オフコース「over」のこと。 | …

i am so disappointed.

オフコースは1979年12月5日にリリースしたデビュー10年目にして17枚目のシングル「さよなら」がオリコン週間シングルランキング2位の大ヒットを記録し、それで一気にメジャーになったイメージがあるが、当時、中学生だった私がはじめて聴いたのはおそらく、その前のシングル「愛を止めないで」だったような気がする。この曲はラジオでよくかかっていた印象がある。

 

1970年代後半はニューミュージックがブームで、アリス、ゴダイゴ、世良公則&ツイスト、原田真二、渡辺真知子、庄野真代などといった、歌謡曲でもアイドルポップスでもない音楽を歌ったり演奏したりするアーティストが、ピンク・レディー、沢田研二、山口百恵、西城秀樹、郷ひろみ、五木ひろしといった歌謡界の人気者に混じってヒットチャートで活躍し、1978年に放送を開始した「ザ・ベストテン」に出演したりしていた。当時、小学生や中学生であった私たちにも、なんとなくアイドルや歌謡曲はもう時代遅れで、ニューミュージックの方がカッコいいというような気分があった。

 

オフコースもやはりそのようなニューミュージックのアーティストとして、ラジオでは曲がかかっていたが、テレビには出演していなかった。そして、実は1970年からの長い歴史のあるグループだということも、当時の私はまったく知らなかった。「さよなら」のヒットの後、さらに高い人気を獲得し、「YES-NO」「I LOVE YOU」「YES-YES-YES」といったシングルをヒットさせたり、アルバムはリリースすれば必ずアルバムランキングの1位というような状態が続いた。その時期、私は中学生や高校生であり、周囲にも熱心なオフコースのファンはいたが、そのすべてが地味な女子であった。ラジオで「言葉にできない」「秋の気配」といった曲を聴いて、良いなと思ったことはあるが、それを友人に言おうとは思わなかったし、もっとちゃんと聴きたいと思ってレコードを買うこともなかった。これは当時の私が置かれた状況が特殊だったのか、単に自意識過剰すぎただけという可能性もあるのだが、当時、オフコースのレコードを聴くことには、少女コミックや女性ファッション誌を読むのと同様のハードルの高さがあったような気がする。

 

そしてその頃、クラスの男子の間で最も人気があった有名人といえばビートたけしで、木曜深夜の「オールナイトニッポン」を聴いていなければ翌日のクラスでの会話についていけなかったり、これはいまでもたまに感じることなのだが、この世代の男性が面白い話を人に話す時は、自然と「オールナイトニッポン」でのビートたけしに近い口調になっている場合が少なくない。

 

ビートたけしの「オールナイトニッポン」がはじまったのは1981年の元旦だが、その起用にあたっては、その前の年に起こった漫才ブームによって、ビートたけしとビートきよしによるコンビ、ツービートが人気者になったことが大きく影響したと思われる。テレビ的にはよりポップで万人受けするタイプのB&Bやザ・ぼんちの方が人気があったが、ツービートはそのブラックユーモア満載の本が大人にも売れて、ベストセラーになったりもしていた。そして、「オールナイトニッポン」でのマシンガントークによって、ビートたけしは当時の若者(主に男子)のカリスマ的な存在になったのであった。

 

オフコースの「さよなら」がリリースされた翌月は、もう1980年代であった。元旦には沢田研二が「TOKIO」をリリースされ、同じく日本の首都、東京を「TOKIO」と表現した「テクノポリス」によって、イエロー・マジック・オーケストラがテクノポップを社会現象にする。深い意味はなく、なんとなく明るくてポップな感覚が良いものとされ、暗くて深刻ぶった感じのものはダサくてモテない、流行に後れたものとされていった。それらしい意味を歌っているようであったニューミュージックに取って変わるようにして、ポップで明るい田原俊彦や松田聖子がデビューしてブレイク、久しぶりにアイドルポップスが輝きを取り戻した。そして、夏には山下達郎が「RIDE ON TIME」を大ヒットさせる。私が中学生として体験した1980年代の幕開けの気分とはこのようなもので、それゆえにオフコースの「さよなら」は1980年代がはじまるわずか1ヶ月前にリリースされたに過ぎないにもかかわらず、少なくとも私にとっては1970年代的な価値観を引きずるものであるように思えた。

 

