1990年頃までのヒップホップで個人的な印象に残る10曲。 | …

i am so disappointed.

先日、高円寺の文禄堂で買った「ライムスター宇多丸の『ラップ史』という本を読んでいるのだがとても面白いので、読み終えたら感想のようなものは書くこととして、読みながら私がヒップホップという音楽をはじめて認識し、聴くようになっていった頃のことが懐かしく思い出されたので、その頃の印象に特に強く残っている10曲を挙げながら、思い出的なものも適当に書いていきたいと思う。

 
ヒップホップ初のメジャーなヒットは1979年のシュガーヒル・ギャングの「ラッパーズ・ディライト」と言われているのだが、この曲がヒットしたのは私が全米ヒット・チャートをチェックしはじめる少し前なので、リアルタイムでの印象はまったく無い。1981年にブロンディ「ラプチュアー」のシングルを買ったが、この曲にはニューヨークで流行しているラップという音楽の要素が入っているといわれていた。また、トム・トム・クラブの「おしゃべり魔女」は日本のラジオでもよくかかっていて、この曲にもラップ的な要素が用いられていたような気がする。
 
また、漫才ブームや「オレたちひょうきん族」の「ひょうきんベストテン」などもあり、お笑い芸人がレコードを出すケースがひじょうに多かったが、山田邦子の持ちネタをほぼ1本丸ごと収録したような「邦子のかわい子ぶりっ子(バスガイド編)」にも、ヒップホップからの影響を感じなくもない。また、ラジオ番組から派生し、イエロー・マジック・オーケストラ関連のユニットとして当時の若者に人気があったスネークマンショーの「咲坂と桃内のごきげんいかが1・2・3」にも、その要素があったといえる。
 
これらの曲は当時、私が通っていた中学校でも人気があったが、特にラップだとかヒップホップという言葉とは関連づけていなかったような気がする。1983年に買ったマルコム・マクラレンの「俺がマルコムだ!」というアルバムにはそれまでに聴いたことがなかったようなタイプの曲がいろいろ入っていて楽しかったが、イギリスでシングルがヒットした「バッファロー・ギャルズ」という曲はヒップホップを取り入れたものであった。この頃はおそらくヒップホップという言葉をもうすでに知っていたような気もするのだが、それは雑誌「宝島」で紹介されていたからである。音楽のサブジャンルというよりは、ラップ、ブレイクダンス、グラフィティ・アートといったものをすべて含めたカルチャー全般を指していたような記憶がある。
 
当時、紹介されていたヒップホップの特徴で、最も印象的だったものの1つがレコードを擦って音を出すスクラッチというやつで、この年にはジャズ・ミュージシャンのハービー・ハンコックがこのスクラッチを取り入れた「ロックイット」をヒットさせていたりもした。また、当時のヒップホップ・カルチャーを描写した映画「ワイルド・スタイル」が公開されたのもこの年で、やはり「宝島」の記事で読んで知っていた。
 
この頃、イギリスではすでにグランドマスター・フラッシュ&ザ・フューリアス・ファイヴの「ザ・メッセージ」が大ヒットしていたのだが、まだ全米ヒット・チャートしか追っていなかった私は聴いたことがなかった。1984年、ニューヨークから帰国した佐野元春がヒップホップから強い影響を受けたアルバム「VISITORS」をリリースした。この年に私はヒップホップのアーティストのレコードをはじめて買うのだが、それはアフリカ・バンバータがジェイムス・ブラウンとコラボレートした「ユニティ」の12インチ・シングルであった。
 
この曲を知ったのは渋谷陽一の「サウンド・ストリート」だったような気がするのだが、いまとなっては記憶が定かではない。アフリカ・バンバータという名前にインパクトがあったし、曲もすごぅカッコよかった。当時、ジェイムス・ブラウンの曲はヒット・チャートには入っていなかったのでよく知らず、私がはじめて買ったジェイムス・ブラウンのレコードもこの「ユニティ」となった。
 
平和、団結、愛というようなメッセージを訴えていながらもあくまで楽しく、ポップスとしてひじょうに力強い。ビデオもとてもカッコいいものであった。旭川のレコード店にもちゃんと入荷していたので、日本でもそこそこ話題になっていたのだろう。これが私が旭川で買った最初でおそらく最後のヒップホップのレコードである。
 
