80. まりン/飯島真理 (1983)
坂本龍一がプロデュースしたデビュー・アルバム「Rosé」の収録曲。タイトルは飯島真理の愛称として知られているが、ここで歌われているのは東急ハンズで購入したという鉄棒をするピエロの人形のことである。テレビアビメ「超時空要塞マクロス」のリン・ミンメイ役や劇場版主題歌「愛・おぼえていますか」のヒットや、「ミスDJリクエストパレード」のパーソナリティーとしても知られる。
79. いじわる/岡村靖幸 (1988)
2作目のアルバム「DATE」の収録曲でシングル・カットはされていないが、後にベスト・アルバム「早熟」にも収録された。プリンスとビートルズと松田聖子に影響を受けたという音楽性と、ここではその過剰な表現欲求が純真なエロファンクとして結実している。
78. 憂鬱天国/ピチカート・ファイヴ (1987)
ソニーに移籍して最初のアルバム「カップルズ」はソフトロックなどを参照したポップ・アルバムで、いまや日本のロック&ポップスの名盤として評価されているようなところがあるが、当時の日本の音楽リスナーやジャーナリズムには、一部のマニアを除いてなかなかハードルが高かったのではないかと思われる。個人的にも発売されてからわりとすぐに渋谷にあったCSVというレコード店で買ったのだが、なんだこのロックがまったく感じられない軟弱な音楽は、という感じで何度か聴いた後、投げ出してしまった。いま思うとそれだけ時代の先を行っていたということでもあるのだろうが、代表曲といえる曲は他にいろいろあるものの、個人的にはこの徹底的に不幸なシチュエーションをおしゃれな感覚で描写している曲が最高で、こういう不幸や悲しい状況をテーマにした作品こそが(熱心なファンではないが)ピチカート・ファイヴの真骨頂ではないかとも感じるのだ。
77. 区役所/近田春夫&ビブラトーンズ (1982)
LPレコードのサイズ、つまり12インチなのに45回転のレコードというのは当時の日本ではまだそれほど普及していなかったような気もする。4曲入りEPというのかミニ・アルバムというのか「VIBRA ROCK」にはとにかく独特のノリが感じられてとても良かった。1曲目に収録されたこの曲は、シニカルな歌詞も最高である。
76. ファーストデイト/岡田有希子 (1984)
竹内まりやが作詞・作曲したデビュー・シングル。愛知県内でもトップクラスの成績だったという優等生のイメージに沿ったかのような内容で、初めてのデートを前にして、不安と期待が入り混じる気持ちを楽曲のトーンによってあらわしているようでもある。
75. スノッブな夜へ/国分友里恵 (1983)
山下達郎や竹内まりやのツアーメンバーとしても知られる実力派シンガー、国分友里恵が林哲司のプロデュースでリリースしたデビュー・アルバム「Relief」の1曲目に収録されている曲。シティ・ポップ・リバイバルでの再評価も納得のクオリティーとポップ・ミュージックとしての現役感が感じられる。
74. レーダーマン/戸川純 (1984)
ニュー・ウェイヴ、サブ・カルチャー方面のポップ・アイコンとしてカルト的な人気を誇る戸川純のポテンシャルをできるだけキャッチーにプレゼンテーションしたかのような楽曲。この曲で「夜のヒットスタジオ」などにも出演していた。
73. Super Chance/1986オメガトライブ (1986)
カルロス・トシキの甘いボーカルとシティ・ポップ的なサウンドは当時、大ヒットしてはいたものの、シリアスな音楽ファンからは軟弱な流行歌としか見られていなかったような印象もあるが、昨今のシティ・ポップ・リバイバルによって、ポップ・ミュージックとしての強度が正当に評価されているように思える。
72. 天国のキッス/松田聖子 (1983)
細野晴臣が作曲・編曲したテクノ歌謡。松田聖子のアーティストパワーや、実際にポップでキャッチーではあるため、もちろんヒットはしたのだが、かなり実験的なこともやっているように聴こえる。イエロー・マジック・オーケストラ自身がテクノ歌謡化した「君に、胸キュン。」はこの曲に阻まれて、オリコン週間シングルランキングの1位を逃がした。
71. スローモーション/中森明菜 (1982)
「ちょっとエッチな美新人娘(ミルキーっこ)」というのがデビュー当時のキャッチフレーズで、2枚目のシングル「少女A」がヒットするとツッパリイメージが定着したりもするのだが、このデビュー・シングルにおいては、まだボーカルのスタイルが確立していないがゆえのピュアな魅力が感じられるのと、やはり楽曲そのものがものすごく良い。
