暗殺の、奈落で歌う恋(「れん」と読みます)がメンテ明けの報告でようやく65になりました
この娘はもともと、陽炎や夢影の昇進試験をこなすため、敵国(当時は三好)につくったひとりぼっちの娘だったので、当初はなんとなく育成が遅れ気味だったのです
目的の目付試験が終了した後は、スグに雑賀に移籍
刀・召喚・神典とチームを組んで、どうにかカンストまで辿りつくコトができました
が・・・
7月の上旬にはまたしても新章が発表され、レベル上限が70になるのですね;;
せっかくレベルカンストして、あとは覚醒と装備を煮詰めるだけと思っていたのになぁ
ホント、こうゆう点に関しては、際限のない作業ゲーに堕してますよねぇ
新章では、育成の難易度を下げる方向にシフトするようなハナシですケド、一体どんなカンジに緩和するつもりなのやら・・・
すくなくとも隠れ里⇒ 中級クエ⇒ 続・中級クエの延長みたいな流れはカンベンですよね
続々・中級クエストとかいって、60から65まで3日で達成とか、この企業とこの運営なら充分すぎるほどありそうでコワイです^^;
誕生から65までが、だいたい1週間とかねw
現状、このゲームは、キャラの育成と日々のこまごまとした日課的作業をやらせるコトで、ユーザーのログインをどうにか繋ぎとめ、それによってかろじて延命してます
でも、ゲームとしての本来の楽しさ・魅力をどれくらいブラッシュアップできるかこそが、アップデートや新章追加において望まれる本筋のハズ
新技能の追加も、そりゃそれで結構ですケド、どうせまた覚醒という筋トレをやらされるんだろうしなぁ
レベル上限を上げ、覚醒を育成し、そうやってステータスを上げるコトに、一体どれほどの意味があるのかしらん
なかば盆栽みたいなモノですよね
日々こまめに手入れをし、ちょっとずつちょっとずつ完成度が高まっていくのを見て、悦に入ってる老人の自己満足みたいな、そんな景色に見えて仕方がないのです
ステアップも、覚醒も、装備の付与も、個人の好み程度のモノにしとかないと、金持ちや暇を持て余したヒッキー、一緒に遊べる知り合いが多いヒトといった、一部のバチャ充(仮想世界で充実した生活を送っているヒト ⇔ リア充)くらいしか続かないんじゃないかしら、このゲーム
そうなると、ほぼ独りで行動していて、貫も装備もロクに所持していない・・・ そんなワタシみたいな、リアルもバーチャルも充実してないヒトが楽しめる場所は、もう此処にはないってコトなのでせうかw
なんてゆうか、もっとこう、自由度ってゆうのかな
装備の制限とか、育成の方向付けとか、遊び方の幅とか
そうゆうのを自由に解放する方向って、志向できないものなのかなぁ
去年だったか、鳳凰の章の宣伝でライブ動画を配信した時、渡辺Pが使った鍛冶の名前は自由度無限大だったハズなのにw
現状では武士くらいですよね、方向性にバリエーション出してる特化って・・・
最近では、刀鍛冶に鉄砲装備ってゆうのが vs 慶次戦においては有効らしいですケド、そうゆう工夫って、もっと各自が色々やれたほうが楽しいと思うんだケドなぁ
槍装備の神典とか、棍棒装備の武士とか、素手の僧兵とかw
どうしてそうゆう方向での味付けは考えつかないのかなぁ
素手の僧兵なんてカコ良いですよねぇ、少林モンクってかんじでw
回復しない薬師がいたっていいですよね
回復以外で回復を補える方向があれば良いのですもん
敵N全体に対する天狗みたいな(天狗は対人専用だけど)神技能あれば、回復量がショボくたって修験の時代がやってくるハズw
あるいは密教の阿鼻みたいに、敵を呪って、その分が自徒党の回復になる技能を巫蠱クラスに強化したら、それはそれでアリな戦い方になりますもんね
閻魔やエコーみたいに、殴って詠唱を付与したって良いですしw
ステータスに依存しすぎた味付けが、現状の悪循環の根源という気がしてなりません
そしてそれは、コーエーが延命のために発明したやりくちです
ステアップには、膨大な時間と、数限りない神秘のドロップ、そして運まかせの付与石作成
その三つによって成り立っているのですもんね
いまでこそ神秘は取引可になりましたケド、どうせまた新章では更なる高性能な神秘と装備が実装されるのでしょうから、コーエーが方針を変更しない限り、この路線はほぼ確定
コーエーの延命策に乗せられて、今後もきっと、ステ依存は加速してゆくのでしょう
ステに依存しすぎるから火力のインフレが発生し、それでもなんとかカタチを繕うために、敵の生命は異常に高くなって、それを攻略するために新章では更なる高火力の新技能が・・・
