プリンス&ザ・レヴォリューション「アラウンド・ザ・ワールド・イン・ア・デイ」について。 | …

i am so disappointed.

1985年6月1日付の全米アルバム・チャートにおいて、プリンス&ザ・レヴォリューションの「アラウンド・ザ・ワールド・イン・ア・デイ」がフィル・コリンズの「フィル・コリンズ3(ノー・ジャケット・リクワイアド)」を抜いて、1位に輝いた。前作、「パープル・レイン」に続き、2作連続しての1位であった。

 

このアルバムについては、気が付いたら突然に出ていた、という印象がある。「パープル・レイン」がリリースされたのが前の年、1984年の6月25日で、この作品によってプリンスは大ブレイクを果たすのだが、シングル・カットされた「ビートに抱かれて」「レッツ・ゴー・クレイジー」が連続して全米シングル・チャートで1位、続く「パープル・レイン」は2位で、さらに「ダイ・フォー・ユー」「テイク・ミー・ウィズ・ユー」がシングル・カットされた。これだけのヒットともなれば次の作品まではややブランクを置きたいところでもあるが、「アラウンド・ザ・ワールド・イン・ア・デイ」は「パープル・レイン」からわずか約10ヶ月後の、1985年4月22日にリリースされた。しかも、事前にプロモーション的な意味合いも込めてリード・シングルをリリースすることすらしていない。

 

私は当時、高校を卒業し、東京で一人暮らしをはじめたばかりだったのだが、平日の午後に池袋のパルコにあったオンステージヤマノに行くと、このアルバムが入荷していて、平積みされていたのだった。もちろんすぐに買って、当時、住んでいた千石の大橋荘に持って帰った。「パープル・レイン」は友人に借りて聴いていたので、これが自分で買うはじめてのプリンスのアルバムであった。

 

「パープル・レイン」のポップな路線とは一転して、サイケデリックな感じである。アルバムのジャケットからしてそれが伝わるのだが、実際に聴いてみると、フルートなどを用いたサウンドで、なにやら精神的なことが歌われている。日本はバブル景気の一歩手前というか、そのきかけとなるプラザ合意がこの年の秋で、同じ頃にパルコ出版から出ていたサブカル雑誌、「ビックリハウス」が休刊になるので、まさにそんなタイミングである。高度資本主義というか、物質主義がいきすぎかけた頃に精神性が求められ、やがてオウム真理教につながる、というのはやや余談だが、確かにニューアカデミズムと相性が良さげなところはあった。

 

この年といえばジーザス&メリー・チェインの「サイコ・キャンディ」がリリースされたりもしているのだが、ペイズリー柄のシャツが流行して、私も西武百貨店の池袋本店でいくつか買って、予備校やディスコに着ていっていたはずである。アメリカ西海岸のインディー・ロック・バンドのシーンがペイズリー・アンダーグラウンドなどと呼ばれていたのも、この頃だろうか。

 

「アラウンド・ザ・ワールド・イン・ア・デイ」からの最初のシングルはアルバムのリリースから少し経って、はじめてリリースされたのだが、アメリカでは「ラズベリー・ベレエ」、イギリスでは「ペイズリー・パーク」であった。それから、「ポップ・ライフ」「アメリカ」と続いていった。

 

ビートルズの「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」と比較されがちでもあったが、当時、私はそのアルバムをまだ聴いたことがなかった。

 

この年の前半のヒット曲としてはマドンナ「マテリアル・ガール」、ワム!「恋のかけひき」が物質主義をテーマにしていたり、アフリカを飢饉から救おうとするチャリティー・シングル、USAフォー・アフリカ「ウィ・アー・ザ・ワールド」があったりした。

 

シャーデー「ダイヤモンド・ライフ」がアメリカでもヒットして、アメリカ軍の放送局であるFENでも「スムース・オペレーター」がよくかかっていた。ザ・スタイル・カウンシル「アワ・フェイヴァリット・ショップ」、ブライアン・フェリー「ボーイズ・アンド・ガールズ」、エヴリシング・バット・ザ・ガール「ラヴ・ノット・マネー」などもこれに近い時期に発売されていて、私はいずれも池袋パルコのオンステージヤマノで買ったと思う。

 

当時の池袋パルコは入口からエスカレーターで2階まで直進するようになっていて、そこにはなんらかのデザイナーズブランドのショップがあった。ハウスマヌカンと呼ばれる店員が黒系統のおしゃれな服を着て、冷めた表情を浮かべていた。それは緊張をうながし、この気分が東京なのだな、と思った。

 

「アラウンド・ザ・ワールド・イン・ア・デイ」の適度なサイケデリック感覚や精神性のようなものは、当時の物質主義が行きすぎつつあるかもしれないような気分の流行、風俗の中において、絶妙にハマっていたような印象がある。

 

湖池屋のカラムーチョと日清きつねどん兵衛の組み合わせが、「アラウンド・ザ・ワールド・イン・ア・デイ」を聴いていた頃を思い出させる。南伸坊がテレビCMをしていた日清チキンラーメンや、当時はコンビニエンスストアという名称はまだ定着していなく、24時間スーパーなどと呼ばれていたセブンイレブンのいかフライおかか弁当を知るのは、もう少し後になってからである。

 

「夕やけニャンニャン」のオープニングテーマはまだおニャン子クラブ「セーラー服を脱がさないで」ではなく、チェッカーズ「あの娘とスキャンダル」だったのではないかと思う。マウンテンデューだとかメローイエローと同系統の飲料だったのではないかと記憶しているのだが、もしかすると違っていたかもしれないジェットストリームというのが確か出ていて、チェッカーズがCMに出ていた。「ジェットストリーム、君に向かって」と歌われた後、藤井郁弥が「せっかく夏だし」と言っていた。