ぎょ
一昨日の朝メールあけたら父親から「FW: 縁談」とかいうメールがきてて肝をつぶした。
まるまる二日間かかってようやく事情を言語化できるほどのショックであった。
いわく:
”XX大使
お嬢様の縁談ですがこんなのがありますが・・・忌憚のないご意見をどうぞ!
もし会ってみようといわれるならアレンジします。
本人は XX と言います。34歳くらい。兄弟は妹一人で米国人と結婚してフロリダに居住。
本人は 185 cmくらいの長身で手と足が長い典型的なゴルフ選手型。PGAプロは公認会計士
なみに書類の試験が難しく(ゴルフうまいだけのアホはなれません)、西海岸では日本人では唯一。
ゴルフそのものよりゴルフ場の経営が出来る事が大事みたい。
ゴルフプロといっても競技よりも、ゴルフ場の経営が本職でXX市(お嬢様の大学の
すぐ近く)市営の高級ゴルフコースXX の経営幹部で Director of Golfをやっています
(ゴルフのインストラクターなどではないので念の為)。
ここはこの辺での最難関コースですが、僕は毎週の様に安い特別料金でプレーさせてもらっています。
本人もお嬢様の大学に近いOrangeに友人とroom shareで居住。モテていますでしょう。
XX君はお父様のXX銀行LA支店勤務時代に LAで誕生(ゆえに米国籍)、
そのままずっと米国で高校はお父様の勤務の関係でグアム島。その後パパーダイン大学に。
大学時代チームで学生チャンピオンになったらしい。
米国暮らし長いのに性格は 100%日本人で、まじめ。
「嫁さんは両親とうまくやっていって欲しいから絶対日本生まれの日本人」と。性格のんびりで良い。
明日ゴルフ場で会いますのでXX氏の名前は伏せてお見合いの気があるか聞いてみます
(昨年は是非お見合いしたと言っていた)。
お嬢様ゴルフされますか? それにお歳の方は?XX君は時々ウチに食事に来るので、
ウチでお引き合わせする事は可能ですが。”
いかにも好青年らしく身に余る光栄ですが、いつ誰が縁談探してくれっていう、、?!
それは「あたしの同級生みんなけっこんするんだってさ~なによう」とかこの夏言った。言ったよ。
言ったが「だからけっこんする相手探してください」とは言ってない。
と思う気持ち70%ぐらい。
「こういうのおもしろいね」というの30%。
ただし
-プロゴルファーていう職業がよくわかんない
-ゴルフに興味があったらすばらしい気がするがなんちゃらアイアンを握ったこともないよ?
-「もてていますでしょう」というのはどうだろうかね
-パパダイン大学てどういう大学なの
さてなんと返事したものか。
Whole Foods
スーパーマーケットWhole FoodsのCEOがオバマ健康保険改善案に反対意見意見 を書いた
ということでブーイングをうけているらしいですね。ボイコット運動まででてきてる。
オバマ案に反対してるCEOなんてわんさかいるのに、なぜWhole Foodsだけがそんなに怒りを買うのか。
オーガニックその他グリーンにこだわるWhole Foodsは中流リベラルの支持で成り立ってきたのに、
その社長がオバマ案をサポートしないとは、ということらしい。
けどWhole Foodsなんてビジネスなんだから当たり前じゃない?
もともとがどういう会社だったか、ということはともかく、ここまで巨大になってしまうと
リベラル層の嗜好にあわせてビジネスしてるからって別にリベラルなわけじゃない、という。
そもそも、どの程度がWhole Foodsに対する「正当な怒り」なのかどうかというところが疑問。
だって、高いもの。Whole Foodsで買い物するほど普通のリベラルはリッチじゃないと思うのね。
だけど、「高いからWhole Foodsで買い物できない」というのはかっこ悪いけど、
「Whole Foodsのやり方が許せないからボイコットする」というと同じ買い物しないのでもかっこがつく。
みたいな心理、どこかに働いてるんじゃないの?
とWhole Foodsボイコッターたちにクールな視線を送ってみる。
レセプションにて
社会学の同僚と話をしていてふと思い出したことがら。
数年前シャーロッツヴィルにいる頃、Festival of Photographyというのがあって
写真家Ashley Gilbertson の展示・トークに行った。
当時イラクから帰ってきたばかりのGilbertsonの写真は、痛々しいイラクの傷跡が被写体で
ブッシュ政権下のアメリカのイラク介入以降、いつでも(今でも)バグダッドの風景は
小学生だった私の記憶とあまりに落差が激しくてショックを受ける。
私の覚えている街は炎に包まれてもいなかったし、死体が路上に転がってもいなかった。
薔薇園があり、クラシックコンサートが催され、斬新な近代化の勢いがあり。
野良犬はいたし、生活物資がなくなったりもしたし、戦死者の黒幕はあったけれども。
記憶というものは歪んだものなのではあるけれど、こういう問答があった。
ある年配の女性が「あなたは、なぜ日常風景を撮らないのですか、こういったむごたらしい
ことばかりではないでしょう?」という質問をしたところ、Gilbertsonはこう言った。
「外でここまですさまじいことが起こっているのに、食卓風景なんかとったって仕方ないでしょう。」
外でそこまですさまじいことが起こっていたら、食卓風景は、すさまじいことが
起こっていない場所での食卓風景とはまったく違うのに、と思った。
もしも一日一日、家族の無事がありがたいと思う状況であったら、みんながひとつの食卓を
囲めること自体が奇跡的だろうし、その価値を理解できる食卓などという風景の残像こそ
意味があるものじゃないのか、ということなのだけれども。
無残な死体を写すことよりもよっぽどイラク人の命の価値がわかろうものではないだろうか。
ここに人間として価値を守るべきである、壊してはいけないものがある、
そういう写真をとってこそアメリカ人の意識を変えることができる。
我々と違ってこんな風に無残な死体が転がっている場所のひとびとなのだ、
と思えるような写真は、こんなにもレベルの低い国なのだ、我々が(侵略して)
救ってあげなければいけないのだ、なんて恐ろしい国なのだ、ああ良かった我々の国でなくて。
そういう風に思う写真を撮れば撮るほど、アメリカの介入が正当化されるのは、
かつてヨーロッパ諸国がアフリカやアジアに侵略していった精神構造と全く変わらない。
イラクを被写体にする、「真実を伝える」、そういった思考を裏付けている事柄に
紛争を無くそうとすることがない限り、そのために然るべき考え方を変えるような作品でないならば、
芸術的価値は皆無だと思った。
「NYに帰ってきて、カクテル片手にパーティーなんかにいると、イラクにいる時のような
存在意義がなくなり、誰でもないひとになってしまう気がする」と彼は続けた。
イラクに育った子供にとって、あなたのくだらない存在意義なんてどうでもいい。