20210529玄武の話
中国の四神は 青、朱(赤)、白、玄(黒)の色で表されます。この言葉は日本に入って、『青い』『赤い』『白い』『黒い』と 『~い』で指し示せる色となりました。ほかの色は 『黄色』『緑色』とか必ず『色』と言う文字をを要求しますから、ほんと言葉は面白いですね。『青色い』のようにも決して言いません。日本社会にやって来た四色は青春、朱夏、白秋、玄冬と季節の言葉でもありますが、青龍、朱雀、白虎、玄武と想像上の動物?としても表されます。このうち龍、雀、虎はなんとなく想像つきますが、玄武がよく分かりません。次の図は平安神宮のサイトからお借りしました。(その他 これからの図は 様々なサイトからの引用です。)青龍は蒼龍となっていますが、蒼と青とは同じでしょう。本日のテーマは 北の玄武です。なぜか その蛇の形が気になって 落ち着かなかったのです。古代史上有名な高松塚古墳では 盗掘で破壊された南面の朱雀以外を見ることができます。≪高松塚古墳 玄武≫キトラ古墳では ついに明快な四神が出まして、私たちはその全てを見ることができます。≪キトラ古墳 玄武≫ かなり保存状態が良いので とても見やすい玄武です。さらに素晴らしい図が 半島の高句麗古墳群の末期の江西大墓(6世紀末から7世紀初)にあり、芸術的にも最高峰の四神が描かれています。≪江西(カンソ)古墳 玄武≫玄武がだんだんと はっきりしてきましたね。江西古墳の図は 生き生きとして躍動的で 素晴らしい。以上のように 玄武とは亀と蛇とが絡まっている姿のようです。イラストでは より分かりやすく描かれたものがありました。味わいとしては 個人的には もう少しデフォルメした感じが好きかも奈良の薬師寺の有名な玄武のレリーフも同じ形態です。≪薬師寺≫薬師寺は天武天皇が皇后(後の持統天皇)の病気平癒を祈願して680年11月に建立を誓願しましたが、平城京遷都後718年に現在地に移転しています。上記三基の古墳は 6世紀後半から7世紀の初めに作られたと言われていますが、時代的には藤原京つまりは持統、文武、元明の三代で、美術史的には白鳳期に当たるのでしょう。飛鳥時代は都(大王の住む所)は飛鳥の中を移動するのですが、藤原京は 多分定住の地として、計画されたはず。結果的にはそうは行きませんでしたが、この後の都市計画の雛型になったのでした。で、このような時代に作られた蛇の形が 揃って丸く紐状に伸びています。とぐろを巻いてない姿を 敢えて使う意味が分かりませんでした。より昔話になりますが、志賀島で発見された金印(国宝)の鈕(ちゅう・つまみ)は蛇で、とぐろを巻いているように見受けられます。鈕はつまみと言うより、紐を通す穴の装飾化したもので、この形は銅鏡にもあります。この蛇は伸びていません。≪金印≫いよいよ結論です、四神のモデルになった蛇は『死んでいる』のです。最後に死んだ蛇の図を掲げておりますので、お嫌いな方は ここまででお引き取りください。≪薬師寺薬師如来坐像≫ 薬壺を持っていませんが、持たない薬師如来さまは 多数あります。如来像の前に置かれた壺は 薬壺なのでしょうけれど、時代は下がって後付けかも。薬師如来の話は またいつかするとして、四神の玄武の蛇が 死んだ蛇と知らされたのは、2019の台風の後、荒川土手で シマヘビの死体を見た時でした。 これか!と 完全に納得いたしました。最後に その時の記録写真を掲載いたします。その前に、、 我が家には かつて青大将が玄関から遊びに来たことが有ります。親から 蛇は大切にしろと言われていたので、捕まえてなにか餌でもやろうとドアを閉め掛けましたら、逃げようとした青大将が挟まってしまい、しかたなく開け放って、何の功徳も善行も積めずに 放ちました。惜しかった。でも その後 道端を進む青大将と出会ったので、先日の挨拶の続きかなと ほっくりした心持になりました。では 生気の無い蛇の図ながながお付き合いくださいまして ありがとうございました。