そして、まだ「笑っていいとも」ははじまっていなく、深夜のイメージが強かったタモリは、このニューミュージックをものすごく嫌っていた。特にアリスやさだまさしが槍玉に上げられていたような印象があるのだが、オフコースも批判されていたようだ。

 

とにかく、たとえばイエロー・マジック・オーケストラや沢田研二や田原俊彦に比べると曲がひじょうに暗い、そして、ハイトーンなボーカルで女言葉の歌詞を歌っていたりもする。私もそのような風潮に流されて、ニューミュージックは暗くてダサいし、オフコースもそれに属するものだという認識で、この時代を生きていた。

 

一方で、タモリはRCサクセションをひじょうに気に入っていて、「オールナイトニッポン」でライブを放送したりもしていた。また、沢田研二の「TOKIO」を作詞したコピーライターの糸井重里はパルコ出版から発刊されていた「ビックリハウス」という雑誌で「ヘンタイよいこ新聞」という連載をしていたが、これがサブカルチャー好きの若者の間ではものすごく受けていた。当時、「ビックリハウス」を読んでいるタイプの少年少女は、たいてい「宝島」も買っていたのだが、表紙になる確率が高いのはRCサクセションとイエロー・マジック・オーケストラのメンバーであった。RCサクセションは当時、糸井重里が司会をしていたNHKテレビの「YOU」という番組でもライブが放送されている。また、これらの文化圏ともファン層がわりとかぶっていたと思われる佐野元春はこのような状況を冷めた目で見ていたような感じもあった。

 

先日、台風の夜に高円寺の文禄堂という書店で、萩原健太さんの「80年代 日本のポップス・クロニクル」という本を買った。数年前に出版された「70年代シティ・ポップ・クロニクル」の続篇的な内容だろうと、タイトルや装丁から容易に想像ができた。ということはつまり、私が中学生や高校生であった1980年代のシティ・ポップについて書かれているわけで、取り上げられているほとんどのアルバムを、私はすでに聴いているのだろうと思っていた。しかし、よく見ると今回は「シティ・ポップ」ではなく、「日本のポップス」の「クロニクル」である。音楽性がより広がっている。それゆえに、聴いていないアルバムもいくつか取り上げられていた。ちなみにすでに聴いたことがあったのは、佐野元春、大滝詠一、RCサクセション、山下達郎、松田聖子、イエロー・マジック・オーケストラ、サザンオールスターズ、聴いたことがなかったのは、ザ・ベンチャーズ、沢田研二、オフコース、甲斐バンド、井上陽水であった。ザ・ベンチャーズについては日本のアーティストですらないのだが、読めば納得できる理由がちゃんとあって、ここに選ばれている。

 

この聴いたことがあるものとないものとを分けているのはなんだったのかと考えるに、私にとって1980年代の新しい感覚か、1970年代を引きずっているように思えたかの違いだったと思うのである。大滝詠一、RCサクセション、山下達郎、イエロー・マジック・オーケストラなどはもちろん1970年から活動するアーティストなのだが、私が認識したのは1980年代に入ってから、「君は天然色」「雨あがりの夜空に」「RIDE ON TIME」「テクノポリス」などによってであった。一方、聴いたことがなかったアーティストについては、1970年代にすでに活躍していた印象があるアーティストだったのである。また、サザンオールスターズだけが例外で、1978年のデビューシングル「勝手にシンドバッド」から買っていたので、もちろん知っていた。しかし、レコーディング以外の活動休止と一時的なシングルのセールス低迷を経て、1980年代の新しいバンドに生まれ変わったような印象があるのだ。

 

「80年代 日本のポップス・クロニクル」において、キーとなる12枚のアルバムはリリース日順に解説されているのだが、大滝詠一「A LONG VACATION」、RCサクセション「EPLP」の次がオフコース「over」で、その次が山下達郎「FOR YOU」である。私の個人的な感覚としては、オフコース「over」だけが明らかに浮いている。実際のところはそうでもないのかもしれないのだが、私の感覚ではこのアルバムだけまったく毛色が違う。しかし、それはただ単にこれだけ私が聴いていなかったからに過ぎないのかもしれない。

 

