現状
先週、元婚約者JがL.A.に来ていた。
私より2年早くテニュアトラックが決まったJの場合、私より2年早くテニュア審査が行われる。
いや、私の大学は確か6年目ではなくて7年目がレビューなので3年かもしれない。
とにかく、リサーチのノルマを果たす期間が近づいているわけで、会うごとに切迫感が増している。
大学が認める業績を積めなくて、テニュアをもらえないと、そこから先はかなり厳しい。
たとえばUVAの先生でもらえなかったひとはその後Wayne State Uに格下げになり、
温暖なシャーロッツヴィルから厳寒のデトロイトに飛ぶことになった。
UVAの英文学は全米10位だか11位だから、そこからの転落ならまだ仕事がみつかるだけいい。
まあJというひとは基本的に存在そのものが危機感といってもいいぐらいなのだけれども、
「今年ひとつぐらいは記事を出した方がいいよ」という忠告をもらった。
テニュアトラックを手にするかどうかは、ひとつのふるい。
テニュアをとれるかどうかは、次のふるい。
それはわかってる、とか言っても本当に出さないといけないと思ってる記事にはとりかかっていない。
、、などと思っていたら今月のPMLAに同期のM.Lunbladの記事が載っていた。
アソシエートプロフェサー級の研究者と堂々と渡り合う、なめらかな文章。
こういうのは外から受ける華やかな感じと違って、各自努力の積み重ねなのだけれど。
これは結構ショック。
世の中では、各々ちゃくちゃくと仕事を進めているのだ。
彼は同期だけれどもMAを持って入ってきたから、私よりも研究は2年先を進んでるし
コロラド大に行く前のシラキューズ大学でのポスドク期間もあったとはいえ
私が2年後にそこまでいけるかどうかということを考えると、そろそろまずいかもしれない。
仕事が決まって1年は、休んでよかったと思っている。でもそろそろギアシフトが必要かな。
たとえば
みたいなものには本当に感激してしまうのだけれど、
たとえばお金があるひとがゴージャスなお食事に連れて行ってくれるのも
同じぐらい無理してるのであれば同じぐらい素的なのかもしれない。
誰かが無理して自分に何かをしてくれるというお話に結構弱いというのは、
自分にそれだけのことをしてあげてないのかもしれない。
