ポリスのアルバム「シンクロニシティー」がリリースされたのは、1983年6月17日であった。当時、私は高校生で全米ヒット・チャートを追いかけてはいたのだが、このアルバムについては特に心待ちにしていたということもなく、いつの間にか出ていて大ヒットしていたという印象であった。リリースされてから約半年後、修学旅行の自由行動の時間に行ったオープンして間もない六本木ウェイヴで、カルチャー・クラブ「カラー・バイ・ナンバーズ」、ダリル・ホール&ジョン・オーツ「フロム・A・トゥ・ONE」、ポール・マッカートニー「パイプス・オブ・ピース」、ジョン・クーガー・メレンキャンプ「天使か悪魔か」と一緒に、このアルバムも買った。これらの中で最もよく聴いたのは、このアルバムであった。ソニーのHF46というカセットテープに録音したものを、おもに聴いていた記憶がある。
先行シングルの「見つめていたい」がまず5月にリリースされ、これはかなり売れた。当時の全米シングル・チャートにはマイケル・ジャクソン「スリラー」からシングル・カットされた曲や、カルチャー・クラブやデュラン・デュランをはじめとする第2次ブリティッシュ・インヴェイジョンのバンドたち、オーストラリア出身のメン・アット・ワーク、プリンス、映画「フラッシュダンス」のサウンドトラック、デフ・レパード、デヴィッド・ボウイなど、かなりバラエティーにとんでいて楽しかった。
ポリスは私が洋楽を意識的に聴きはじめた1980年ぐらいには人気上昇中のニュー・ウェイヴ・バンドという印象であり、ちょうどNHK-FMで組まれた特集をカセットテープに録音、つまり当時の言葉でいうところのエアチェックをしていたので、それをよく聴いていた。レゲエのリズムを取り入れた音楽性が特徴的であった。近所に同じ中学校に通っていた男子が住んでいて、たまに家でお互いのレコードを聴かせ合ったりしていたのだが、彼はポリスと三田寛子が好きであった。アルバム「ゼニヤッタ・モンダッタ」からシングル・カットされた「ドゥドゥドゥ・デ・ダダダ」には日本語ヴァージョンも存在し、当時、ラジオでよく耳にした記憶がある。
イギリスのパンク/ニュー・ウェイヴ出身のバンドやアーティストの中には、アメリカではそれほど売れないものも少なくはなかったが、ポリスの場合はアメリカでもよく売れていた。1981年のアルバム「ゴースト・イン・ザ・マシーン」はメンバーの顔がデジタル時計の数字のようにあらわされたジャケットが新しさを感じさせ、シングル・カットされた「マジック」は全米シングル・チャートで最高3位を記録していた。この頃、洋楽のレコードもいろいろ買うようになってはいたのだが、やはりこのアルバムは買っていなく、REOスピードワゴン「禁じられた夜」、スティクス「パラダイス・シアター」、ジャーニー「エスケイプ」、フォリナー「4」といった、渋谷陽一がいうところの産業ロック的なものばかり買っていた。よって、ポリスのことはややエッジが効きすぎている、ぐらいに感じていたのかもしれない。
「見つめていたい」は、日曜日の夜にNHK-FMで放送されていた「リクエストコーナー」という、タイトルにひねりはまったくないのだが内容は素晴らしい番組で聴いた。当時のポリスはすでに完全なビッグ・アーティスト扱いであり、この新曲についてもかなり注目されていた記憶がある。初登場でいきなり36位というのも、当時の全米ヒット・チャートではかなりものであった。第一印象は、ポリスの曲にしては聴きやすいな、というものであった。美しく売れそうだとは思ったのだが、個人的に強く引っかかるところは感じられなかった。しかし、何度も聴いているうちにだんだん良くなるという、いわゆるスルメ曲的なものとして、私の中では育っていったのであった。全米シングル・チャートを見る見る上昇し、1位になり、「ベストヒットUSA」でも毎週ビデオが流れたのだが、そのモノクロの映像もひじょうに印象的なものであった。元10ccで、ミュージック・ビデオ界に数々の功績を残したゴドレイ&クレームによる作品である。
君のすべての動きを見つめている、というような内容の歌詞も地方都市の高校生にも理解できる程度ではあり、当時の多くのリスナーと同様に、これは純粋なラヴ・ソングなのだ、と私もまた思っていた。夜に夢を見ても君の顔しか見えない、というような部分については、翌年、休み時間の教室で涼しげな表情を浮かべて文庫本を読んでいるタイプの女子に思い入れた時、勝手に感情移入したりもしていた。しかし、後にこの曲を書いたスティングが語るに、これはストーカー的な邪悪な感情を描写したものらしく、不仲であった妻との関係性が強く影響してもいたようである。
この曲はマイケル・ジャクソンの「ビリー・ジーン」を抑え、この年の全米シングル・チャートで年間1位になるほどの大ヒットを記録したのだが、その真意はどの程度、正確に伝わっていたのだろうか。
心理学者、カール・グスタフ・ユングから強く影響を受けたという「シンクロニシティー」の歌詞はひじょうに知的なものであり、音楽面でもワールド・ミュージックからの影響が感じられたりもするのだが、ロック的な肉体性もしっかりと感じられることから、必要以上にアカデミックになることもないという、なかなか絶妙なバランス感覚だという気もする。
このアルバムを引っさげてのライヴも映像ソフト化され、やはりゴドレイ&クレームが監督をしていたのだが、これもひじょうに評価が高かったと記憶している。当時はまだDVDなどは存在していなく、LDことレーザーディスクというのがあった。吉幾三「俺ら東京さ行ぐだ」の歌詞にも登場している(「レーザー・ディスクは何者だ?」)。私はプレイヤーを持っていなかったのだが、町田に住んでいた熊本の酒蔵の息子が持っていたので、ディスクだけ買って彼のワンルームマンションで観ていた。特に派手な仕掛けなどはなく、ポリスのバンドとしての演奏力が堪能でき、それだけでじゅうぶんに満足ができる作品であった。
ポリスはこのアルバムを最後に解散し、その後、スティングはソロ・アーティストとして、よりジャズ色が濃い作品を発表していくようになった。
ひじょうに抑制された、ミニマリスト的なアプローチのように思え、それでいて内面の熱量はひじょうに高い、ある意味において、とても1980年代的なアルバムのようにも思え、その理由によってとても好ましく感じている。ポリスやスティングの熱心なファンではまったくない私ではあるが、このアルバムが存在しない音楽リスナー生活はまったく想像ができない程度には、思い入れがある作品である。
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