刺激を求め、近所の太陽堂書店に行った。昔はよくあった、いわゆる街の本屋さんである。雑誌の「ビックリハウス」「宝島」「ミュージック・マガジン」を初めて買った。どれも同じぐらいの大きさだったような気がする。「ビックリハウス」は私が東京で一人暮らしを始めた年の秋に休刊した。「宝島」は1980年代後半のバンドブームの頃に大型化したが、後にヘアヌード雑誌になったりして、いつの間にか無くなっていた。「ミュージック・マガジン」はいまもまだ出ていて、大きさも変わっていないような気がする。
「ミュージック・マガジン」は音楽を扱った雑誌だったが、取り上げられているアーティストや作品の多くは当時の私に馴染みがないものであった。私が知っているものが取り上げられていたとしても、なかなか難しいことが書かれていた。それでも、その先にまだ知らない素晴らしい何かがあるのではないかと思い、読み続けた。
高校生の頃はオリコンはビルボードのチャートに入っているものだけではない、新しい音楽に出会いたいと思いはじめた時期でもある。「ミュージック・マガジン」がその道しるべになったところは間違いなくある。たとえば、1983年のマルコム・マクラレン「俺がマルコムだ!」、それからアフリカのキング・サニー・アデ「シンクロ・システム」などである。全米ヒット・チャートに入っていて、私がわりと気に入っていたアーティストや作品が酷評されていたりもしたのだが、これはこういう芸風の媒体なのだと割り切って読んでいたので、それによって気に入らなくなるということもなかった。
取り扱っているジャンルの幅が広く、取り上げているレコードのタイトル数もひじょうに多い。コストパフォーマンスが高いのである。当時の小遣いでは1ヶ月に買えるレコードはせいぜい2、3枚、出来ることなら失敗はしたくない。今日のようにインターネットで試聴ができるわけでもない。私は「ミュージック・マガジン」のレヴューを入念に読んで、そこからその月に買うレコードを選んだりもしていた。
私がどうしてポップ・ミュージックを好きになったかというと、そこにはそれを通した人間関係があったという側面をけして無視することはできない。要は小学生の頃なら歌謡ヒット、中学、高校では洋楽に精通していることによって、自分自身の存在価値が実感できた。たとえばクラスで最も人気がある女子からホール&オーツのレコードを貸してとか、最近おすすめのレコードあるとか、カセット作ってとか言われるわけだが、私のような者がスクールカースト的にも彼女のような存在と何らかのコミュニケーションを持てるとするならば、これ以外に手段が無かったのである。
高校を卒業し、東京で一人暮らしをしてからも相変わらず「ミュージック・マガジン」を発売日には必ず買って、そのレヴューを参考にして買うレコードを選ぶのである。
1987年にザ・スミスが解散するのだが、同じ年にパブリック・エナミーがデビュー・アルバムをリリースする。アシッド・ハウスやレア・グルーヴが流行しているという情報も入ってくる。日本はバンド・ブームだが、「ミュージック・マガジン」愛読者の私にとって、ロックの時代はもう終わっていて、これからはヒップホップやハウス・ミュージックだ、という気分になっていた。
サウンドやスタイルの新しさよりも、その音楽が良いか悪いかこそが大切なのだという当たり前の事実を私はすっかり忘れ、こんな時代にいまだにイギリスのニュー・ウェイヴなどを聴いている人達を、内心で下に見ていたりもしていた。いま考えると、なんという愚かしさなのだろうと思わずにはいられない。
フリッパーズ・ギターのことをデビュー・アルバムで英語で歌っていた頃から、大学の知り合いからはすすめられていたのだが、趣味の音楽だなというような感想で、時代を変えるようなダイナミズムには欠けると感じていた。いや、なぜそもそも時代を変えなければいけないのか。いまとなってはそれもよく分からないのだが、当時の私はポップ・ミュージックにそのようなものを期待していた。いや、今日においてもまったく期待していないわけでもないのだが。
「フレンズ・アゲイン」も歌詞は英語だったがCMに使われてキャッチーだったので、シングルCDを買った。そして、日本語の歌詞で初めてリリースした「恋とマシンガン」である。これはひじょうにまずいことになった。音楽的には洋楽のセンスなのだが歌詞は日本語というのは、実は私が当時、とても狭い世界で密かに思い描いていた構想だったのだが、これがもうすでにやられてしまったぞという感覚である。ザ・スタイル・カウンシルのようなサウンドや曲調、まあこれは分かるのだが、あ、カップリングの「バスルームで髪を切る100の方法の」ことである、歌詞がまあ素晴らしい。これまでの日本のポップ・ミュージックには無い新しさがあり、イメージとして新しい上に、これ以外の方法では言いあらわせないある感情を確実に表現している。
そして、私が高校生の頃に旭川で聴いていたザ・スタイル・カウンシルやアズテック・カメラの音楽にふたたびスポットが当たる。しかも、東京で最もおしゃれだといわれている女の子、オリーヴ少女達にである。それにしても、メディアによってなんとなく存在が確認できる彼女達は、一体どこにいるのだろう。「ミュージック・マガジン」や他には「ロッキング・オン」や「ロッキング・オンJAPAN」や「クロスビート」なども読んで、CDもたくさん買っているけれど、出会えそうな予感もない。
その頃、「remix」という「ミュージック・マガジン」と同じぐらいの大きさの雑誌が出て、つつじヶ丘の鴨志田書店で買ったりしていた。そこにはイギリスで流行っているインディー・ロックやダンス・ミュージックの情報がいろいろ載っていて、これこそがいま私が求めている世界なのではないかと思った。
