1979年6月2日付の全米トップ40で好きな10曲。 | …

i am so disappointed.

1979年6月2日は土曜日で、後楽園球場ではプロ野球、読売ジャイアンツの江川卓投手がプロ入り初登板を果たした。説明すると少し長くなりそうなので割愛するが、江川事件というか空白の一日というか、通常とはやや異なった方法で読売ジャイアンツに入団した江川卓には、開幕から2ヶ月間の自粛期間が設けられ、この日の阪神タイガース戦が初の登板になったのだった。結果的に敗戦投手になったわけだが、この試合の実況中継を、私はラジオたんぱで聴いていた。中学校の入学祝いに買ってもらったBCLラジオ、ナショナル・プロシード2600が、その日、やっと届いたばかりだったのだ。

 

そんな週の全米トップ40から好きな10曲を選び、カウントダウンしていきたい。ちなみにこの2日前に放送されたTBSテレビ「ザ・ベストテン」の第1位はツイスト「燃えろいい女」だが、翌週、サザンオールスターズ「いとしのエリー」にその座を明け渡すことになる。

 

10. IN THE NAVY/VILLAGE PEOPLE

 

ツイスト「燃えろいい女」の前に「ザ・ベストテン」で1位だったのが西城秀樹「YOUNG MAN (Y.M.C.A.)」で、そのオリジナルを歌っていたのがヴィレッジ・ピープルである。この「イン・ザ・ネイビー」もまた、ピンク・レディーや渋谷哲平によって日本語のカヴァー・ヴァージョンがリリースされた。ピンク・レディーの「ピンク・タイフーン(In The Navy)」においては、サビの「イン・ザ・ネイビー」と歌う部分が「ピンク・レイディー」に替えられるという大味さがまた爽快であった。全米シングル・チャートでは、最高3位のヒットを記録した。

 

 

 

9. MINUTE BY MINUTE/THE DOOBIE BROTHERS

 

ヨット・ロックのシグネチャー的楽曲こと「ホワット・ア・フール・ビリーヴス」を収録したアルバム「ミニット・バイ・ミニット」のタイトル・トラックで、全米シングル・チャートでは最高14位を記録している。マイケル・マクドナルドの存在感が急激に増し、バンドの音楽性が変わったことを印象づける楽曲である。

 

 

 

8. RING MY BELL/ANITA WARD

 

ディスコ時代を代表するヒット曲の1つで、全米シングル・チャートで1位に輝いた。当初はステイシー・ラティソウのために書かれた曲だったらしいのだが、レーベル移籍などがあり、アニタ・ワードが歌うことになったようだ。ちなみに、正確にはアニタ・ワードではなく、アニタ・ウォードと発音するのが正しいらしい。シンセ・ドラムとベルの音色が印象的なこの曲の歌詞には、セクシュアルな意味合いもある。

 

 

 

7. BOOGIE WONDERLAND/EARTH, WIND & FIRE

 

アース・ウインド&ファイアーのアルバム「黙示録」からのリード・シングルで、全米シングル・チャートで最高6位を記録した。「ベスト・オブ・マイ・ラブ」のヒットで知られるエモーションズも参加している。ディスコ・ブームは日本でも大衆化し、アース・ウインド&ファイアーの曲はラジオでもよく流れていた。

 

 

 

6. HOT STUFF/DONNA SUMMER

 

ディスコの女王として大人気だったドナ・サマーの、これは最もポピュラーな曲ではないだろうか。日本でもそこそこヒットしたはずである。イントロの灼熱な感じがたまらなく良い。

 

 

 

5. REUNITED/PEACHES & HERB

 

男女R&Bデュオのピーチス&ハーブだが、結成時から固定されていたのは男性のハーブのみで、ピーチスの方は結構、替わっていたらしい。「恋の仲直り」の邦題で全米シングル・チャートで1位に輝いたこの曲の時は、3代目ピーチスだったようだ。ごっつええバラード。

 

 

 

4. HONESTY/BILLY JOEL

 

ビリー・ジョエルのアルバム「ニューヨーク52番街」から3枚目のシングルとしてカットされ、全米シングル・チャートでの最高位は24位である。当時のビリー・ジョエルにしてはそれほどヒットしていないが、日本ではものすごく人気がある。この曲によって、「オネスティ」という単語が「誠実」とか「正直」を意味すると知った中学生は、当時の日本にはわりと多かったのではないかという気がする。カラオケでもわりと歌いやすい。

 

 

 

3. CHUCK E'S IN LOVE/RICKIE LEE JONES

 

邦題は「恋するチャック」で、リッキー・リー・ジョーンズのデビュー・アルバム「浪漫」からカットされ、全米シングル・チャートで最高4位を記録した。サウンドが当時のラジオにマッチしていたような印象を受ける。「チャック・E」という人物の恋について歌われていて、この曲のオチでは彼はこの歌を歌っている人、つまりリッキー・リー・ジョーンズと恋に落ちていることになっている。しかし、実際に当時、リッキー・リー・ジョーンズが恋をして、一緒に暮らしていたのはトム・ウェイツで、「チャック・E」は実在する共通の友人で、よく一緒に遊んでいた。ところがある時期から急に姿を現さなくなり、久しぶりに電話がかかってきてトム・ウェイツが出ると、恋人が住む遠い街にいるということであった。電話を切った後、トム・ウェイツは「チャック・Eが恋をしている」とリッキー・リー・ジョーンズに言い、そのフレーズが気に入って曲がつくられたようだ。

 

 

 

2. WE ARE FAMILY/SISTER SLEDGE

 

シックのバーナード・エドワーズとナイル・ロジャースがレーベルから他のアーティストに曲を書くようにいわれ、できれば最初はなるべく無名のアーティストが良いということで書かれたのが、この曲らしい。結果、全米シングル・チャートで最高2位のヒットを記録することができた。シスター・スレッジは実際の姉妹によるグループであり、「私たちは家族」というタイトルにはそれもまたかけられているようだ。

 

 

 

1. HEART OF GLASS/BLONDIE.

 

1970年代の後半といえば、パンク・ロックとディスコ・ミュージックの時代だったようなのだが、当時、地方都市の小学生だった私にはディスコの情報しか入ってこなかった。パンクから派生したのがニュー・ウェイヴだが、その代表的なバンドの1つがディスコの要素を取り入れてヒットさせたのが、この「ハート・オブ・グラス」である。全米、全英、共にシングル・チャートで1位に輝いた。この曲を収録したアルバム「恋の平行線」も、この時代を代表する最高のポップ・アルバムである。