ひとりごと15 | rossiの世界

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心の声、心の葛藤や変化を書き残しています。





劣等感と過保護







興味を持って何かを始めても


やる気が起きて動き始めても


途中で嫌になって止まってしまう。







それは、


誰かのせいでもなく


エネルギー不足でもなく


過去や未来のせいでもなく


自分と自分の関係性。







自分可愛さに、


色んな事をさせてあげたい。


自分可愛さに


傷付かないように守ってあげたい。


まるで。自分自身に対する親心。







自分の能力を伸ばすために


色んな情報を取り入れようと


まるで、教育熱心な親のよう。


塾や講座教室,コミュニティをたくさん与えて


知識や方法を学べと言わんばかりに


次から次へと課題を与える。







最初はやってみるのだけれど、


さほど興味がなかったり


実際には楽しくなかったり


レベルに合わずやる気が失せたり


本当にこれって必要なの?


本当にやらないといけないの?


そんな気持ちも湧いてくる。







自分可愛さ故に、



課題を与えた過保護な自分が原因だ。







自分のためにと言いながら、


自分の知らない情報が入ってくると


自分の許容範囲以上の知識が入ってくると


知らないだけに理解不能。







自分自身を支配できなくなってしまうから


自分のためと勧めたものの


それを知られては、


それを行動されては、


それを知らない私が、知った私に答えられないと


不都合が出て来て、


だから守ってあげられなくなる


だから危険、それ以上は止めなさい。


今まで通り行きましょう。と、


過保護な自分の防衛反応が出てきてしまう。






過保護な自分は


自分の成長を止めて劣等感を作り出す。


少し動いては止めてしまい


少し始めては辞めさせる


我が子のような自分に機会を与えながら


なぜか機会を奪ってしまう。


アクセルとブレーキを同時に踏むような


優柔不断な劣等感と過保護の関係。







自分に「できない」劣等感を抱くなら


最初から、「課題」なんか作らない方がいい。


「課題」をやっても、やらなくても


途中で辞めたって、死にはしない。


何度も何度も矛盾を繰り返しながら、


今も無事に生きているから。


必要最低限の知識や行動だけで


十分のびのび過ごして行ける。







否定感を抱きながら


内に向かって自分を過保護に愛する者と


肯定感を抱きながら


外に向かって自分を見守り愛する者がいる。


どちらも自分を愛しているってこと。


どちらが良い悪いもなく


どちらのコースを選んでいるかの違いだけ。






行動ができない時


自分自身を過保護して


成長することを邪魔してしまうから


苦しいんだ。


そんな時は


今ある「課題」らしきものを全て放棄して


やりたいようにやれば良い。






誰かのためにと言いながら、


誰かのせいだと言いながら、


結局、自分が1番可愛い。


自己愛を見つめて自覚するために


人は成長し続ける。