やがてバカバカしくなって、離脱してゆくヒトが後を絶たないのは当然だと思います
徒党の各自が、各々の手持ち技能を、どんなタイミングで、どうゆう意図をもって行使し、それによって、どうゆう戦況を招来するか
このゲーム本来の醍醐味ってゆうのは、そうゆうモノだったんじゃないのかなぁ
高ステ必須で、そのステがないと何をどうしようとどうにもならないなんてゆうのは、もはやゲームじゃないです
企画や開発や運営のヒトは、昨今のトレーディングカードゲームでも勉強し直してみたほうが良いです
職や技能はカードゲームにおける手札、あるいは麻雀における配牌です
手持ちの札・牌で、如何なる戦局を切り拓くかが楽しいのです
その戦局がステータスに縛られてしまうモノだったら、手札が手札じゃなくなるのです
手札はきちんと機能するが、機能する上でどの程度のモノになるか・・・ それを確定するための引数として、補助的に用いるのがステ
そうゆう方向に味付けしないと、新規のヒトなんかやってられないですよね(現状、新規のヒトなんてほとんどいなそうですケドw)
もし、必須のステがあるとすれば、それはきっと「運」のステータスです
戦闘も生産もドロップも、運が高いほど良いのを引きやすいのですから、コレを実装するのです
たとえば、戦闘画面に切り替わる時に、小ウィンドウ展開
乱数がクルクル回って、Aボタンでストップ
そのとき出た目が、各自のその戦闘におけるラック補正値
それで充分なんじゃないかな
与ダメも、被ダメも、回避も、痛恨も、サポの成功率も、回復量も、ぜんぶ運で処理できるのですもん
その運のステだけを、戦闘や生産のたびごとに決定するシステムに切り替えちゃえば良いのです
装備の選択なんてゆうのは、ホントに見た目の好みとか、その装備じゃないとできない技能のためだけのモノにしちゃう
価値8以上の鼓じゃないと使えない技能とか、素手じゃないと使えない技能とかね
で、あとは各自の手札と、その手札の切り方
充分ですよね?
個人のスキル(キャラの、じゃなくて中身のヒトのスキルね)こそが、求めるべき至上のモノ
ワタシは常々そう考えています
<奈落で歌う恋:忘れた頃に もう一度逢えたら 仲良くしてね>
この世の果てで恋を唄う少女 YU-NO/エルフ(ELF)

¥8,190
Amazon.co.jp
この娘はもともと、陽炎や夢影の昇進試験をこなすため、敵国(当時は三好)につくったひとりぼっちの娘だったので、当初はなんとなく育成が遅れ気味だったのです
目的の目付試験が終了した後は、スグに雑賀に移籍
刀・召喚・神典とチームを組んで、どうにかカンストまで辿りつくコトができました
が・・・
7月の上旬にはまたしても新章が発表され、レベル上限が70になるのですね;;
せっかくレベルカンストして、あとは覚醒と装備を煮詰めるだけと思っていたのになぁ
ホント、こうゆう点に関しては、際限のない作業ゲーに堕してますよねぇ
新章では、育成の難易度を下げる方向にシフトするようなハナシですケド、一体どんなカンジに緩和するつもりなのやら・・・
すくなくとも隠れ里⇒ 中級クエ⇒ 続・中級クエの延長みたいな流れはカンベンですよね
続々・中級クエストとかいって、60から65まで3日で達成とか、この企業とこの運営なら充分すぎるほどありそうでコワイです^^;
誕生から65までが、だいたい1週間とかねw
現状、このゲームは、キャラの育成と日々のこまごまとした日課的作業をやらせるコトで、ユーザーのログインをどうにか繋ぎとめ、それによってかろじて延命してます
でも、ゲームとしての本来の楽しさ・魅力をどれくらいブラッシュアップできるかこそが、アップデートや新章追加において望まれる本筋のハズ
新技能の追加も、そりゃそれで結構ですケド、どうせまた覚醒という筋トレをやらされるんだろうしなぁ
レベル上限を上げ、覚醒を育成し、そうやってステータスを上げるコトに、一体どれほどの意味があるのかしらん
なかば盆栽みたいなモノですよね
日々こまめに手入れをし、ちょっとずつちょっとずつ完成度が高まっていくのを見て、悦に入ってる老人の自己満足みたいな、そんな景色に見えて仕方がないのです
ステアップも、覚醒も、装備の付与も、個人の好み程度のモノにしとかないと、金持ちや暇を持て余したヒッキー、一緒に遊べる知り合いが多いヒトといった、一部のバチャ充(仮想世界で充実した生活を送っているヒト ⇔ リア充)くらいしか続かないんじゃないかしら、このゲーム
