60. ハートブレイク太陽族/スターボー (1982)
宇宙から来た性別不明の3人組アイドルという設定だったスターボーのデビュー・シングル。作詞が松本隆で作曲・編曲が細野晴臣。当時、話題にはなっていたがそれほど売れなかった。しかし、テクノ歌謡というサブジャンルが後に再評価されたり語られたりする際に、けして避けては通れない楽曲として認知されているような気がする。
59. See You Again/高野寛 (1988)
高橋幸宏がプロデュースしたデビュー・シングル。音楽的にはトッド・ラングレンの影響が感じられ、いつもそばにいる訳ではないからこそ、独立した個人同士としてお互いを尊重し合えるというような、当時の性愛至上主義的な風潮に一矢を報いるようなところもある新感覚のラヴ・ソング。90年代に入り、トッド・ラングレンのプロデュースで「虹の都へ」を大ヒットさせる。
58. MOON/レベッカ (1987)
アルバム「Poison」に収録され、後にシングル・カットもされた。ごく一般的な中高生から広く支持されていたような印象がある。洋楽テイストのサウンドに乗せて、10代の苦悩のようなものを歌った歌詞が共感を得ていたような気がする。
57. 彼女とTIP ON DUO/今井美樹 (1989)
モデル、女優として活動した後に歌手としてもデビューし、資生堂のCMに起用されたこの曲のヒットでブレイクした。とても聴きやすいボーカルと、都会的なサウンドが特徴で、コンサバティヴな層にひじょうに受けたような印象がある。
56. BE MY BABY/COMPLEX (1989)
吉川晃司と布袋寅泰によって結成された、スーパーユニットのデビュー・シングルで、当然のようにオリコン1位を記録した。意味よりも音としてのカッコよさを徹底的に追求したような潔さのようなものが感じられる。
55. これは恋ではない/ピチカート・ファイヴ (1988)
ボーカリストが田島貴男に替わってから最初のアルバム「ベリッシマ」に収録されていた曲。当時、賛否両論が大きく割れていた「汗知らずスーパー・スウィート・ソウル」路線の最たるもの。オリコン週間アルバムランキングでは最高97位と、セールス的には不遇の時代がまだ続いている。歌詞で「いとしのエリー」が引用されている。
54. わがままジュリエット/BOØWY (1986)
若者達の間で圧倒的な人気があったBOØWYだが、個人的にはロックなのに歌謡曲っぽくも感じられるところがどうにもよく分からなかった。それこそが魅力なのかもしれないと思えるようになるのはもっと後のことなのだが、この曲は有線放送などで聴いて、流行歌として良いなと感じてはいた。
53. 哀愁でいと/田原俊彦 (1980)
個人的にイエロー・マジック・オーケストラ「テクノポリス」(発売は1979年)や沢田研二「TOKIO」と同じぐらい、80年代の幕開けを感じさせられた曲である。「3年B組金八先生」は見ていなかったので、この曲で「ザ・ベストテン」に初登場した回で、初めて田原俊彦を見た。レイフ・ギャレット「ニューヨーク・シティ・ナイト」の日本語カバーなのだが、このとてつもない軽さは何なのだと衝撃を受け、時代が変わる瞬間を目撃したような気分にもさせられた。この曲の持つ軽さそのものになりたいとは、あれからずっと切に願っている(それはとても難しいことだが)。
52. MASSCOMMUNICATION BREAKDOWN/PREDIDENT B.P.M. (1986)
RUN D.M.C.の「ウォーク・ディス・ウェイ」が全米シングル・チャートでトップ10入りした年、近田春夫がPRESIDENT B.P.M.の名義でヒップホップのレコードを出した。ゴシップ主体のマスコミ批判やアイドルの恋愛する自由など、今日においてもリアルなトピックが扱われている。高木完、藤原ヒロシらが参加、ホーンのフレーズは平山三紀「真夏の出来事」から引用されている。
51. 思い出に間にあいたくて/松任谷由実 (1987)
アルバム「ダイアモンドダストが消えぬまに」収録曲で、特に代表曲ではない。この年、松任谷由実の過去の楽曲をフィーチャーした映画「私をスキーに連れてって」がヒットし、このアルバムから純愛三部作がはじまった。この曲の舞台は当時のJR新宿駅で、山手線の最終電車がイメージされている。
50. GLORIA/ZIGGY (1988)
