人はパンのみにて生きるにあらずでセラは生きている辛うじて | ロードバイクとオートバイ

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今の目標は,毎週乗ることです。皆さんのブログで元気をいただきつつ,頑張ります。

お久しぶりです。


母が心不全で入退院したり、五十肩というわけのわからん肩痛に悩まされてたりで、ここ1カ月全く練習しませんでした。ライドもランもなし。なのでブログも書くことなくてさ〜(´・ω・`)


肩痛は一段落した…………かなあ?


3月20日は祭日でしたけど、寝返りを打つたびに痛みで目が覚めたりで寝たんだか、寝てないんだかで、ほとんど布団の中で過ごしました。あの日がどうやらピークだったみたいです。


常に鈍痛があり、上着を羽織ったりちょっと右手を伸ばしたりすると激痛が走ること1日に数回。そんな状態がずっと続いていました。今日は、仕事をしていてもそれほど気になりませんでしたが、夕方郵便局に行こうと上着を羽織ったら「はうぅ!!(>人<;)」という激痛が走り、完全に治ったわけではないですが、そろそろ身体を動かしたいと思ってます。


明日、セラ家の墓参り。

日曜日、友人家の墓参り。


お彼岸ですものね〜3月は、走行距離0kmかもですねwww(´・∀・`)ホントままならないわ(´・ω・`)


仕事の方は、雇用主がどうも体調が今ひとつなようで、自宅で書面書いたりしてることが多くなりました。その書面を送ったり提出しにいったりするのは事務員の仕事なので、雇用主は自宅でも十分仕事ができます。でも、あまりに不在が続くと、電話でまた不在なんすかみたいな感じに言われますけど、雇用主も人間なので限界があります。色々気を回す仕事なので、無理してやることもないよなあ、別に私が60歳になるのを待たずに、雇用主は事務所畳んで穏やかに暮らした方がいいのではないのだろうかと思いはじめました。事務員がいなくても受ける案件を選べば一人でもできますからねえ。正直、いつクビにしてくれてもいいです。


さて、次は何をするかなあ? サラリーマンとしてはもうどこにも使われませんけどね〜独り身なら何をしてもどうにかなるでしょう。


そんな中で、昔読んでいた最初の入門書がAmazonで、なんと、2円で売っていましたので購入して久しぶりに読んでみました。

昔、図書館で読んでいて、何回も借りていたので手元に欲しいなと思ったのですが、1974年初版の古い本なので、当然に絶版ですので一般書店には置いておらず、偶然、神保町の古本屋で見つけたときは小躍りしました♪  そのとき、1993年くらいかなあ、2000円くらいの値段が付いていたと思います。そうやって手に入れてもいつしかなくなってしまっていたのですが、便利な世の中になったものです。

奥付を見ると、なんと初版1刷。50年前の本なんだ( ゚д゚)


この本、聖書の入門書というよりも、信仰とはどういうものかを説明している本でした。どうやら、著者の荒井智先生は、高校生くらいをターゲットに書かれたようですが、20歳代半ばで読んだときもとてもためになり、50歳代後半の今読んでもためになりました。


聖書を無批判にありがたがって読むのではなく、どうしてヘブライ人の中にユダヤ教というものができて旧約聖書の文書群が書かれたのかとか、ローマ支配下のパレスチナでイエスが登場し、どういう過程でパウロの書簡や福音書が書かれていたのかを理解して読まなければ、聖書が語ることの上部しかわからないということを教えてくれた本でした。


生きる糧よな信仰とは。人はパンのみによって生きるにあらずです。糧ゆえに生活に密着したのもですので、その時代、その場所、その立場で自ずと信仰の内容は違ってきます。


ユダヤ人の祖アブラハム(の子イサクの子ヤコブの子ヨセフ)の神

エジプトの奴隷の軛からイスラエルの民を解放したモーセの神

イエスキリストの父なる神

は時代も場所も立場も違うので、別の神です。


まー、キリスト教もローマから大変な迫害を受けて、今度は逆に、ローマ支配者から人心把握に利用するために国教化され、ローマ教皇というのが自分たちの利益のためにゲルマン人に戴冠して中々アレな中世ヨーロッパ世界を作ったり、宣教師の後に軍隊を派遣して植民地化したり、イエスさまも元々の教えたは全く関係のないことに利用されてきたような気もしますが、現代キリスト教(少なくともプロテスタント)はそれらとはあまり関係ないように思います。


私も熱心に教会に通っていたときもありましたが、今はまあ、年に一度のみのお詣りになってしまい教会とも縁遠くなってしまいましたが、また熱心に通う日が来るかもしれません。


そんなこんなで、練習を再開したらまた書きにきますヽ(*´∀`)


おしまい