Negiccoのことをブラザートムさんがラジオで話していた。 | …

i am so disappointed.

埼玉県のFMステーション、NACK5でアーティストのブラザートムさんが「キリン一番搾り One More Pint!」という番組をやっていて、番組中にNegiccoのことを話したという。私はこのことを番組が終わった少し後ぐらいに、ツイッターのタイムラインに流れてきたツイートによって知った。そして、それはNegiccoのKaedeによってツイートされていた。

 
60分の番組なのだが、Negiccoの話題が出たのはわりと早くて、番組が始まってから7分を過ぎた辺りだった。「Music To Be Happy」といって、リスナーからのメールを紹介し、リクエスト曲をかけるコーナーなのだが、採用されたのは千葉県にお住いの方であった。5月に新潟に旅行に行った時に、たまたまNegiccoのライブを観たところ、すぐにファンになってしまい、その後、6月に行われた新潟のライブハウスや7月の朱鷺メッセのライブにも足を運んだのだという。このメールを読みながら、ブラザートムは「良いパフォーマンスしますもんね」「僕はもうそのパフォーマンスが胸に刺さりました」などと相槌を打つように話し、すべて読み終えた後には、「すごいな、Negicco。そうなったんだな」と、感慨深げに話していた。
 
そして、リクエスト曲の「さよならMusic」が流れた。
 
今年の7月で結成15周年を迎えたNegiccoの音楽を私が初めて聴いたのは、いまからわずか2年半ほど前のことに過ぎない。小西康陽が作詞・作曲・編曲を行ったシングル「アイドルばかり聴かないで」のことはインターネットの記事かなにかで見て知っていたのだが、曲を聴こうとまでは思わなかった。そして、今回この番組でかかった「さよならMusic」がカップリング曲として収録されたシングル「ときめきのヘッドライナー」のリリースイベントを行っているところを、私はたまたま買物で訪れていたタワーレコード新宿店で目撃してもいた。その時はライブではなく、当時はそういうものが存在していることすら知らなかった特典会を行っていて、誰だろうと思い、近くまで行ってポスターに印刷されたアーティスト名を読んだところ、Negiccoだったのである。その時にも興味がなかったので、特に立ち止まって見るということもなかった。
 
たまたま楽曲を聴いて気に入って、それからいろいろ調べはじめるのだが、このグループの歴史そのものがなかなか感動的であることを知り、さらに好きになっていったのであった。
 
しばらくローカルアイドルとして地元のイベントを中心に活動していて、このままやっていていいのだろうかと、不安になったり辞めそうになったこともあるのだという。その時、インターネット放送局のGyaOでアイドルのオーディション番組のようなものをやっていて、それにNegiccoが出演することになったのだという。番組タイトルは「勝ち抜き!アイドル天国!!ヌキ天」で、司会はお笑いコンビのスピードワゴンとモデルの土岐田麗子、審査員にはアーティストのブラザートム、ROLLY、ライターの吉田豪などがいた。4週勝ち抜くと、メジャーCDでビューが約束されていたという。すでに結成5年目を迎えていたNegiccoは、1週目を「圧倒的なスタイル」の安定したパフォーマンスで難なく勝ち抜いた。2週目は他の曲を予定していたのではないかという気もするのだが、スピードワゴンの小沢一敬から強い要望もあり、デビュー・シングルの「恋するねぎっ娘」で挑戦することになった。
 
NegiccoはそもそもJA全農にいがたの商品、やわ肌ねぎをPRするためのグループとして結成されていたこともあり、「恋するねぎっ娘」はネギを前面にアピールするような曲である。それ以降の曲とは、かなりタイプが異なる。しかし、スピードワゴンは以前になにかの仕事でNegiccoと一緒になった時にこの曲を聴き、度肝を抜かれたのだという。あまりの衝撃に、当時、自分たちがやっていたラジオ番組でかけるほどだったのだという。堂々のパフォーマンスで、2週目も勝ち抜いた。3週目は新潟の古町のことを歌い、地元の音楽祭でグランプリも獲得した「Falling Stars」を歌い、難なく勝ち抜き、いよいよCDデビューがかかった4週目を迎えることになった。
 
地元からのファンも大勢つめかけた会場で、Negiccoが選んだ曲は「完全攻略」であった。テクノポップ的なイントロから始まり、可愛い振り付けやかけ声も楽しい、最高のポップ・ソングである。パフォーマンスもひじょうに完成度が高く、会場との一体感もあり、かなり良い出来のように、録画された映像を収録から6年以上も後に観た私は思った。この週は5名の審査員全員が勝ち抜きをあらわす赤の札を上げなければいけなかったのだが、1つだけ残念の青の札が上がり、勝ち抜きはならなかった。
 
