岡村靖幸の4作目のオリジナルアルバム「家庭教師」がリリースされたのは1990年11月16日で、今年で30周年ということになる。
当時の日本はバブル景気の真っ只中で、それがもたらすエネルギーの比較的、大きな割合が性愛に用いられていた印象が、個人的にはある。当時、20代の若者だった私はこのアルバムをリアルタイムで購入し、熱心に聴いていたわけだが、経済とセックスとでもいうべきそのテーマは、ひじょうに深刻であったゆえに、心に強く響いた記憶がある。
岡村靖幸は自らのユニークな音楽は、プリンス、ビートルズ、松田聖子から影響を受けたものだと語っていた。革新的でありながらキャッチーであり、同時代においてシリアスなメッセージ性もあった。あれから30年が経ち、日本という国が置かれた状況は特に経済の面において大きく変わってしまったわけだが、この作品が持っているポップ・ミュージックとしての強度はけして色褪せず、また、今日を予見してもいたように思われるところもある。
アルバムの1曲目に収録された「どぉなっちゃってんだよ」はこの年の7月21日にシングルとしてリリースされ、オリコン週間シングルランキングで最高34位を記録していた。1987年にデビューした岡村靖幸はそのユニークな音楽性や独特のパフォーマンスなどで注目を集め、3作のオリジナルアルバムを経てこの年の3月にリリースされた初のベストアルバム「早熟」は、オリコン週間アルバムランキングで最高3位のヒットを記録していた。しかし、シングルは世間一般的な流行歌になるほどはヒットしていなかった。
「どぉなっちゃってんだよ」と言いたい気持ち、つまり、思うようにいっていない。「人生がんばってんだよ 一生懸命って素敵そうじゃん」というフレーズが印象的なのだが、実際にこの時代というのは「一生懸命」な生真面目さよりも要領の良さのようなものの方が正しいとされるような風潮もあり、この曲の主張というのはそんな時代に対してのカウンターでもあったのではないかというような気がする。また、「セクハラ上司」「マンガ」「(アダルト)ビデオ」「マニュアル」というようなワードが、否定的なニュアンスで用いられている。
「カルアミルク」はアルバム発売後にシングルカットされた曲で、岡村靖幸の曲の中でも知名度が高いような印象もある。「電話なんかやめてさ 六本木で会おうよ」と歌われている「六本木」は、交差点のアマンドの前にものすごい数の人たちがいて、青山ブックセンターが朝までやっていて、六本木WAVEが最新の文化を発信していた頃のそれである。大切な恋人と別れたこの曲の主人公は「ファミコンやってディスコに行って 知らない女の子とレンタルのビデオ見てる」ようだ。当時、最先端のライフスタイルである。しかし、この曲が単なるノスタルジーでは終わっていなく、J-POPクラシックスとして評価するに足るのは、このような時代を感じさせるアイテムを用いながら、「優勝できなかったスポーツマンみたいに ちっちゃな根性身につけたい」とか「どんなものにも君にかないやしない」というような、いつの時代にも変わらない、とても大切な感情が歌い込まれているからに違いない。
「(E) na」は「カッコいいな」と読むのだが、どうやら「パトロン」がいるらしい「欲しがってばかりのBaby」に対して、「高飛車そうでも あの娘の彼氏になりたいな」と歌っている曲である。経済とセックスがやはり大きな問題になっていて、これは当時の私たちにとって、実際にひじょうに深刻であった。たとえば「パパ活」や「援交」と何が違うのだろうと思われるかもしれないのだが、バブル景気真っ只中の当時、年を取っているというだけで若者とは比較にならないほどの大金を持っている大人というのが当たり前にいたような印象があり、当時、私と同世代の女子大学生たちは、こういった大人たちと平然とカジュアルに交際をしていた。
「家庭教師」はこのアルバムのタイトルトラックで、アナログレコードならばA面のラストにあたるのだろうか(当時はおそらくCDでしかリリースされていなかったような気がするが)。「家庭教師」は岡村靖幸の最高傑作とされる場合が多く、それには納得しているのだが、個人的に最も好きなアルバムとなると前作の「靖幸」ということになる。「家庭教師」を一点の曇りもない完全な肯定感を持って好きといえない理由の一つ、というかおそらくそのほとんどはこの曲によるものである。