70. ト・レ・モ・ロ/柏原芳恵 (1984)
80年代のアイドルポップス復興において、柏原芳恵(デビュー当時は柏原よしえ)が果たした役割は田原俊彦、松田聖子、河合奈保子らと並んで大きいように思える。17枚目のシングルとなるこの曲は打ち込みを効果的に用いたサウンドが新しく、衝撃的であった。コーラスで「想い出がいっぱい」で知られる男性デュオ、H2Oが参加している。
69. ザ・ストレス-ストレス 中近東バージョン-/森高千里 (1989)
サブカル的なポップ・アイコンとしてもひじょうに人気が高く、文化人のような人達が持ち上げがちだったような気もするが、個人的にはあまりノレていなかった。しかし、いま聴くとその無意識過剰気味な歌詞や記名性の高いボーカルも含め、ひじょうに魅力的だということが分かる。特にこの曲には、メッセージソングとしての普遍性すら感じてしまう。
68. 晴れのちBLUE BOY/沢田研二 (1983)
芸能界のド真ん中でかなり面白いことをやっていた印象がある当時の沢田研二だが、この曲ではアダム&ジ・アンツなどでお馴染み、ジャングル・ビートを取り入れている。これはかなりカッコいいぞと、テレビを見ながら興奮を覚えた。作詞が銀色夏生で、作曲は大沢誉志幸である。
67. I Can Tell/FRICTION (1980)
東京ロッカーズと呼ばれる一派の中心的なバンドであったFRICTIONが坂本龍一のプロデュースでリリースしたデビュー・アルバム「軋轢」の収録曲で、シングルでも発売された。いわゆる日本のロック&ポップス的なものとはかなり異なり、海外のニュー・ウェイヴにも通じる音楽を日本語の歌詞でやっていた印象でかなりカッコいい。
66. ウェディング・ベル/シュガー (1981)
趣味が良さそうなポップな楽曲にのせて、歌われる歌詞はかなり辛辣というギャップが受けて、大ヒットした曲。コーラスをはじめ、音楽的なレベルはかなり高かったように思える。数年前に、大森靖子がカバーしていた。
65. ジェニーはご機嫌ななめ/ジューシィ・フルーツ (1980)
近田春夫のバックバンドだったメンバーから成るジューシィ・フルーツのデビュー・シングルで、オリコン週間シングルランキングで最高5位を記録した。00年代にテクノポップを復興させる、Perfumeによってもカバーされた。
64. サーフ天国、スキー天国/松任谷由実 (1980)
「恋人がサンタクロース」を含むアルバム「SURF&SNOW」に収録されていた曲だが、7年後に映画「私をスキーに連れてって」で使われることにより、新しい世代のリスナーをも獲得することになった。ユーミンの恋愛のカリスマ化に拍車がかかっていくのも、この頃だったような気がする。豊かさやのどかさのようなものに、国民の誰もが手が届くものと無根拠に信じられていた時代の気分が真空パックされているようにも思え、「自然は雪や太陽つれてレビューを見せに来る」というところなどは、そ最たるものという感じである。
63. Get Wild/TM NETWORK (1987)
TM NETWORKは小学生にものすごく受けていたというイメージがある。「ぼくらの七日間戦争」の主題歌などを歌っていたのは完全に正解であり、彼らが中高生になった頃に90年代のTKブームがあったのだろうか。
62. NICE AGE/イエロー・マジック・オーケストラ (1980)
1980年のオリコン年間アルバムランキングでは上位10枚のうち3枚をイエロー・マジック・オーケストラが占めていた訳だが、そのうちの1枚が企画盤としての色合いも濃かった「増殖」である。ヒットした「テクノポリス」「ライディーン」の後の新曲としてひじょうに注目され、シングル・カットはされなかったがよく知られていたのがこの曲である。レコーディング中に成田空港で麻薬所持のため逮捕され、来日公演が中止になったポール・マッカートニー絡みのフレーズも含まれている。
61. キ・ツ・イ/玉置浩二 (1989)
近頃は良くないニュースで注目されている我が故郷、旭川だが日本のポップ・ミュージック界にける貢献といえば安全地帯を誕生させたことであろう。特に玉置浩二の濡れたボーカルはひじょうに魅力的であり、安全地帯のサウンド以外にも可能性がいろいろあるのではないかと思われていたのか、本人が出演したテレビドラマの主題歌でもあるこの曲である。いつもと違ったタイプの楽曲との食い合わせが絶妙に良く、定期的に聴きたくもなる。
