イースト新書のスージー鈴木「1984年の歌謡曲」という本に付いている帯には、「そして、<東京化>する日本の大衆音楽=<シティ・ポップ>が誕生した」というコピーと、薬師丸ひろ子「Woman”Wの悲劇”より」のジャケット写真が掲載されている。そんな年の最後の全米トップ40から、個人的に現在の気分で好きな10曲を選んでカウントダウンしていくという、このところずっとやっている気楽なパターンの回である。
10. Hello Again/The Cars
アルバム「ハートビート・シティ」から4枚目のシングル・カットで、全米シングル・チャートでの最高位は20位である。ミュージックビデオをアンディ・ウォーホルが監督し、バーテンダー役で出演もしている。当時は「アンディー・ウォーホール」と日本語表記していた記憶があるのだが、いま検索してみるとほとんど「アンディ・ウォーホル」になっている。ダイアナ・ロスが所属していたモータウンのグループについては、「スプリームス」と「シュープリームス」が混在しているようである。「ネスレ」が「ネッスル」で「デノン」が「デンオン」だったことも、いずれすっかり忘れ去られるのだろう。いとうせいこうがテレビCMでラップしていた「ネッスルの朝ごはん」は結局のところ、シリアルのようなものだったのだろうか。
9. Out Of Touch/Daryl Hall & John Oates
ダリル・ホール&ジョン・オーツのアルバム「BIG BAM BOOM」からの先行シングルで、全米シングル・チャートで1位に輝いた。80年代に入ってから「キッス・オン・マイ・リスト」「プライベート・アイズ」「アイ・キャント・ゴー・フォー・ザット」「マンイーター」に続く5曲目の全米NO.1ヒットで、この時点まででは最も多かったが、これが最後でもあった。サウンドはよりダンス・ミュージックに接近し、モダンになっているように感じられた。
8. I Would Die 4 U/Prince & The Revolution
プリンスのアルバム「パープル・レイン」から4枚目のシングルとしてカットされ、全米シングル・チャートで最高8位を記録した。批評家受けはずっとしていたのだが、1982年のアルバム「1999」からシングル・カットされた「リトル・レッド・コルベット」が初のトップ10入り、この年に自身が主演もしている映画「パープル・レイン」のサウンドトラックアルバムとシングル・カットされた「ビートに抱かれて」「レッツ・ゴー・クレイジー」がいずれも全米チャートで1位に輝き一気にブレイク、ポップ・アイコン化していったのだった。
7. The Boys Of Summer/Don Henley
トム・ペティ&ザ・ハートブレイカーズのマイク・キャンベルがバンドのレパートリーとして作曲したのだが却下されたため、ドン・ヘンリーに持って行ったところ、青春時代を回想する素晴らしい歌詞が付けられ、全米シングル・チャートで最高5位を記録するヒット曲となった。サマー・クラシックとして取り上げられることも少なくないこの曲だが、ヒットしていたのは冬なのであった。
6. I Feel For You/Chaka Khan
プリンスの人気が急上昇していた年に、1979年のアルバム「愛のペガサス」に収録されていたこの曲をチャカ・カーンがカバーし、全米シングル・チャートで最高3位のヒットを記録した。イントロのラップはグランドマスター・メリー・メルで、スティーヴィー・ワンダーのハーモニカ演奏もフィーチャーされている。