80年代後半のバンドブームの特徴として、けして洋楽的だとは限らず、歌謡曲的な要素を持ったバンドや楽曲も結構あったということが挙げられるような気がする。この曲などはその最たるものであり、それが日本におけるロックの大衆化を促進したようなところもあるような気がする。
49. 待つ男/エレファントカシマシ (1988)
一部批評家やファンからは熱烈に支持されていたが、セールスは芳しくなく、孤高のバンドという佇まいだったのだが、ひじょうに熱量もクオリティーも高い2作目のアルバム「エレファントカシマシⅡ」の中でも、特に素晴らしい楽曲。バブル景気に浮かれる当時の日本において、独自のスタイルを確立していたといえる。
48. Woman・S/PSY・S (1986)
フェアライトCMIという当時、最先端のシンセサイザーを駆使した独特のサウンドとCHAKAの特徴的なボーカルが印象的だったPSY・Sだが、この曲は2作目のアルバム「PIC-NIC」からシングル・カットされ、明石家さんまのトークバラエティー番組「さんまのまんま」のエンディングでも使われていた。
47. エヴリデイ/Jitterin’Jinn (1989)
バンドブームを全国に広げたともいわれる「三宅裕司のいかすバンド天国」に出演し、イカ天キングに輝いた後にリリースされたデビュー・シングル。2ビートを基調としたサウンドとクールな女性ボーカルが特徴的で、90年代に入ってからも「プレゼント」「にちようび」などをヒットさせた。
46. 懐かしき80’s/杉真理 (1983)
杉真理は1982年に「バカンスはいつも雨(レイン)」をスマッシュヒットさせているが、この曲も含むアルバム「スターゲイザー」から、この「懐かしき80's」という曲は特に代表曲という訳でもない。「壊れたTV」のようになってしまった未来から80年代を懐かしみ、あの頃に帰りたいと歌われるこの曲は、実際に80年代の真っ只中に来るべき未来を想像して書かれたのだろうか。その先見性たるや相当なものではないかと思うのだ。
45. Soul Life/近田春夫&ビブラトーンズ (1981)
近田春夫&ビブラトーンズの素晴らしいアルバム「ミッドナイト・ピアニスト」は当時、それほどヒットしてはいない。その卓越したポップ・センスもさることながら、遊んでいる都会の若者達の生態を描いたポップ・ソング集という意味でもひじょうに価値が高い。シングル「金曜日の天使」とは歌詞違いだが、こちらの方がストリーミング配信されていて聴きやすいのと、寂れたディスコティークの感じがなんとなく良い。
44. ガールズ ブラボー!/レベッカ (1985)
ABブラザーズのメンバーとして活動していた中山秀征の主演テレビドラマ「ハーフポテトな俺たち」のオープニングテーマ。ブレイクのきっかけとなった「フレンズ」は同じドラマのエンディングテーマで、シングルではこちらの方がA面だった。おニャン子クラブ「セーラー服を脱がさないで」と同じ年にリリースされたガールズアンセム。
43. ハイスクールララバイ/イモ欽トリオ (1981)
テクノブームの終息は早かったが、その影響は歌謡ポップス全般に及んでいった。当時、視聴率王の名を欲しいままにしていた萩本欽一のバラエティー番組「欽ドン!良い子悪い子普通の子」出演していたメンバーによって結成されたのがイモ欽トリオである。細野晴臣が作曲・編曲したこの曲は、イエロー・マジック・オーケストラの高度なパロディーになっていて、オリコン週間シングルランキングで7週連続1位の大ヒットを記録した。メンバー同士がビンタをする振り付けは、後にモーニング娘。「わがまま 気のまま 愛のジョーク」に引用された。
42. 目を閉じておいでよ/バービー・ボーイズ (1989)
洋楽センス溢れる楽曲と男女掛け合いのボーカルにサックスと、バンドブームの中にあって独自の存在感を示していたバービー・ボーイズの代表曲である。オリコン週間シングルランキングでは最高8位を記録。まったくの余談だが、私の妹がこのバンドのファンだった。
41. 春咲小紅/矢野顕子 (1981)
当時、化粧品のCMソングからヒット曲が生まれがちだったが、これもそのうちの1曲である。テクノブームの真っ只中、イエロー・マジック・オーケストラのライブ映像などは普通にテレビでも見やすい状況にあったのだが、そこでキーボードを弾いたり時々、歌ったりでそれ以前の活動を知らない若者にとっても、矢野顕子は親しみやすい存在だったような気がする。