そうなると、ほぼ独りで行動していて、貫も装備もロクに所持していない・・・ そんなワタシみたいな、リアルもバーチャルも充実してないヒトが楽しめる場所は、もう此処にはないってコトなのでせうかw
なんてゆうか、もっとこう、自由度ってゆうのかな
装備の制限とか、育成の方向付けとか、遊び方の幅とか
そうゆうのを自由に解放する方向って、志向できないものなのかなぁ
去年だったか、鳳凰の章の宣伝でライブ動画を配信した時、渡辺Pが使った鍛冶の名前は自由度無限大だったハズなのにw
現状では武士くらいですよね、方向性にバリエーション出してる特化って・・・
最近では、刀鍛冶に鉄砲装備ってゆうのが vs 慶次戦においては有効らしいですケド、そうゆう工夫って、もっと各自が色々やれたほうが楽しいと思うんだケドなぁ
槍装備の神典とか、棍棒装備の武士とか、素手の僧兵とかw
どうしてそうゆう方向での味付けは考えつかないのかなぁ
素手の僧兵なんてカコ良いですよねぇ、少林モンクってかんじでw
回復しない薬師がいたっていいですよね
回復以外で回復を補える方向があれば良いのですもん
敵N全体に対する天狗みたいな(天狗は対人専用だけど)神技能あれば、回復量がショボくたって修験の時代がやってくるハズw
あるいは密教の阿鼻みたいに、敵を呪って、その分が自徒党の回復になる技能を巫蠱クラスに強化したら、それはそれでアリな戦い方になりますもんね
閻魔やエコーみたいに、殴って詠唱を付与したって良いですしw
ステータスに依存しすぎた味付けが、現状の悪循環の根源という気がしてなりません
そしてそれは、コーエーが延命のために発明したやりくちです
ステアップには、膨大な時間と、数限りない神秘のドロップ、そして運まかせの付与石作成
その三つによって成り立っているのですもんね
いまでこそ神秘は取引可になりましたケド、どうせまた新章では更なる高性能な神秘と装備が実装されるのでしょうから、コーエーが方針を変更しない限り、この路線はほぼ確定
コーエーの延命策に乗せられて、今後もきっと、ステ依存は加速してゆくのでしょう
ステに依存しすぎるから火力のインフレが発生し、それでもなんとかカタチを繕うために、敵の生命は異常に高くなって、それを攻略するために新章では更なる高火力の新技能が・・・
やがてバカバカしくなって、離脱してゆくヒトが後を絶たないのは当然だと思います
徒党の各自が、各々の手持ち技能を、どんなタイミングで、どうゆう意図をもって行使し、それによって、どうゆう戦況を招来するか
このゲーム本来の醍醐味ってゆうのは、そうゆうモノだったんじゃないのかなぁ
高ステ必須で、そのステがないと何をどうしようとどうにもならないなんてゆうのは、もはやゲームじゃないです
企画や開発や運営のヒトは、昨今のトレーディングカードゲームでも勉強し直してみたほうが良いです
職や技能はカードゲームにおける手札、あるいは麻雀における配牌です
手持ちの札・牌で、如何なる戦局を切り拓くかが楽しいのです
その戦局がステータスに縛られてしまうモノだったら、手札が手札じゃなくなるのです
手札はきちんと機能するが、機能する上でどの程度のモノになるか・・・ それを確定するための引数として、補助的に用いるのがステ
そうゆう方向に味付けしないと、新規のヒトなんかやってられないですよね(現状、新規のヒトなんてほとんどいなそうですケドw)
もし、必須のステがあるとすれば、それはきっと「運」のステータスです
戦闘も生産もドロップも、運が高いほど良いのを引きやすいのですから、コレを実装するのです
たとえば、戦闘画面に切り替わる時に、小ウィンドウ展開
乱数がクルクル回って、Aボタンでストップ
そのとき出た目が、各自のその戦闘におけるラック補正値
それで充分なんじゃないかな
与ダメも、被ダメも、回避も、痛恨も、サポの成功率も、回復量も、ぜんぶ運で処理できるのですもん
その運のステだけを、戦闘や生産のたびごとに決定するシステムに切り替えちゃえば良いのです
装備の選択なんてゆうのは、ホントに見た目の好みとか、その装備じゃないとできない技能のためだけのモノにしちゃう
価値8以上の鼓じゃないと使えない技能とか、素手じゃないと使えない技能とかね
で、あとは各自の手札と、その手札の切り方
充分ですよね?
個人のスキル(キャラの、じゃなくて中身のヒトのスキルね)こそが、求めるべき至上のモノ
ワタシは常々そう考えています
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