ペット・ショップ・ボーイズ「ビーイング・ボアリング」の記憶。 | …

i am so disappointed.

ペット・ショップ・ボーイズの音楽をはじめて聴いたのは1986年のはじめで、最初のヒット曲となった「ウェスト・エンド・ガールズ」によってであった。アパートのラジカセでおそらくNHK-FMの「リクエストコーナー」から録音し、ミスター・ミスター「ブロークン・ウィングス」やスターシップ「セーラ」といった当時の全米ヒット曲と同じカセットテープに入れていた。

 

予備校で知り合った友人は親が恵比寿のビルのオーナーだということで、よく遊びに行っては中華料理の出前を取ってもらったり、お米をもらったりしていた。私がはじめてCDプレイヤーを見たのは、彼の家だったはずである。真夜中に六本木ウェイヴまで散歩して、朝まで営業していた青山ブックセンターで「よい子の歌謡曲」を買い、24時間営業のマクドナルドで雑談をしていた。まだ恵比寿ガーデンプレイスができる前で、地元で人気だという香月というラーメン店に連れていってもらい、脂がギトギトのラーメンに衝撃を受けた。

 

彼もやはり当時のヒット曲をランダムに入れたカセットテープを持っていて、部屋で聴いていたのだが、やはりペット・ショップ・ボーイズの「ウェスト・エンド・ガールズ」は不思議な曲だという話題になった。1983年辺りに最も盛り上がった第2次ブリティッシュ・インヴェイジョンはすでに一段落したような感じでもあったのだが、「ウェスト・エンド・ガールズ」の哀愁漂うムードにはなかなかクセになるものがあった。

 

1986年の春から大学に通いはじめたのだが、オリエンテーションの日にとても悲しい事件があり、それからしばらく塞ぎ込むということがあった。ペット・ショップ・ボーイズはユーロビートのような能天気な曲でさらに人気を得ていたが、おそらく六本木のディスコでダンスパーティーを開いているようなヨット部の学生や、日焼けした高等部上がりの女子達にお似合いの音楽なのだろうと、私などは完全に僻んでろくに相手にしていなかったのだが、エコー&ザ・バニーメンやザ・キュアーなどが好きだという地味な女子と意気投合するのもなんとなく癪な気分で、本厚木のマッカーサーズギャレッジではただただブーたれていたのであった(知らんがな)。

 

時は流れて1990年、同じ年に入学した同級生たちは真っ当ならすでに卒業していて、社会人として立派に働いていた。私はアルバイト先のコンビニエンスストアで知り合った女子高校生とカラオケボックスの行き、彼女が歌うプリンセス・プリンセスの「M」にジーンとしているような体たらくである。一方でフリッパーズ・ギターの「カメラ・トーク」に衝撃を受け、自分自身の才能の無さを思い知らされた。そして、実はもうすでにそれほど若くはないのではないかと気づいた瞬間、突然、あらゆる不安が押し寄せ、秋にはブルーズが加速していた。

 

「ビヘイヴィアー:薔薇の旋律」は私がはじめて買ったペット・ショップ・ボーイズのCDであった。当時、愛読していた「remix」という雑誌で好意的に取り上げられていて、とにかくアルバイトばかりしていて、よく分からない手当てなどももらっていたので、とりあえずお金はあった。そして、そのほとんどをCDと本に費やしていた。

 

アルバムの1曲目に収録された「ビーイング・ボアリング」は特に切なさの濃度が高く、すぐに好きになった。ずっとなりたいと思っていた自分になることはあきらめたが、その代わりに君と一緒にいることができる、という感じに頭の中で意訳した部分などが特にグッときた。

 

この曲は、ニール・テナントのエイズで亡くなった友人についても歌われていて、タイトルはアメリカの作家、スコット・フィッツジェラルドの妻、ゼルダの発言にインスパイアされたものだという。

 

青春は美しいが、それはやがて失われていく。その運命からは誰しも逃れることはできない。写真家、映像作家のブルース・ウェーバーによるモノクロのビデオ・クリップがまたたまらなく良い。

 

この曲の全英シングル・チャート最高位は20位で、1985年に「ウェスト・エンド・ガールズ」でブレイクして以降では最も低い。しかし、その後、ペット・ショップ・ボーイズを代表する名曲として評価されているし、ニール・テナントもこの曲にはかなり自信を持っていると発言している。

 

翌年にリリースされたセイント・エティエンヌのデビュー・アルバム「フォックスベース・アルファ」に収録された「シーズ・ザ・ワン」には、この曲のアルバム・バージョンがサンプリングされているという。