先日、高円寺の文禄堂で買った「ライムスター宇多丸の『ラップ史』という本を読んでいるのだがとても面白いので、読み終えたら感想のようなものは書くこととして、読みながら私がヒップホップという音楽をはじめて認識し、聴くようになっていった頃のことが懐かしく思い出されたので、その頃の印象に特に強く残っている10曲を挙げながら、思い出的なものも適当に書いていきたいと思う。
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ユニティ
1,888円
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RAISING HELL
829円
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Run-D.M.C.の「ウォーク・ディス・ウェイ」が大ヒットした1986年、日本では近田春夫がヒップホップ・アーティスト、President BPMとしてシングル「MASSCOMMUNICATION BREAKDOWN」をリリースした。大学の帰りに本厚木のすみやでこの12インチ・シングルを買った。その後、President BPM名義でリリースされたシングルは、おそらくすべて買ったはずである。本当に重要な問題は取り上げず、芸能人のスキャンダルばかり追いかけているマスコミを批判した内容は、32年後の現在でもそっくりそのまま有効である。このシングルを聴き、日本語でもカッコいいヒップホップはできるのだと思った、秋の夕暮れのワンルームマンションであった。
MASSCOMMUNICATION BREAKDOWN/President BPM
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考えるベスト
4,000円
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1987年には日本のバンド、リアル・フィッシュがシングル「ジャンクビート東京」をリリースし、いとうせいこうと共にサザンオールスターズの桑田佳祐がラップで参加していた。
この頃、LL・クール・Jもひじょうに人気があり、アルバム「ビガー・アンド・ディファー」からはメロウなスロー・チューン「アイ・ニード・ラヴ」が全米シングル・チャート14位(全英では8位)を記録していた。このアルバムが気に入った私は1985年にリリースされていたデビュー・アルバム「レイディオ」も買うのだが、これがまたカッコよくて最高であった。LLクールJのことは、アール・エフ・ラジオ日本の「全英トップ20」で大貫憲章が気に入っていると言っているのを以前に聞いていた。当時、ロックとヒップホップのリスナーはまだあまり分かれていなかった印象があり、ヒップホップのことは最も新しいロックというような感じで聴いていたような気がする。藤原ヒロシと高木完によるTINNIE PUNXはPresident BPMの「NASU KYURI」のカップリングに収録された「I LUV GOT THE GROOVE」において、ロックンロールはもはやロックではない、ヒップホップをやっている自分たちこそがロックなのだ、というようなことをラップしていた。というわけで、パンクやニュー・ウェイヴのイメージが強い大貫憲章が、「全英トップ20」で気に入っていると言っていて、「ラジオが無ければ生きていけない」という原題でもあるラップの一節を真似したことを覚えていたのが、「レイディオ」という曲である。レコードで聴くと、やはりすごくカッコよかった。当時、まだ10代だということも話題になっていた。
I CAN'T LIVE WITHOUT MY RADIO/LL COOL J
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Radio
472円
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イギリスでは「NOW」とか「HITS」とかとにかくヒット曲をたくさん収録した2枚組のコンピレーション・アルバムがリリースされては、ものすごく売れていた。こういうのは真面目な音楽ファンからはバカにされがちなのだが、ミーハー上等で音楽ファンをやらせていただいている私などは大好きでよく買っていた。そして、東京プリンスホテルでのアルバイトの帰りに六本木ウェイヴに寄って買った「HITS 7」で、エリック・B&ラキムの「ペイド・イン・フル」を知った。この曲は「HITS 1」の1枚目B面の最後の方に入っていた。ニュー・ウェイヴ・バンド、スード・エコーによるリップス「ファンキータウン」のカバーと、シックの1978年の大ヒット曲「おしゃれフリーク」のリミックス・バージョンとの間である。イスラエルの歌手、オフラ・ハザのボーカルなど、様々なサンプリング音がコラージュされたようなその音楽性はヒップホップ時代のまったく新しいポップ・ミュージックであり、曲の冒頭でアナウンスされるように、まるで音楽の旅のようであった。
PAID IN FULL/ERIC B. & RAKIM
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Paid in Full
589円
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アメリカ文学界では新世代の作家として「ブライト・ライツ、ビッグ・シティ」のジェイ・マキナニーと共に注目されていた、ブレット・イーストン・エリスのデビュー小説「レス・ザン・ゼロ」が映画化された。サウンドトラックにはLLクールJやパブリック・エナミーの新曲も収録されているということだったので買ってみた。1988年のはじめ頃だったと思う。その前の年、「ミュージック・マガジン」の年間ベスト・アルバムでパブリック・エナミーのデビュー・アルバム「YO!バム・ラッシュ・ザ・ショウ」が高く評価されていた。また、このアルバムはイギリスの「NME」でも年間ベスト・アルバムに選ばれていた。翌年がパブリック・エナミーの次のアルバム、更にまた次の年はデ・ラ・ソウルのデビュー・アルバムと、インディー・キッズご用達の「NME」において、ヒップホップのアルバムが3年続けて年間ベスト・アルバムに選ばれていた。