UNITY/AFRIKA BAMBAATAA & JAMES BROWN
 
 
ユニティ ユニティ
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その後、アフリカ・バンバータはタイム・ゾーンというユニットでパブリック・イメージ・リミテッドのジョン・ライドンとコラボレートし、シングル「ワールド・ディストラクション」をリリースする。確か輸入盤しか出ていなくて、大学受験で東京に滞在していた時に、六本木ウェイヴで買った。
 
アフリカ・バンバータの代表作はそれ以前にリリースされたシングルだといわれていて、確か「プラネット・ロック」「パーフェクト・ビート」「レネゲイズ・オブ・サウンド」の12インチ・シングルの国内盤が発売された。4月の日曜日に新宿の帝都無線でまとめて買った記憶がある(その日の夜には渋谷ライブインで行われた小山卓治のライブに行っているのだから、当時から音楽の趣味についての一貫性がまったく無い)。
 
この年はUSAフォー・アフリカの「ウィ・アー・ザ・ワールド」の大ヒットや大規模なチャリティー・イベント「ライヴ・エイド」などが印象深くもあったが、秋にはアパルトヘイトに反対するアーティストたちによるシングル「サン・シティ」がリリースされ、話題を呼んだ。これにはアフリカ・バンバータ、カーティス・ブロウ、Run-D.M.C.といったヒップホップのアーティストも多数参加した。
 
そして、翌年の1986年、Run-D.M.C.の「ウォーク・ディス・ウェイ」が、全米シングル・チャート4位のヒットを記録した。これはエアロスミスが1975年にリリースした同タイトルの楽曲(邦題は「お説教」)にしたもので、バンドからスティーヴン・タイラーとジョー・ペリーも参加していた。夏休みに帰省して、札幌の友人の家で深夜にテレビをつけていると、この曲のビデオがよく流れていた記憶がある。東京に戻ってから、当時、渋谷の公園通りにあったCSVというCDショップのセールで、この曲が入ったアルバム「レイジング・ヘル」のCDをピーター・ガブリエルの「SO」やビーチ・ボーイズの「メイド・イン・USA」などと一緒に買った。ヒップホップのアルバムを買うのはこれがはじめてであった。
 
WALK THIS WAY/RUN D.M.C.
 

 

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Run-D.M.C.の「ウォーク・ディス・ウェイ」が大ヒットした1986年、日本では近田春夫がヒップホップ・アーティスト、President BPMとしてシングル「MASSCOMMUNICATION BREAKDOWN」をリリースした。大学の帰りに本厚木のすみやでこの12インチ・シングルを買った。その後、President BPM名義でリリースされたシングルは、おそらくすべて買ったはずである。本当に重要な問題は取り上げず、芸能人のスキャンダルばかり追いかけているマスコミを批判した内容は、32年後の現在でもそっくりそのまま有効である。このシングルを聴き、日本語でもカッコいいヒップホップはできるのだと思った、秋の夕暮れのワンルームマンションであった。

 

MASSCOMMUNICATION BREAKDOWN/President BPM

 

 

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4,000円
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1987年には日本のバンド、リアル・フィッシュがシングル「ジャンクビート東京」をリリースし、いとうせいこうと共にサザンオールスターズの桑田佳祐がラップで参加していた。

 

この頃、LL・クール・Jもひじょうに人気があり、アルバム「ビガー・アンド・ディファー」からはメロウなスロー・チューン「アイ・ニード・ラヴ」が全米シングル・チャート14位(全英では8位)を記録していた。このアルバムが気に入った私は1985年にリリースされていたデビュー・アルバム「レイディオ」も買うのだが、これがまたカッコよくて最高であった。LLクールJのことは、アール・エフ・ラジオ日本の「全英トップ20」で大貫憲章が気に入っていると言っているのを以前に聞いていた。当時、ロックとヒップホップのリスナーはまだあまり分かれていなかった印象があり、ヒップホップのことは最も新しいロックというような感じで聴いていたような気がする。藤原ヒロシと高木完によるTINNIE PUNXはPresident BPMの「NASU KYURI」のカップリングに収録された「I LUV GOT THE GROOVE」において、ロックンロールはもはやロックではない、ヒップホップをやっている自分たちこそがロックなのだ、というようなことをラップしていた。というわけで、パンクやニュー・ウェイヴのイメージが強い大貫憲章が、「全英トップ20」で気に入っていると言っていて、「ラジオが無ければ生きていけない」という原題でもあるラップの一節を真似したことを覚えていたのが、「レイディオ」という曲である。レコードで聴くと、やはりすごくカッコよかった。当時、まだ10代だということも話題になっていた。