5. Wake Me Up Before You Go-Go/Wham!
イギリスや日本ではすでに人気があったワム!だが、アメリカではこの曲でやっとブレイクした。タイトルはアンドリュー・リッジリーが両親に書き残していたメモにインスパイアされたものだという。イギリスでは5月にリリースされ、1位になっていて、この頃には「ラスト・クリスマス」と「恋のかけひき」の両A面シングルがヒットしていた。日本では「ウキウキ・ウェイク・ミー・アップ」の邦題で知られ、後にレイザーラモンRGがあるあるを言う際に歌われることもあった。
4. Born In The U.S.A./Bruce Springsteen
ブルース・スプリングスティーンのアルバム「ボーン・インザ・U.S.A.」のタイトルトラックで、3枚目のシングルとしてカットもされた。ひじょうにアンセミックな曲調で、ベトナム戦争がアメリカに残した傷について歌われているのだが、愛国的な内容だと誤解されがちなことでも知られている。
3. Pride (In The Name Of Love)/U2
1981年にアメリカで「MTV」が開局し、それが全米チャートにも強い影響をあたえるようになるのだが、日本ではテレビ朝日の「ベストヒットUSA」などがミュージックビデオが観られる番組として人気があった。この年の秋に「MTV」がやっと日本のテレビでも少し観られるようになり、ビデオに録画したり真夜中まで起きて観たりもしていた。そこでデイヴィッド・ボウイ「ブルー・ジーン」などと並んでよく流れていた印象が強いのが、U2の「プライド」であった。イギリスではすでに人気が高かったが、アメリカではこの曲でやっと初めてトップ40入り、しかも最高位は33位止まりであった。マーティン・ルーサー・キング牧師の暗殺をテーマにした曲で、このバンドの魅力がコンパクトに味わえる楽曲という印象であった。この曲を収録したアルバム「焔(ほのお)」を仕事の帰りに旭川のミュージックショップ国原で買ってきてもらうよう母に頼んだのだが、私が書いたメモを見て「U2」のことを「ゆーに」と呼んでいたのが印象的であった。また、ネーナの「ロックバルーンは99」がヒットしていた頃、学校の体育準備室で着替えをしている時に、「やっぱりネーナしか無えな」「U2聴いて憂鬱になるよりいいべ」などと言って、面白いつもりでいる学生たちの姿も散見された。
2. I Want To Know What Love Is/Foreigner
1981年にはフォリナーのアルバム「4」をはじめ、「ロッキング・オン」の渋谷陽一が言うところの「産業ロック」をバリバリに聴きまくっていたのだが、3年間の間になんとなくパンク/ニュー・ウェイヴ的なものを好きでいた方がカッコよくてモテるのではないかという気分になっていっていた。しかし、フォリナーのこの新曲はゴスペル音楽のような要素を取り入れながら、愛とは何なのかを知りたいというような重厚なテーマが歌われていたりもして、かなり良いのではないかと感じた。「ミュージック・マガジン」に「リアル・ライフ・ロック・トップ10」が掲載されていたアメリカの音楽評論家、グリール・マーカスもこの曲を高く評価していた記憶がある。「4」からシングル・カットされた「ガール・ライク・ユー」は全米シングル・チャートで10週連続2位で、結局、1位にはなれなかったのだが、この曲ではやっと1位になれたので良かった。大学受験のために宿泊した品川プリンスホテルの部屋で初めて観たテレビ神奈川の「ビルボード全米トップ40」という番組でもこの曲のビデオが流れていたが、東京にはこんなにも便利な番組があるのかと感激したことを覚えている。この番組は現在に至るまで続いているのだが、VJも中村真理がずっとやっていることで2012年にはギネス世界記録が認められている。
1. Like A Virgin/Madonna
マドンナはデビュー・アルバムから「ホリデイ」「ボーダーライン」「ラッキー・スター」が続けてヒットしたものの、その時点ではディスコ・ポップを歌っている匿名性がわりと高めのポップ・シンガーという印象でしか、少なくとも当時の私にとってはなかった。それが、ナイル・ロジャースがプロデュースしたこの「ライク・ア・ヴァージン」では急にメジャー感と記名性が増したな、と強烈に感じた。そして、全米シングル・チャートでは、マドンナにとって初めての1位を記録したのであった。それ以降のポップ・カルチャーや、もしかすると社会にマドンナがあたえた影響ははかり知れず、この曲のイントロはニルヴァーナ「スメルズ・ライク・ティーン・スピリット」のそれなどと同様に、世界を変える音だったのかもしれない、などと思わなくもない。