雨が心配で徒歩散歩
台風は随分大きいようですね、土佐から日本海に北上して抜けるまでの時間も長そう。直撃を受ける地域には義兄や友人や縁故の有る方々もいらっしゃるので、尚更気がかり。住んでいるさいたま市の外れも 今朝は強い雨が降った。なので、雨が落ち着いてから傘を持って 徒歩散歩に出かけた。結局降られなかったし、空はますます明るくなったし、好天でさえあるかな。で、荒川には行かず、ご近所散策・探検。まずはいつもいつかドアを開けようと思いつつ、行ってない中華屋さん。お名前が面白いと思っていましたが、浦和界隈には同名のお店が何軒かあるようだ。一回りして帰路に着き、雨も大丈夫そうなので、サイトシーイング。ドローンの学校もあった。費用が書いてないけど、卒業後資格試験とかあるのかな、、この辺りは土合(つちあい)と言い、土合村が浦和市に編入されたらしい。それで役所は土合支所となっているようだ。見えにくいけど。この建物と向き合って土合公民館がある。せっせと散歩しつつ、氷川神社には《田島の獅子舞》と呼ばれるさいたま市指定無形民俗文化財があり、年に何度か演じられる。一度見に行きましたが、とても古い踊りのようだった。シンメトリックな配置で、同じ所作を何人かが繰り返すのです。今日は裏の公園から入った。境内に近づいても、台風のせいか お参りする人は居なかった。社殿と杜。神社にはこの鬱蒼とした木々の杜が重要かも。鏡池(と呼んでいいのかな?)に大きな鯉が 悠然と泳いでいた。主として良いか。複数いるようなので どっちかが池の主。りっぱな魚影で、近くの料理屋で供される鯉こくに 負けない太さがある。奈良時代に 大伴池主という中級官僚がいました。大伴旅人は令和ですが、その息子の大伴家持29歳の時に越中の国守として赴任する時、大伴池主を伴っているのです。彼は掾(じょう)でしたから、いわばナンバー3でした。この二人は 何度も歌をやり取りするのです、ナンバー2の次官を差し置いて、それも相聞ごときを(笑) どうやら二人はそのような仲だったらしい。家持には坂上大嬢(さかのうえのおおいらつめ)という妻がいたのに、ね。万葉家人の大伴坂上郎女は大嬢の母親なので、家持の姑さんになる。池主とも交流があったはず。尤も、日本の歴史の中では 男色は悪ではないし、身分の上下は関係なく そのような事態に至ったようだ。例えば、童子に明かりを持たせながら夜道を歩く歌舞伎の女形が 頭上に乗せる野郎頭巾は、坊さんに売春に行く道行で普通の出来事でした。僧籍にあるお坊さんも淫行は破戒でも 相手が男ならお咎めなし、とかで。で、次は清々しく 御岳神社。大きな杜は無いけれど、名残の木々はある。本殿市指定の文化財もあるようだけど、開陳する日もあるのかな?ただ、主人公の普寛さんは《秩父三峰山で、天台、真言両宗の奥義を極めた》と書かれていますが、本当なのだろうか。。享保16年(1731)生まれとあるので、確かに昔と比べれば 情報量は相当だったとは思うのですけど。この神社の向かい側に 田島公民館があって、今のところ 投票所としてしか親しくないけれど、公民館活動もいろいろあるらしく、ヒマになりそうなので 覗いてみてもいいかな。帰宅後は 家内が作った味噌汁に辣油。今日も熱中症にならないよう気をつけつつ 暮らさねば。。