 

I CAN'T LIVE WITHOUT MY RADIO/LL COOL J

 

 

Radio Radio
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イギリスでは「NOW」とか「HITS」とかとにかくヒット曲をたくさん収録した2枚組のコンピレーション・アルバムがリリースされては、ものすごく売れていた。こういうのは真面目な音楽ファンからはバカにされがちなのだが、ミーハー上等で音楽ファンをやらせていただいている私などは大好きでよく買っていた。そして、東京プリンスホテルでのアルバイトの帰りに六本木ウェイヴに寄って買った「HITS 7」で、エリック・B&ラキムの「ペイド・イン・フル」を知った。この曲は「HITS 1」の1枚目B面の最後の方に入っていた。ニュー・ウェイヴ・バンド、スード・エコーによるリップス「ファンキータウン」のカバーと、シックの1978年の大ヒット曲「おしゃれフリーク」のリミックス・バージョンとの間である。イスラエルの歌手、オフラ・ハザのボーカルなど、様々なサンプリング音がコラージュされたようなその音楽性はヒップホップ時代のまったく新しいポップ・ミュージックであり、曲の冒頭でアナウンスされるように、まるで音楽の旅のようであった。

 

PAID IN FULL/ERIC B. & RAKIM

 

 

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589円
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アメリカ文学界では新世代の作家として「ブライト・ライツ、ビッグ・シティ」のジェイ・マキナニーと共に注目されていた、ブレット・イーストン・エリスのデビュー小説「レス・ザン・ゼロ」が映画化された。サウンドトラックにはLLクールJやパブリック・エナミーの新曲も収録されているということだったので買ってみた。1988年のはじめ頃だったと思う。その前の年、「ミュージック・マガジン」の年間ベスト・アルバムでパブリック・エナミーのデビュー・アルバム「YO!バム・ラッシュ・ザ・ショウ」が高く評価されていた。また、このアルバムはイギリスの「NME」でも年間ベスト・アルバムに選ばれていた。翌年がパブリック・エナミーの次のアルバム、更にまた次の年はデ・ラ・ソウルのデビュー・アルバムと、インディー・キッズご用達の「NME」において、ヒップホップのアルバムが3年続けて年間ベスト・アルバムに選ばれていた。

 

「レス・ザ・ゼロ」のサウンドトラックに収録されていたパブリック・エナミーの新曲は「ブリング・ザ・ノイズ」、強力なラップとカッコいいバックトラックがすぐに気に入った。アートフォームとしてまったく新しく、刺激的である。かつてニュー・ウェイヴに夢中になった人たちが当時のヒップホップに飛びついたのも至極当然というものだろう。この頃からしばらく、私はロックやニュー・ウェイヴのレコードをあまり買わなくなっていった。

 

BRING THE NOISE/PUBLIC ENEMY

 

 

 

1989年、「ミュージック・マガジン」でいとうせいこう「MESS/AGE」のレヴューを読み、なんとなくこれは買った方が良いのではないかと思ったので渋谷ロフトの1階にあったウェイヴで買ったのだが、これがとてつもない作品であった。ラップとかヒップホップとかいうこと以前に、日本語にはこのような可能性があるのかという意味での衝撃を受けた。紙に書かれたり印刷された文章が音になることによって新しい意味を得るのが朗読やポエトリー・リーディングで、ラップはそこにトラックが加わることによって、さらに情報量が増える。そのリリックは知的でありながら、ひじょうにリアリティーを感じさせもしたし、あれから30年近くが経過したいま聴いてもまったく古びていないテーマもあれば、当時はよく意味が分からなかったが、いま聴くと来るべき未来を予見していたかのようなところもある。私が買った初回盤はジャケットのケースも特殊な感じで、日本語で韻を踏むための手引書のようなものも付いていた。