ROLLYは数分間の中に驚異的な情報量が詰め込まれていて楽しくて最高だったと楽曲を高く評価し、その上で最後のハモりなどパフォーマンスも良かったということで、フリップには「こりゃええわ」と書かれていた。吉田豪はローカルアイドル時代のデビュー・シングルからCDを買っていて、その時にはピンと来なかったが、それから楽曲がテクノポップ化し、また通信販売で買って聴いてみると良かったのだが、この日のパフォーマンスを観て、ここまで完成度が高くなったのかと、さらに驚いたと言っていた。
 
一人だけ残念の札を上げた審査員は、その理由として、パフォーマンスは良かったが、メジャーでどうプロデュースをしていこうかという絵が描けなかった、と説明した。
 
ここでNao☆は、現在、プロデューサーも誰もいなく、振り付けを自分たちで考えたり、詞を自分で書いたり、アイドルという名前ではあるのだが、ただプロデュースされるだけではなく、自分たちでつくり上げていくユニットというのも目指して頑張っている、と主張をする。
 
その時に、「そうですよ」と何度か言っている声が聞こえるのだが、ブラザートムのような気もする。Nao☆の主張を聞いているうちに、残念の札を挙げた審査員の表情も変わっていくのだが、ここでスピードワゴンの井戸田潤がなにか言いたげなブラザートムに話を振る。
 
「こんな1回...こういう審査ですから、赤、赤、赤、青、赤って決まってるんですけど...まあ、なかったことにするっていうのはどうなんでしょう」
 
会場に集まったファン、司会のスピードワゴン、土岐田麗子、審査員のROLLYや吉田豪もブラザートムのこの提案に賛意をしめしているように見える。そしてさらに、果たしてこの日のパフォーマンスがてっぺんだったのか確かめたいという気持ちもある、その上で振り付けからなにから自分たちでやっていると聴いた瞬間にもう一度見てみたいと思ったし、いまやサッカーやバスケットなども地方のサポーターが盛り上げている時代、会場にNegiccoのサポーターたちが地元からこれだけ集まってくれているのを無にするのも心苦しい、もう一度チャンスをあたえてやってはもらえないだろうか、という提案をする。判断はなぜか土岐田麗子に委ねられ、「やりましょう」の一声で、Negiccoの次回4週目再チャレンジが決まった。
 
翌週は「Disco!! The Negicco!」で挑むのだが、またしても審査員の1人だけが残念の札を上げ、勝ち抜きにはならなかったのだが、もし他の審査員がよければ、3度目の正直ではないが、次週に新曲で再チャレンジというのはどうか、という提案がされる。そして、翌週には新曲の「Negiさま!Bravo☆」で見事、勝ち抜きを果たしたのであった。
 
後日、Negiccoの勝ち抜きを振り返る特集のようなものが放送されたようなのだが、それでブラザートムは、Negiccoのオリジナル曲を集めると家で踊れる良いCDが出来てしまうのではないか、彼女たちを出して本当によかった、と改めて言っていた。
 
Negiccoのメンバーはこの結果に感激し、泣きながら喜ぶのだが、ことはとんとん拍子にはいかなかったようである。この後、番組を配信していたGyaOがYahoo!動画と統合されることにより、番組そのものが終了してしまった。CDデビューの話は放置されたまま音沙汰がなく、連絡も取れなくなってしまったという。かなりの期間をおき、やっとのことで制作されたCDだが、メンバーが想像していたのとはまったく違った楽曲で、これではダメだとメンバー全員で泣くなど、この後も苦難の日々は続くのである。
 
「さよならMusic」をかけた後、ブラザートムがNegiccoについての思い出を話しはじめた。
 
2013年のシングル「ときめきのヘッドライナー」のカップリングナンバーですね、これ。
良いですね。なんか曲の感じが...2013年か。随分前ですね。良い感じの曲、歌ってたんですね。僕、これ知りませんでしたね。
 
えー、実はNegiccoがオーディション番組、出てたんですよ。僕、そこの審査員やってたんですね、いろんなアイドルが出てる。
それで、審査員の僕がやってはいけないことなんでしょうけども、審査員の評決で、全部で決まったのが、Negiccoが落ちてしまったんですよね。審査員として誠にしてはいけないんですが、「お願いです。もう一度チャンスを」って言っちゃったんですよね。
もう一度やらせてやってくんないか、彼女達のこのパフォーマンスの凄さを...なんだよあんたこれ...なぜダメなのか分からない、もう一度やらせてくれ、僕が頼んで次の週またやるんですけど、また落ちてしまうんですよね。
もう悔しくて、大人の事情っていうのが何かあったっんでしょうね、番組としても。そんなのは分からないNegiccoにとっても、そんな大人の事情なんか問題ない、こんな素敵なパフォーマンスをする子達はいない、そう言ってずーっと何度も粘っていたのがNegiccoだったんですよね。
 
