勘違いしないで欲しい。
人は自分の欠点を探すために
生まれて来た訳じゃない
勘違いしないで欲しい。
人は自分の欠点を隠すために
生まれて来た訳じゃない。
勘違いしないで欲しい。
人は自分の欠点を克服するために
生まれて来た訳じゃない。
自分の感情が苦しくなったら、
比較している自分が苦しんでいるってこと。
それは,他人?
それは、過去や未来の自分?
それは、何かしらの情報?
自分の欠点と思うこと。
それは、
今の自分にないもの。
今の自分が持っていないもの。
今の自分と状態が違うのも。
違和感や苦しさを感じた時
そこがスタート地点になる。
過去を掘り下げたって
原因を探したって
走る前から、
練習不足だからとか
素質がないからとか
環境が合わないからとか
家系的に向いてないからとか
原則,理屈、説明を
問題宿題されていたら
げんなりしてしちゃって
尻込みするか、いつまで経っても
スタート地点にすら立てないよね。
違和感、苦しさを感じたら
ナチュラルな自分の感覚になる方向へ
移動するために人は生まれた。
今の違和感がスタート地点で
位置についてよーいドン🔫
スタート地点から変化を楽しむ
その欠点と思う位置から
徐々に変わる変化を楽しむ
見た目も中身も
欠点と思うことが多ければ多いほど
変化を楽しむチャンスは多い。
時間がどれだけあっても足りないぐらい
小さな変化をコツコツと。
ある意味とても恵まれている。
空を見て、雨だ、日照りだ、曇りだと
季節や気分で感情が変わるように
自分自身もそう見えてる。
自然をじーっと見つめて
ありのままを楽しむように
自分をじーっと見つめても
ありのままを楽しむ心に
人は変化して行ける。
人は欠点を探すために
生まれて来た訳じゃない。
人は他人の欠点を探すために
生まれて来た訳じゃない。
比較の心で苦しみがでたら
スタート切って動き出そう。
自分が動いて変化を喜ぶ。
人は見えるもので認識した方が
より変化を喜べる生き物だから。