 

噂だけの世紀末/いとうせいこう

 

 

Mess / Age Mess / Age
2,171円
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同じ年、アメリカではデ・ラ・ソウルのデビュー・アルバム「3フィート・ハイ&ライジング」がリリースされた。それまでのヒップホップ・アーティストにあったなんとなくのマッチョ的なイメージとは異なり、より大人しそうで知的な印象を受けた。アルバム・ジャケットを見て予感した通り、内容はひじょうにカラフルでポップなものであり、とても新しいと思った。「ミー、マイセルフ&アイ」のビデオを観ると、当時のヒップホップにつきまとっていたステレオタイプなイメージを皮肉っているようにも感じられた。そして、ヒップホップに用いられているランプリングといえば、ジェイムス・ブラウンなどのソウル・ミュージックか、そうでなければハード・ロックというイメージがあったのだが、このアルバムではスティーリー・ダンやダリル・ホール&ジョン・オーツが用いられていて、そこにもかなり親しみを持った。ダリル・ホール&ジョン・オーツの「アイ・キャント・ゴー・フォー・ザット」をサンプリングした「セイ・ノー・ゴー」は、シングル・カットもされた。

 

SAY NO GO/DE LA SOUL

 

 

3 Feet High & Rising 3 Feet High & Rising
14,288円
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デ・ラ・ソウルはジャングル・ブラザーズ、ア・トライブ・コールド・クエスト、クイーン・ラティファらと共に、ネイティヴ・タンという一派に属していた。デ・ラ・ソウルがとても好きだったこともあり、私はネイティヴ・タン一派のアルバムをいろいろ買っては気に入っていたのだが、ここでもサンプリングに驚かされた忘れられない1曲があった。1990年にリリースされたア・トライブ・コールド・クエストのデビュー・アルバム「ヒップ・ホッパーズQ軍団の大冒険」から、「キャン・アイ・キック・イット?」である。シングル・カットもされたこの曲のサンプリング元は、なんとルー・リードの1973年のヒット曲「ワイルド・サイドを歩け」である。大好きだったが、ヒップホップからは最も遠い音楽ではないかと思っていた。ところがこれがばっちりハマっていて、こうなればもうなんでもありで、なんて自由な音楽なのだろうと感激したのであった。

 

CAN I KICK IT?/A TRIBE CALLED QUEST

 

 

 

この年、日本ではスチャダラパーがアルバム「スチャダラ大作戦」でデビューした。日本のコミックソングやアニメ主題歌などをサンプリングし、ライムの内容は怒りを宿しながらも、ひじょうにユーモアにとんだものである。それでいて、下品にはけしてならない。そして、なによりもとても音楽的である。この時代に日本でラップをやるということに対しての自己客観化のようなものが、批評性と相まってひじょうにいとおしくも感じられた。当時のバブリーでトレンディーな若者文化を揶揄した「N.I.C.E. GUY」が特に印象に残っていて、ライムにはもはやよく意味が分からなくなっているものもあるが(もちろん当時、リアルタイムで聴いていた私には分かるが)、いまでもとても楽しく聴くことができる。

 

N.I.C.E. GUY/スチャダラパー

 

 

スチャダラ大作戦 スチャダラ大作戦
2,000円
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翌年、1991年にスチャダラパーはソニーからメジャー・デビューする。この年にはパブリック・エナミーのチャック・Dがスラッシュ・メタルのアンスラックスと「ブリング・ザ・ノイズ」のカバーでコラボレートし、フリッパーズ・ギターが解散し、ニルヴァーナの「ネヴァーマインド」がものすごく売れて、ラウドなロックがトレンドになっていく。

 

この頃、私はインディー・ロックが好きな人たちと新たに出会ったり、やはりニルヴァーナのブレイクがあったりして、またロックを中心に聴いていくようになる。そして、ヒップホップは着実にポップ・ミュージック界のメインストリームへの道を歩んでいくのであった。