
どんな感じ?
見えないけれど
感じてみる。
どこかにぎゅっと力が入り
何かが止まっていることを
何かが頑なに固まっていることを
自分の中で感じてみる。
無意識に楽しかったったこと
素直に楽しんでいたこと
必ず放棄してしまっていることが
思い出せないぐらい些細な何かが
動きが止まって循環してない
まるで肩こりしているように。
許せない。怒っている。
感情は、
五感や体感で解決を。
体を動かし行動すると
止まった五感や体感が
再び目覚めて動き出す。
許せない。怒っている。
そうなる原因になった行動を
悔やんで怒っているのは自分自身。
諦めと怠惰から抜け出して
再び五感と体感を
できることから動き出そう。
動いて感じるうちに
許せない感情は
喜びの感情に押し流されて
消えて行く。












