加納エミリ「GREENPOP」について。 | …

i am so disapointed.

加納エミリというアーティストの名前はツイッターのタイムラインに結構な頻度で表示されたので、なんとなく知ってはいたのだが、実際にその音楽を聴いたことがなかった。それから、実はアーティストではなくアイドルという肩書だということも知らなかった。Apple Musicのおすすめ的なやつにニュー・アルバムが表示されていて、タイトルは「GREENPOP」だという。タップしてみると、「Just a feeling」という曲だけ再生可能になっていて、アルバムは「近日リリース」ということであった。それほど時間がなかったので少しだけ聴いてみて、なるほど、1980年代に流行したエレポップをJ-POPのフォーマットでやっているのか、となんとなく思った。

 

仕事が終わり、駅まで歩くあいだにもう少しちゃんと聴いてみようと思い、再生ボタンをタップしてから歩いた(歩きながらタップをしたのではない)。エレポップの影響を受けてはいるのだが、レトロ趣味の音楽だとはまったく思わなかった。まず、サウンドがとても良いなという印象を受けた。こういう過去の音楽に対するオマージュ的なものをやると、サウンドがやたらとチープだったり、コンセプトが甘く感じられることも少なくないのだが、そのようなマイナス面がまったく感じられなかった。そして、音数が少ない上に、それぞれの関係性がとても有機的というか、どれ一つとしてムダな音がなく、1980年代のプリンスやスクリッティ・ポリッティに感じていたのに近い感想を持った。

 

そして、なによりも魅力的なのは、その声である。1980年代のエレポップというと、ボーカルが非人間的というか機械的というか、そのような印象もあった。逆に、たとえばまったくアイドルポップスっぽくないようなサウンドに、あえてアイドルらしいキュートなボーカルをのせて、そのギャップの妙を魅力とするようなアプローチもありがちではあるが、それともまったく違う。どちらかというと、あまりアイドルっぽい声質ではないように思える。ボーカルスタイルもあえてクールに歌うのでもなければ、感情を込めて歌い上げるわけでもない。プラスチックとウェットとの間のちょうどいいど真ん中という感じで、これがサウンドともひじょうにマッチしている。

 

電車を待つ間のホームでツイッターを開くと、CDショップではすでに購入できるようなこのアルバムについての感想が上がっていた。ツイートしていたのは、先日、久しぶりにお会いした時に首から提げていた名刺のようなものに、「日本エミリー協会」などと書かれていた方であった。「Just a feeling」を聴いた簡単な感想を書いて送ると、リプライでより詳しい情報をおしえてもらうことができた。驚いたのは、音楽制作をすべてセルフでやっているということである。簡単に調べてみたところ、札幌出身の1995年生まれということであった。最近、小沢健二とあいみょんの件などによって、1995年という年について考えることがあったので、これもまた奇遇だと思った。

 

これはCDが欲しいかもしれないと思ったのだが、アリオ橋本のタワーレコードはすでに閉店していたし、開いていたとしても在庫があったか怪しいものである。朝、目を覚ますとApple Musicにもアルバムが追加されていたので、最初から聴いてみた。

 

サウンドが良くて、音数が少なく有機的であり、ボーカルがとても魅力的であるという、最初の印象をさらに強化するような内容であった。エレポップだけにとどまらず、1980年代の様々なポップスからの引用が随所に見られたが、やはり懐かしいとはそれほど感じず、それらのエッセンスを血肉化したうえで、自分自身のオリジナルな表現になっていると思った。この作品に影響をあたえたと思われる音楽のほとんどを、私は10代の頃にリアルタイムで体験したような気がするのだが、後から聴いた世代だからこその距離感だとかバランス感覚だとか、そんなものも感じさせられて、むしろとても興味深くもあり、なにしろ最高に楽しめた。

 

アルバムの1曲目に収録された「恋せよ乙女」を聴いて、マドンナのデビュー・アルバムからシングル・カットされ、彼女にとってはじめてのヒットになった「ホリデイ」を思い出した。似ているフレーズやベースラインがあるからとか、それだけの理由ではない。あの曲に詰まったポップスとしての魅力や、当時において最新でありながら普遍的でもあるような躍動感が、令和元年の日本のポップスとして実現できているように思えるのだ。ギターからはじまるイントロも、導入として最高である。2曲目のもまたイントロが印象的なのと、これはアルバム全体にいえることなのだが、曲と曲との間がひじょうに短いのも特徴である。シンセベースやシンセドラムのサウンドがこれぞエレポップという感じで、OMDあたりを思わせるフレーズもありながら、ユーロビート的なバブリー感も味わえるという、音楽的にとても贅沢なものになっているが、装飾過剰ではまったくなくて、絶妙にコントロールされているような印象を受ける。個人的には歌詞のコンセプトも大好きであり、恋心のあてにならなさというか、無常観、これを「少しは気になっていたけれど 今はもう 名前も思い出せないの ごめんね」というキラーフレーズで表現しているところも最高である。

 

「NextTown」は地方から都会に出てきて、新しい生活をはじめた若者の期待感について歌っているように思えるが、それほどはしゃいでいるわけでもなく、どこか冷めているようにも感じられるトーンであり、それとものすごく前向きな歌詞とのバランスが絶妙でステキである。これはプロフィールを見てから聴いたことがもちろん影響しているのだが、たとえばまったくの田舎とかではなくて、札幌と東京との差異の分だと考えると、妙に納得できたりもする。これもまたエレポップといえるようなサウンドだが、それらは楽曲をより魅力的に聴かせる要素として使われているのであり、基本的には良い歌詞とメロディーと歌がちゃんとある。「ハートブレイク」はタイトルからも想像できるように失恋ポップスなのだが、ギターの音なども目立っていて、エレポップ感はやや薄れている。ボーカルの冷めているようでちゃんと傷ついている感がとてもリアルで、切なさを加速させる。

 

「1988」はタイトルがあらわすように、1988年をテーマにしていて、歌詞の中にも当時のヒット曲のタイトルや流行していたものなどがいくつも織り込まれている。こういうタイプの曲がアルバムに一曲あるのも全体のバランスとしては良いのかもしれないとか思いながら、油断して聴いていると、「見てよあの二人 愛が止まらない」と、Winkのヒット曲が引用された後、「31年前の ママとパパなの」というオチでハッとさせられる。

 

「Just a feeling」のミュージックビデオが公開されたので、視聴してみた。スマートフォンでの視聴に最適化された、縦長サイズである。どこか懐かしい雰囲気は感じられるのだが、当時を懐かしむというよりは、現在の感覚で見ておもしろいものとして取り上げられているので、やはりレトロ趣味には思えなかった。これはハロー!プロジェクトの最新グループ、BEYOOOOONDSの「Go Waist」のミュージックビデオを視聴した時にも感じた。

 

アイドルポップスに対する偏見というのは、音楽そのものというよりは、それを取り巻く文化に対しての嫌悪感であり、それは私にもじゅうぶんに理解することができる。それがその音楽に反映されている場合もあれば、そうではない場合もある。「GREENPOP」を聴く限り、音楽ファンの一定の層がアイドル文化に対して感じるであろう嫌悪感につながる要素はほとんど見られず、それゆえにアイドルでなければもっとハマれたのに、という意見は当然ながらあると思われる。それは音楽に対する好意的な評価であり、アイドル文化に対する嫌悪感というのはライフスタイルや根本的な価値観についての問題なので、乗り越えられないのは仕方がない。分かりあえやしないってことだけを、分かり合うのさ。

 

 

 

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