1990年にリリースされた好きな10曲。 | …

i am so disappointed.

個人的な音楽体験では1991年からニルヴァーナとかティーンエイジ・ファンクラブがあって、その少し後ぐらいからブリットポップにつながる流れもあり、ロックを中心に聴くようになるのだが、その少し前まではまったくそんな感じではなかった。それどころか、ドラム、ベース、ギター、ボーカルという編成によるロックやポップスがポップ・カルチャーの中心になることはもう無いだろうと、わりと本気で思っていた。

 

という訳で、1990年にリリースされた曲を振り返ってみたい。とりあえず現時点で好きな順位をつけてみたのだが、当時、リアルタイムで聴いていたり好きだった順番とはかなり違う。そもそも1990年の時点ではリアルタイムで聴いていなかった曲も含まれている。その後の音楽体験をもふまえ、現時点で1990年にリリースされた曲を振り返った場合の順位ということである。

 

10. THE ONLY ONE I KNOW/THE CHARLATANS

 

イギリスでインディー・ロックとダンス・ミュージックを融合したような音楽が流行し、その発信源がマンチェスターであることからマッドチェスターなどと呼ばれているとういう情報は、おそらく「ロッキング・オン」「クロスビート」といった日本の音楽雑誌で得ていたと思うのだが、その中心的存在だといわれているストーン・ローゼズのアルバムを買ってみても、どうもよく分からずにいた。1990年の秋に六本木ウェイヴで猛烈にプッシュされていたハッピー・マンデーズの「ピルズ・ン・スリルズ・アンド・ベリーエイクス」を聴いて、それがどういうものなのかなんとなく分かったし、同じようなものをいろいろ聴いてみたいと思った。その時、最も新しい人気バンドだといわれていたのがザ・シャーラタンズであった。なるほど、こういう感じなのかと思ったし、全英シングル・チャート9位を記録したという「ジ・オンリー・ワン・アイ・ノウ」はキャッチーですぐに気に入った。しかし、そのイメージにはストーン・ローゼズのフォロワー的な雰囲気があり、オルガンを効果的に用いてるところもインスパイラル・カーペッツの後追いのように思え、ブームに後から乗っかって売れたバンドという印象をなんとなく持っていた。それが完全な間違いであったことは、その後の活躍が証明しているのだが、当時は本当にそう思っていた。

 

 

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9. MY DEFINITION OF BOOMBASTIC JAZZ STYLE/DREAM  WARRIORS

 

ロンドンっ子はジャズで踊るという話題は「宝島」などでも1980年代から目にしていたのだが、なにせインターネットもない時代、それは活字による情報とそれに併せて紹介されるいくつかの音楽から推測した想像の域を、少なくとも私の中では出ていなかった。ヒップホップにジャズを取り入れたドリーム・ウォリアーズのこの曲は実に分かりやすく、かなり気になっていたのだが、この曲のサンプリング元となっているクインシー・ジョーンズ「ソウル・ボサ・ノヴァ」はかつて「ファッションを語るとモードになる」でお馴染みの東京モード学院のCMに使われていて、日本の音楽ファンにとってはそのイメージが強かったのではないかと思われる。

 

 

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8. BONITA APLEBUM/A TRIBE CALLED QUEST

 

ヒップホップは最新型のポップ・ミュージックとしてひじょうに魅力的ではあったのだが、日本の多くの音楽ファンにとっては、その文化的文脈に理解することが難しい部分があったのではないかと思う。1989年にリリースされたデ・ラ・ソウル「3フィート・ハイ・アンド・ライジング」は、その敷居をかなり低くしてくれた。アメリカではより過激な表現を伴うギャングスタ・ラップが流行する一方で、よりコンシャスな思想、音楽性を持つネイティヴ・タンというコレクティヴが立ち上げられた。デ・ラ・ソウルと共にその中心的な存在だったのがア・トライブ・コールド・クエストであり。やたらと長いタイトルを持つデビュー・アルバムからはルー・リード「ワイルド・サイドを歩け」をサンプリングした「キャン・アイ・キック・イット?」が印象的だったが、ベスト・トラックはこの「ボニータ・アップルバム」なのではないかと思うのである。

 

 

 

7. SOON/MY BLOODY VALENTINE

 

当初、「愛なき世代」という邦題が付けられていたアルバム「ラヴレス」に収録されるのは翌年であり、1990年には「グライダーE.P.」の収録曲としてリリースされた。耽美的な世界観とダンス・ビートとの組み合わせが新しいポップスの可能性を提示してくれたが、翌年に発表されたアルバムはその期待を大きく上回るものであった。