「レス・ザ・ゼロ」のサウンドトラックに収録されていたパブリック・エナミーの新曲は「ブリング・ザ・ノイズ」、強力なラップとカッコいいバックトラックがすぐに気に入った。アートフォームとしてまったく新しく、刺激的である。かつてニュー・ウェイヴに夢中になった人たちが当時のヒップホップに飛びついたのも至極当然というものだろう。この頃からしばらく、私はロックやニュー・ウェイヴのレコードをあまり買わなくなっていった。
BRING THE NOISE/PUBLIC ENEMY
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It Takes a Nation of Millions to Hold Us Back
959円
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1989年、「ミュージック・マガジン」でいとうせいこう「MESS/AGE」のレヴューを読み、なんとなくこれは買った方が良いのではないかと思ったので渋谷ロフトの1階にあったウェイヴで買ったのだが、これがとてつもない作品であった。ラップとかヒップホップとかいうこと以前に、日本語にはこのような可能性があるのかという意味での衝撃を受けた。紙に書かれたり印刷された文章が音になることによって新しい意味を得るのが朗読やポエトリー・リーディングで、ラップはそこにトラックが加わることによって、さらに情報量が増える。そのリリックは知的でありながら、ひじょうにリアリティーを感じさせもしたし、あれから30年近くが経過したいま聴いてもまったく古びていないテーマもあれば、当時はよく意味が分からなかったが、いま聴くと来るべき未来を予見していたかのようなところもある。私が買った初回盤はジャケットのケースも特殊な感じで、日本語で韻を踏むための手引書のようなものも付いていた。
噂だけの世紀末/いとうせいこう
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Mess / Age
2,171円
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同じ年、アメリカではデ・ラ・ソウルのデビュー・アルバム「3フィート・ハイ&ライジング」がリリースされた。それまでのヒップホップ・アーティストにあったなんとなくのマッチョ的なイメージとは異なり、より大人しそうで知的な印象を受けた。アルバム・ジャケットを見て予感した通り、内容はひじょうにカラフルでポップなものであり、とても新しいと思った。「ミー、マイセルフ&アイ」のビデオを観ると、当時のヒップホップにつきまとっていたステレオタイプなイメージを皮肉っているようにも感じられた。そして、ヒップホップに用いられているランプリングといえば、ジェイムス・ブラウンなどのソウル・ミュージックか、そうでなければハード・ロックというイメージがあったのだが、このアルバムではスティーリー・ダンやダリル・ホール&ジョン・オーツが用いられていて、そこにもかなり親しみを持った。ダリル・ホール&ジョン・オーツの「アイ・キャント・ゴー・フォー・ザット」をサンプリングした「セイ・ノー・ゴー」は、シングル・カットもされた。
SAY NO GO/DE LA SOUL
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3 Feet High & Rising
14,288円
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デ・ラ・ソウルはジャングル・ブラザーズ、ア・トライブ・コールド・クエスト、クイーン・ラティファらと共に、ネイティヴ・タンという一派に属していた。デ・ラ・ソウルがとても好きだったこともあり、私はネイティヴ・タン一派のアルバムをいろいろ買っては気に入っていたのだが、ここでもサンプリングに驚かされた忘れられない1曲があった。1990年にリリースされたア・トライブ・コールド・クエストのデビュー・アルバム「ヒップ・ホッパーズQ軍団の大冒険」から、「キャン・アイ・キック・イット?」である。シングル・カットもされたこの曲のサンプリング元は、なんとルー・リードの1973年のヒット曲「ワイルド・サイドを歩け」である。大好きだったが、ヒップホップからは最も遠い音楽ではないかと思っていた。ところがこれがばっちりハマっていて、こうなればもうなんでもありで、なんて自由な音楽なのだろうと感激したのであった。
CAN I KICK IT?/A TRIBE CALLED QUEST
この年、日本ではスチャダラパーがアルバム「スチャダラ大作戦」でデビューした。日本のコミックソングやアニメ主題歌などをサンプリングし、ライムの内容は怒りを宿しながらも、ひじょうにユーモアにとんだものである。それでいて、下品にはけしてならない。そして、なによりもとても音楽的である。この時代に日本でラップをやるということに対しての自己客観化のようなものが、批評性と相まってひじょうにいとおしくも感じられた。当時のバブリーでトレンディーな若者文化を揶揄した「N.I.C.E. GUY」が特に印象に残っていて、ライムにはもはやよく意味が分からなくなっているものもあるが(もちろん当時、リアルタイムで聴いていた私には分かるが)、いまでもとても楽しく聴くことができる。
N.I.C.E. GUY/スチャダラパー
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スチャダラ大作戦
2,000円
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翌年、1991年にスチャダラパーはソニーからメジャー・デビューする。この年にはパブリック・エナミーのチャック・Dがスラッシュ・メタルのアンスラックスと「ブリング・ザ・ノイズ」のカバーでコラボレートし、フリッパーズ・ギターが解散し、ニルヴァーナの「ネヴァーマインド」がものすごく売れて、ラウドなロックがトレンドになっていく。
この頃、私はインディー・ロックが好きな人たちと新たに出会ったり、やはりニルヴァーナのブレイクがあったりして、またロックを中心に聴いていくようになる。そして、ヒップホップは着実にポップ・ミュージック界のメインストリームへの道を歩んでいくのであった。