萩原健太さんは私よりも10歳上で、それゆえにためになったり面白いことがたくさん、その著書には書かれているのだが、数日後に同じ書店で、今度は私と生まれた年が同じのスージー鈴木さんの「イントロの法則’80s」という本を買った。これもとても面白かったのだが、やはりオフコースの楽曲「Yes・No」を取り上げられて、やはりオフコースの真価はもっと語られるべき、というような指摘をされていた。また、私の大好きな最近のアイドルポップスをいくつも作曲されている吉田哲人さんも、オフコースはもっと高く評価されるべき、というような内容のツイートをされている。オフコースのことを、中学生だった頃の暗くてダサいという偏見や思い込みだけでほとんど聴いていない私は、ただそれを見ていることしかできなかった。

 

そして、「over」を聴いてみた。オフコースから小田和正ではない重要なメンバーが脱退したということはなんとなく知っていたのだが、「80年代 日本のポップス・クロニクル」を読んだことによって、その内容がもう少し詳しく分かった。方向性の違いかなにかよく分からないのだが、当時、鈴木康博のグループからの脱退は避けられないような状況だったのだという。小田和正にとっては、鈴木康博がいない状態でグループを続けることは考えられず、おそらく解散する意向なのではないかというのが、ファンの見解だったらしい。この前のアルバムタイトルが「We are」であり、続けると「We are over」、つまり「私たちは終わった」となることから、憶測を呼んだのだという。

 

「over」には別れについての曲がいくつも収録されているのだが、それは恋愛における別れをテーマにした曲としても素晴らしいのだが、実はバンドのメンバー間のことでもあるというのが、定説のようでもある。そう考えると、あの有名な「言葉にできない」の歌いだし、「終わる筈のない愛が途絶えた いのち尽きていくように ちがう きっとちがう 心が叫んでる」に、また異なった解釈も生じ、その痛切さに心が痛む。

 

アルバムは「心 はなれて」のインストゥルメンタルではじまる。アルバムのはじめにイントロダクション的に短いインストゥルメンタルを入れるというパターンは他にもあるように思えるが、このアルバムにおいてはそれが2分以上にもおよび、アルバムを聴く心の準備を整えてくれる。そしてこの曲については、歌の入ったバージョンがアルバムの最後に収録されている。2曲目、「愛の中へ」はアルバムと同時にシングルもリリースされたらしく、ラジオで聴いたことがあるような気もする。オリコン週間シングルランキングの最高位は23位だったようだ。記憶にあったイメージよりも明るい曲で、ギターとシンセサイザーのサウンドが印象的である。そして、メロディーがひじょうに美しい。しかし、小田和正のボーカルを聴くと、いかにもオフコースだという気分になるのだが、実はハイトーンの男性ボーカルというのはたくさんいて、特に洋楽においては、たとえばビー・ジーズのように、それを楽しんですらいるではないかと思ったのである。私がオフコースを聴くハードルを勝手に高くしている理由としては、やはり当時のニューミュージックやオフコースのイメージ、そして、日本語の歌詞が分かりやすすぎることでもあるのだろう。しかし、それらの雑念を取り払って、純粋なポップスとして聴いてみれば、これはなかなか良いのではないかとも思えたのである。

 

そして、次の「君におくる歌」だが、これはすごく好きである。まさにシティ・ポップという感じなのだ。あまりオフコースらしさを感じないと思ったのだが、それはおそらくリードボーカルが小田和正ではないからだろう。この翌年にマーティ・バリンの「ハート悲しく」を流行らせたような、とても日本人好みのセンチメンタルなAORにも通じる部分がある。マーティ・バリンの「ハート悲しく」について、数週間前の日曜日の朝に急に聴きたくなり、この曲を収録したアルバム「恋人たち」を聴いたところひじょうに気に入り、そのことをブログにも書いた。マーティ・バリンはオフコースのファンでもあり、KBCバンドで「さよなら」をカバーしたりもしている。私がこの記事を書いた数日後に、マーティ・バリンは天国に旅立ったのだという。

 

シティ・ポップという言葉をいつ頃から認識したのだろう。大滝詠一「A LONG VACATION」、山下達郎「FOR YOU」などは、いまでこそシティ・ポップの名盤とされているのだが、当時、シティ・ポップという呼び方をされていた印象がそれほどない。もっと正直に言ってしまうならば、まったくない。もしかするとそう言われることもあったのかもしれないが、シティというよりはリゾートの雰囲気の方が強かったように思える。当時、シティ・ポップと呼ばれてしっくりくるのは、オフコースやチューリップといったニューミュージックの延長線上にありながらも、よりライトでポップな音楽性を持つ、たとえば山本達彦だとかが近いような気がする。小田和正のボーカルはあまりにも有名になりすぎて、ひじょうに強い個性を放ってもいるのだが、この鈴木康博がリードボーカルを取った曲は、当時におけるシティ・ポップのイメージにわりと近いのではないかという気がする。この曲でも、やはり別れがテーマになっているが、それは相手に対して強いリスペクトを含むものでもある。