 

 

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6. VOGUE/MADONNA

 

1980年代のポップ・カルチャーを象徴するアイコンの1人、マドンナが1990年にリリースしたこのシングルは音楽面ではハウス・ミュージックを取り入れ、当時、ニューヨークのサブ・カルチャーであったヴォーギングを一気に有名なものにした。

 

 

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5. STEP ON/HAPPY MONDAYS

 

ストーン・ローゼズ、インスパイラル・カーペッツと共にマッドチェスター・ムーヴメントの中心的存在であったハッピー・マンデーズの、全英シングル・チャート最高5位のヒット曲であるクラブ・カルチャーとインディー・ロック・シーンが融合したマッドチェスター・ムーヴメントを象徴するこの曲は、南アフリカのシンガー・ソングライター、ジョン・コンゴス「ヒーズ・ゴナ・ステップ・ユー・オン・アゲイン」のカバーである。元々はレーベルのカヴァー・コンピレーション・アルバム用に制作されたが、あまりにも出来がよかったため、そのアルバムには収録せず、シングルとしてリリースしたのだという。

 

 

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4. BEING BORING/PET SHOP BOYS

 

ペット・ショップ・ボーイズの4枚目のスタジオ・アルバム「ビヘイヴィアー:薔薇の旋律」から「ソー・ハード」に続く2枚目のシングルとしてリリースされた。全英シングル・チャートでの最高位は20位で、1985年に「ウェスト・エンド・ガールズ」でブレイクして以来、最低となったが、その後、評価が高まり、いまではこのデュオの代表曲の1つとして認知されている。歌詞はニール・テナントのエイズで亡くなった友人のことについても書かれていて、青春の輝きや生命がやがて失われることについて歌われている。切なくも美しいメロディーとサウンドとマッチしたモノクロのビデオ・クリップは、写真家、映像作家のブルース・ウェーバーによるものである。

 

 

 

3. NOTHING COMPARES 2 U/SINEAD O'CONNOR

 

アイルランド出身のシンガー・ソングライター、シニード・オコナーが米英でシングル・チャート1位を記録した大ヒット曲で、邦題は「愛の哀しみ」である。元々はプリンスが1985年にファンク・バンド、ザ・ファミリーのために書いた曲だったが、オリジナル・ヴァージョンはほとんど話題にならなかったようだ。別れてもう身近にはいない恋人への想いを歌ったバラードで、音楽そのものもひじょうに感動的だが、曲の途中でシニード・オコナーが歌いながら本当に涙を流してしまうビデオ・クリップも印象的である。プロデューサーはソウル・Ⅱ・ソウルのネリー・フーパーである。

 

 

 

2. GROOVE IS IN THE HEART/DEEE-LITE

 

DJディミトリー、レディ・ミス・キアー、テイ・トウワという国籍、性別が異なる3人からなるダンス・ポップ・ユニット、ディー・ライトのヒット曲で、全米シングル・チャートで最高4位を記録した。全英シングル・チャートではリーバイスのテレビCMに使われてリバイバル・ヒットしたスティーヴ・ミラー・バンド「ザ・ジョーカー」に阻まれて1位は逃したものの、最高2位のヒットとなっている。カラフルでピースフルなイメージが受け、日本でもかなり人気があった。この曲にはア・トライブ・コールド・クエストのQティップがラップで、ブーツィー・コリンズがバックボーカルで、メイシオ・パーカーがサックスでゲスト参加している。数々のサンプリングが使われているが、最も印象的なのは映画「欲望」のサウンドトラックに収録されたクインシー・ジョーンズの「ブリング・ダウン・ザ・バーズ」であろう。サイケデリックでカラフルなビデオ・クリップは日本の映像作家、中野裕之によるものである。

 

 

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1. LOADED/PRIMAL SCREAM

 

1989年にリリースされたアルバム「プライマル・スクリーム」の収録曲「アイム・ルージング・モア・ザンアイル・エヴァー・ハヴ」を、DJのアンドリュー・ウェザオールが再構築した作品で、タイトルの「ローデッド」は曲の冒頭にサンプリングされた映画「ワイルド・エンジェル」におけるピーター・フォンダの台詞にも入っている。ダンス・ミュージックとインディー・ロックが融合したインディー・ダンスを象徴するような楽曲で、日本のフリッパーズ・ギターにも強い影響をあたえたと思われる。全英シングル・チャートでは最高16位を記録し、この路線の延長線上に翌年のアルバム「スクリーマデリカ」があるといえる。ポップ・ミュージック史上において、最も革新的で重要なシングルのうちの1枚であろう。