岡村靖幸の音楽は性愛を大きなテーマにしていて、私が強く共感を覚えるのもそれゆえではあるのだが、この曲の特にセリフ部分においては特に表現が生々しく、通勤電車で聴いていたりすると、私は一体、何をしているのだろうか、と思ってしまうことも少なくはない。
「赤羽サンシャイン」という実在する建物に住んでいる登場人物は、「パパ」から毎月、30万円もの送金を受け取っているという。そして、「最終家庭教師」だという主人公は、お金を使わずにしあわせになれる方法として、もちろんセックスを提示するのであった。さらに、それは「革命」を起こすことだともいう。
「あの娘ぼくがロングシュート決めたらどんな顔するだろう」は、アルバムの前月にリリースされた先行シングルで、オリコン週間シングルランキングで最高20位を記録している。「家庭教師」の濃密な感覚とは一転して、青春の爽やかさが感じられるのだが、その強度は引き続きハイレベルでキープされている。「35連敗」は負けすぎだし、「汗で滑るバッシュー」が「謡うイルカみたいだ」というのもバスケットボール、というか真剣なスポーツ自体、ほぼ未経験の私にはほとんどよく分からない。しかし、この「あの娘ぼくがロングシュート決めたらどんな顔するだろう」については、ひじょうによく分かる。なぜなら、いつでも何かを頑張る理由というのは、好きな人に良く思われたいということ以外の何物でもなかったからである。
そして、それを一言であらわすならば、「青春って1、2、3、ジャンプ 暴れまくってる情熱」ということになるのだろうか。
そして、子供たちの歌声や「パパとママ」というフレーズが、子供の頃に正しいと思っていたなにかについて、現在でも誇らしく思えているか、とでもいうような問いを投げかけているようにも思える。ある部分についてはけしてそうではなかったし、もうとうの昔に捨ててしまってもいたりするが、また別のある部分については何としてでも守り続けたいと考えてもいる。ブラスバンドが出てきたりして、音楽的にもとても楽しい。
「祈りの季節」は深刻な少子化社会を予見した、都会のブルーズである。「あの戦後の頃より大金持ちなんでしょ? なんでみんな子供産まない」「Sexしたって誰もがそう簡単に親にならないのは赤ん坊より愛しいのは自分だから?」というフレーズに、当時とは変わってしまったところと変わらないところを感じる。
「ビスケットLove」も性愛をテーマにした曲だが、子供たちの声が「ブンシャカラカ」「オーイェー」「すごいすごーい」などと言ったりもする。そして、セックスにはときめきのようなものもやはり必要なのだ、「青春ってもっと 何かしら」ということについて歌われてもいる。
「ステップUP↑」は数年前にDAOKOとのデュエット曲「ステップアップLOVE」としてリメイクされたのだが、やはりひじょうに重要な曲である。「びしょ濡れでいいじゃない 手をつないで歩きたい」というフレーズがやはり素晴らしく、こういう体験をするためにはステップアップすることが重要であり、そのためにこそ倫社や現国というようなものは学ぶのだ、というとても真っ当で素晴らしいことが歌われている。ところで、いまどきの若者に倫理社会の略である倫社や現代国語を指す現国というワードは通用するのだろうか。身近にいた現役女子大学生に問い合わせてみたところ、よく分からないというような反応だったのだが、世間一般的にどうなのかについては定かではない。
アルバムの最後に収録された「ペンション」というのがまた素晴らしいバラードで、「平凡な自分が本当は悲しい」というフレーズが印象的なのだが、いつかこの素晴らしいこの瞬間を誇らしく思い出す日が来るのだろう、というようなところに希望を感じる。そして、いつもそのような気分でいられたら、と思う。いまだにそうしているようなところもあるのだが、私が岡村靖幸の音楽から受けた影響というのは、自覚していた以上に根深いのではないか、と思ったりもしている。
改めて、実に素晴らしいポップアルバムだな、ということを再認識させられた。そして、それゆえにという部分もひじょうに大きいのだが、やはり私が最も好きな岡村靖幸のアルバムがこの前作の「靖幸」であることは揺るぎない事実だな、ということも思った。