 

続く、「ひととして」というタイトルを見ると、海援隊の「人として」を思い出すのだが、そのシングルは「over」の前の月にリリースされていたらしい。とはいえ、小田和正の作曲によるこの「ひととして」はそれとはまったく関係のない、ひじょうに美しい曲である。ハーモニーが素晴らしい。

 

そして、「メインストリートをつっ走れ」は鈴木康博の曲なのだが、日本でいうところのAORではなく、アメリカのアダルト・オリエンティッド・ロックという印象であり、間奏のギターソロなども含め、ひじょうにカッコいい。

 

アナログレコードではここからB面になるが、ます「僕のいいたいこと」は、コーラスとメインボーカルが別々の歌詞を同時に歌うという、ひじょうに面白い構造になっている。作曲は松尾一彦、ストリングアレンジを鈴木康博が行っている。ここまで聴いてきて、私はどうやら鈴木康博の楽曲の方が好きなのかもしれないと思ったのだが、残りはすべて小田和正の曲であった。そして、小田和正の作詞・作曲である「哀しいくらい」がとても気に入った。シティ・ポップというかAORというか、私がラジオから流れるヒット曲だけを聴いてなんとなく思い描いていたオフコースのイメージとはかなり異なり、スティーリー・ダンのような雰囲気もある。私にとってスティーリー・ダンを少なからずとも感じさせるものはすべて尊いので、この曲もかなり気に入った。そして、このような曲で聴くと、小田和正のハイトーンボイスがひじょうに心地よいのである。というか、もしかするとこのぐらいになると慣れてきたをとおり越して、クセになっているという可能性がなきにしもあらずである。途中でサックスも入り、これがまた最高なのである。

 

そして、とても有名な「言葉にできない」がはじまり、いまやスーパーマラドーナの漫才のネタにも使われるぐらいの人気曲だが、その一方で、気恥ずかしさもなんとなく感じる。しかし、曲を聴きすすめていくにつれ、その音楽にすっかり引き込まれ、やはりこれは素晴らしい曲だと思ったのであった。そして、最後は「心はなれて」である。とても悲しい曲ではあるのだが、ピアノやストリングスの音色やメロディーも含め、ただただ美しい。「窓の外は雪」という歌詞があるが、12月にリリースされたこのアルバムは当時のファンにとって、この冬を象徴する作品にもなったのであろう。

 

海外のポップスにハイトーンの男性ボーカルは珍しくもなく、それらを私たちは普通に楽しんでいる。それがなぜオフコースの小田和正には抵抗があったのかというと、やはり当時のニューミュージックに対する偏見や思い込みのせいだったのではないかと思う。1980年代初期のハイトーンの男性ボーカルといえば、名盤「南から来た男」でデビューしたクリストファー・クロスで、日本では田中康夫の小説「なんとなく、クリスタル」で主人公の女子大学生、由利が気に入ったレコードでもある。「over」を聴くと、オフコースの音楽にはAORやシティ・ポップ的な要素がひじょうに強いということがあり、小田和正のボーカルがハイトーンであることも考えると、時代的にクリストファー・クロスと一緒に聴いているリスナーがいてもいいはずだし、実際にはいたのかもしれない。エア・サプライとはなんとなくかぶっていたような気もする。しかし、当時、オフコースはニューミュージックであったがゆえに、これらとはまったく別なイメージで捉えられていたし、私が当時、聴かなかったのもおそらくそれが原因であろう。

 

「over」を聴いたばかりにすぎない私ではあるが、オフコースの音楽はいまこそ純粋にポップスとして聴かれ、評価されるべきだし、もっといろいろ聴いてみたいとも思った。実はファンハウス移籍後をも含めたベスト・アルバムがiTunesに入っているのだが、ろくに聴いていない。あの辺りはまた音楽性が変化したような印象があるので、そのうちちゃんと聴いてみようとも思う。

 

 

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