日本のバブル景気は1985年9月22日に発表された、プラザ合意に端を発するといわれている。その翌月の号をもって、パルコ出版から発行されていたサブカルチャー雑誌「ビックリハウス」が休刊した。巷では12月12日にリリースされた少年隊のデビューシングル「仮面舞踏会」がヒットしていた。そんな頃の全米トップ40から現在の感覚で好きな10曲を選んでカウントダウンしていくという、ただそれだけの回である。
10. Election Day/Arcadia
デュラン・デュランのアンディ・テイラー、ジョン・テイラーはロバート・パーマー、トニー・トンプソンとスーパーバンド、ザ・パワー・ステーションを結成し、「サム・ライク・イット・ホット」などをヒットさせた。デュラン・デュランの残りのメンバー、サイモン・ル・ボン、ニック・ローズ、ロジャー・テイラーの3人が結成したのがアーケイディアで、唯一のアルバム「情熱の赤い薔薇」からの先行シングルが「エレクション・デイ」である。グレイス・ジョーンズがゲストボーカリストとして参加し、ジャン・コクトーが監督した映画「美女と野獣」にインスパイアされたミュージックビデオには作家のウィリアム・S・バロウズも出演している。
9. Tonight She Comes/The Cars
カーズの「グレイテスト・ヒッツ」に収録された新曲で、先行シングルとしてもリリースされた。元々はリック・オケイセックがソロアルバム用に書いた曲だったが、バンドのシングルとしてリリースされたようである。
8. Alive And Kicking/Simple Minds
スコットランド出身のニュー・ウェイヴ・バンド、シンプル・マインズはイギリスではすでに人気があったのだが、アメリカではこの年に映画「ブレックファスト・クラブ」に使われた「ドント・ユー?」が全米シングル・チャートで1位に輝いて、ブレイクしたのであった。この曲はその余波を受けてヒットしたような印象があり、ダイナミックなサウンドが特徴的である。
7. Broken Wings/Mr. Mister
特に派手な特徴があるわけではないのだが、いつの間にかぬるっとヒットしていた印象があるのが、この頃のMr.ミスターである。この曲に続いて、「キリエ」も2曲連続して全米シングル・チャートで1位を記録している。中心人物のリチャード・ペイジはAOR界隈で人気が高いペイジズをやっていた人だが、TOTOやシカゴのボーカリストにという誘いを断って、このMr.ミスターを結成したらしい。
6. That's What Friends Are For/Dionne & Friends
USAフォー・アフリカ「ウィ・アー・ザ・ワールド」が大ヒットしたり「ライヴ・エイド」が開催されたりと、チャリティーの印象も強いこの年だが、このディオンヌ&フレンズのシングル「愛のハーモニー」も米国エイズ研究財団のためのチャリティーシングルであった。元々はディオンヌ・ワーウィックとスティーヴィー・ワンダーとのデュエットとして企画されたが、作曲者であり共同プロデューサーのバート・バカラックの発案によってボーカリストを増やすことになり、エルトン・ジョンとグラディス・ナイトも参加したようだ。ロッド・スチュワートが1982年のアルバム「ラブ IN ニューヨーク」で発表していた曲のカバーである。この曲は大ヒットして、全米週間シングル・チャートだけではなく、翌年の年間シングル・チャートでも1位に輝いた。
5. Who's Zoomin' Who?/Aretha Franklin
ソウルの女王として60年代に数々のヒット曲を連発していたアレサ・フランクリンはこの時点ですでに大ベテランの域に達していたのだが、コンテンポラリーなサウンドの追求に余念がなく、この年のアルバム「フリーウェイ・オブ・ラブ」ではプロデューサーにナラダ・マイケル・ウォルデンを起用している。アルバムの原題ではタイトルトラックにあたるこの曲は、全米シングル・チャートで最高7位、R&Bチャートでは2位のヒットを記録した。
4. My Hometown/Bruce Springsteen
ブルース・スプリングスティーンのアルバム「ボーン・イン・ザ・U.S.A.」から実に7枚目のシングル・カットで、トップ10ヒットである。シングルとしてはやや地味な印象も受けるが、この頃のブルース・スプリングスティーンにはどの曲をシングル・カットしたとしてもヒットしてしまうような勢いが感じられた。タイトルが表しているように、地元への想いを歌った曲だが、ただ思い出を美化するのではなく、現実的な暗さがしっかりと表現されているところがひじょうに味わい深い。シングルのB面には季節柄を考慮してか、「サンタが街へやって来る」のカバーバージョンが収録されていた。
3. Perfect Ways/Scritti Politti
日本でも流行最先端人間のような人たちがこぞって絶賛していたのが、スクリッティ・ポリッティのアルバム「キューピッド&サイケ85」であった。中性的なボーカルが魅力のグリーン・ガーサイドはまた、超美青年であったことも忘れてはいけない。当時、日本の音楽雑誌に掲載された広告のコピーは「この美しい生き物は一体誰?」であった。とんねるずや後に男闘呼組のメンバーとなるジャニーズ事務所の前田耕陽(現在は海原ともこの夫)が出演していたテレビ朝日の深夜ドラマ「トライアングル・ブルー」でも、六本木のカフェバーのシーンで流れていたような気がする。こういったタイプの音楽はアメリカではあまり売れない印象があるのだが、シングル・カットされた「パーフェクト・ウェイ」は全米シングル・チャートで最高11位まで上った。この曲は翌年にマイルス・デイヴィスによって、カバーもされている。
2. The Sweetest Taboo/Sade
シャーデーの2ndアルバム「プロミス」からの先行シングルで、全米シングル・チャートでは最高5位を記録した。ジャジーな音楽性やボーカリストのシャーデー・アデュがモデル出身であることなどが、ハウスマヌカンやカフェバーが最先端気味だったバブル前夜の日本の空気感にもマッチしていたような気がする。当時の私がこの曲が収録されたアルバムを土曜の夜の六本木WAVEで買ったのも、いかにもである。「オレたちひょうきん族」のエンディングテーマは、EPO「DOWN TOWN(ニューレコーディングバージョン)」から山下達郎「土曜日の恋人」に変わったばかりであった。
1. How Will I Know/Whitney Houston
当時、渋谷の駅前に輸入カセットテープを1本1000円で売っている露店のようなものが出ていたのだが、あそこで売られていたのは正規のルートを通った商品だったのだろうか。いずれにせよ、お金のない浪人生としては最新ヒットアルバムが安価で聴けるのはとても助かる。そして、カセットテープはウォークマンですぐに聴くことができるのが良かった。CDが本格的に普及して、ディスクマンのような携帯CDプレイヤーが発売されるまではもう少しだけ待たなければいけなかった。というわけで、日本では「そよ風の贈りもの」というタイトルで発売され、ジャケットも違っていたホイットニー・ヒューストンのデビュー・アルバムも、この露店のようなもので売られていた輸入カセットテープで買った。そして、ウォークマンで聴きながら、センター街や公園通りを歩いた。ガラス張りのカフェのようなところで、白いセーターを着た大学生ぐらいの男性が恋人と楽しそうに話しているのを見て、私も大学受験に合格した暁にはこのようにシティーボーイ的な日々を送ろうと心に決めていた。それはそうとして、ホイットニー・ヒューストンはこの年、「すべてをあなたに(Saving All My Love For You)」が大ヒットし、全米シングル・チャートで初めて1位を記録した。バラードのイメージが強くなりそうなところで、次にアップテンポの「恋は手さぐり(How Will I Know)」をシングル・カットし、この曲も年が明けてから1位に輝いた。