六本木ウェイヴの面接を受けて契約社員として働くことになるのだが、そこであった女性スタッフがザ・シャーラタンズのライブに行ってマラカスを振ったとか、吉祥寺のハッスルに行くとか、瀧見君に会ったとか、そういう雑誌でしか読んだことがないことを実際に言っていて、軽く感動していた。それからネオアコやネオサイケが好きらしいとマネージャーから聞いていた男子が新人として入ってきて、パステルズなどの影響を受けたアノラックと呼ばれる音楽をバンドでやっていると言っていた。
実はアノラックというのは私が北海道で子供だった頃に防寒着として着ていた記憶があり、大人になってからすっかり忘れていた言葉なので、なんだか懐かしかった。それで、その音楽を聴かせてもらったのだが、歌は一般的に言って下手といえる部類で、演奏もヘナヘナであった。しかし、そこに味がある。というか、彼やその周りの人達の音楽に対するピュアな好きさ加減がなんだか素敵だなと思ったのであった。
「ミュージック・マガジン」の最新号が届くと、特に商品担当の社員達などは食い入るように熟読している。基本的には無言であり、そこには熱気のようなものすら漂っている。サウンドとして新しく斬新であったり、おもしろいと思えるものが高く評価され、ポップ・ミュージックを初めて好きになった時のような原初的なこの曲、好きというような感覚は軽視されているようにも思えた。
インディー・ロックのようなものはサウンド的に新しくないからだろうが、それほど価値が高いものとはされていなかったような気がする。
ニルヴァーナの「ネヴァーマインド」が売れはじめて、ポップ・カルチャー的にもひじょうに刺激的であった。ラウドでへヴィーなロックなのだが、たとえばヘヴィー・メタルのステレオタイプのようなマッチョイズムとは無縁というか精神的には真逆というところも含め、ニルヴァーナは最高だなと私は思っていた。しかし、「ミュージック・マガジン」を信奉している方からニルヴァーナが全然分からない、あんなのを聴くぐらいならニッツァー・エブとかを聴いていた方がよっぽど良いと言われた。ニッツァー・エブとはエレクトリック・ボディー・ミュージックと呼ばれる音楽をやっていたバンドで、ニルヴァーナとの共通点は音が大きいということぐらいしか感じられなかった。
あと、1992年に「NME」がアルバム・オブ・ジ・イヤーに選んだのがシュガーの「コッパー・ブルー」で、リリース当初からこのアルバムが大好きだった私は大喜びしていたのだが、またしても「ミュージック・マガジン」を信奉する方から、シュガーがやっている音楽は中心人物のボブ・モールドが以前のバンド、ハスカー・ドゥでやっていた音楽を薄めたものに過ぎず、新しさは無い、ハードロックからアダルト・コンテンポラリーに転向して成功したマイケル・ボルトンと何ら変わらない、その点、アレステッド・デヴェロップメントは本当に新しく、これこそが高く評価されるべき、というようなマウントだかなんだかよく分からないものを取られたりした。
この度、Twitterのタイムラインに当時の「ミュージック・マガジン」に掲載されたティーンエイジ・ファンクラブ「バンドワゴネスク」のクロス・レヴューが散々だったという件で画像が流れてきたのだが、当時、まだ「ミュージック・マガジン」を購読していたものの、すっかり忘れていた。
フリッパーズ・ギターはも解散していたが、その音楽やアティテュードから強い影響を受けた年下の若者達との交流が生まれはじめ、こちらの方が好きな音楽との向き合い方において、健全で楽しそうだなと思った。
ティーンエイジ・ファンクラブの「バンドワゴネスク」かた先行シングルとしてリリースされた「スター・サイン」を私はすでに買っていたのだが、それほど強い印象を受けなかった。カップリング曲として収録されていたマドンナ「ライク・ア・ヴァージン」のカバーも想定内であった。「バンドワゴネスク」は私が好ましく思っていたインディー・ロック好きの女性が好んで聴いていた。ティーンエイジ・ファンクラブの作品はイギリスではクリエイション・レコーズから出ていたが、アメリカではニルヴァーナと同じゲフィンであった。次のニルヴァーナ的な売り出し方もされかけていたような印象もあり、このアルバムはえわりとよく売れていた。
1曲目に収録された「ザ・コンセプト」は1970年代あたりのクラシック・ロック的な楽曲だったが、演奏やメロディー、ハーモニーなどがとても素晴らしく、本当に良い曲だなと感じた。
過去に存在したバンドや作品に似ている部分があったとして、参照したり影響を受けたりしている部分はあるだろう。その元となった音楽にまだ若くて感受性が豊かな頃にふれた人ならば、その記憶の方に引っ張られる。そして、それが基準となるので物足りなく感じる。しかし、若いリスナーにとって、これは本当に新しい音楽である。そう聴こえるというだけではなくて、実際にそうである場合が多い。その時代にそれをやる必然性であったり切実さは様々だが、そこにはそれは存在していて、劣化していない感性には訴えるものがある。
私はよくポップ・ミュージックとはそもそも若者のものであるというようなことを言って嫌がられたりもするのだが、まったくその通りというか、女子供という言葉を用いた方が良いのかもしれない。しかし、成人男性である私がそのような言葉を用いると性差別的なニュアンスを帯びてしまうような気もするので避けているのだが、たまたま見たTwitterのタイムラインかたのリンクで、名著「ミニコミ『英国音楽』とあの頃の話 1986-1991」の著者、小出亜佐子さんがnoteそのようなことを書かれていたので、まったくその通りだと思ったのであった。
たとえばその2年ぐらい前の感覚のまま「バンドワゴネスク」を聴いていたとするならば、私もこれのどこが新しいのだ、これならば70年代の名盤を聴いていた方がいいのではないか、というようなことを思っていたのかもしれないのだが、そうならなくて本当に良かった。いまでも大好きなアルバムだし、一般的にもいつの間にか名盤的なあつかいである。
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