頑張ってるようだなぁ。嬉しいな。
 
僕ね、分かるんですよ。この子達、バーンと光るかどうか。本当に分かるんですよ。Negiccoはそのうちの一人ですね。すごく嬉しいことです。
 
Negicco、頑張ってね。
 
いや、実に感動的な良い話である。
 
私が中学生の頃、土曜日は半日で授業が終わったので、帰ってから「お笑いスター誕生」というテレビ番組を観るのが楽しみだった。当時は漫才ブームで、この番組で最初に10週勝ち抜きグランプリを獲得したB&Bやザ・ぼんち、ツービート、島田紳助・松本竜介、西川のりお・上方よしおといった漫才師たちがテレビで大活躍し、また、若者の憧れの的であった。1980年は年代の変わり目というだけではなく、テクノ、アイドル、漫才のブームが象徴するように、世の中が一気にカラフルでポップになっていったような印象がある。「お笑いスター誕生」を観ることには、次のスターをいち早く発見する青田買い的な楽しみもあった。
 
この番組で警察官に扮した一人コントをやり、B&B、おぼん・こぼん、ギャグ・シンセサイザー、九十九一に続く、5代目のグランプリに輝いている。ちなみに、次の6代目がとんねるずである。警官コント以外にも、楽器を使った漫談のようなものをやっていたような気がする。当時、「いじわる警察官-職権乱用だよ、全員逮捕!」という本も出していて、当時住んでいた旭川の実家の近所にあった太陽堂書店で買った記憶がある。また、中村雅俊が主演するテレビドラマ「俺はおまわり君」にも、警察官の役で出演していた。
 
気がつくとブラザートムという名前になっていて、ブラザーコーンとの二人組、バブルガム・ブラザーズで音楽をやっていた。お笑い芸人からミュージシャンに転向したのかと思っていたのだが、元々はバンドの宣伝のために他のメンバーとのコンビで「お笑いスター誕生」に出演するつもりだったのだが、直前に断られたので一人で出てみたところ、受けてしまったということのようだ。ブラザートムが初めてライブを行ったのは、埼玉県熊谷市の八木橋百貨店の屋上だという。Negiccoが毎年イベントを行っているのと同じ百貨店である。「さよならMusic」の「出会えたのは 偶然の運命」という歌詞が頭によぎる。
 
バブルガム・ブラザーズは日本ではまだロック系の音楽が中心だった頃から、ポップスとしてR&Bに取り組んでいた。久保田利伸よりも1年早い、1985年にシングル「忘れじのエブリナイト」でデビューしている。また、佐野元春がブラザー・コーンと中学校の同級生だった頃から交流もあり、楽曲提供やライブへのゲスト出演などもしていた。このライブは1985年の5月に行われたが、予備校で知り合った恵比寿の友人の家からチケットを取ろうと電話をかけ続けたが、結局、取れなかった時のものである。
 

 

1987年には当時、ワシントンD.C.で流行していたゴーゴーを取り入れたアルバム「非難GO-GO」をリリースし、私はこれをこの年の夏休みに旭川の実家に帰省している時に買った。どこかコミックバンド的なイメージがあるのだが、クオリティーは高く、コモドアーズ「スリー・タイムズ・ア・レディ」へのオマージュかもしれない「3回目の女」というバラードなど、わりと好きだった。あと、「ノッてるか~い?」というような呼びかけに対し、デュラン・デュラン「ノトーリアス」を引用して、「ノ、ノ、ノットーリアス」というようなコーラスが入っているところなども好きだった。

 

大ヒットした「WON'T BE LONG」は1990年8月22日のリリースなのだが、フジテレビで土曜の深夜に放送されていた「オールナイトフジ」が最終回を迎えた1991年3月30日、「お笑いスター誕生」の頃から交流があったとんねるずが出演していたこともあり、バブルガム・ブラザーズもゲストで出ていた。1980年代に女子大生ブームを巻き起こし、その女子高生版というコンセプトの「夕やけニャンニャン」からおニャン子クラブを誕生させたり、とんねるずのブレイクのきっかけともなったこの番組は、全体的にゆるくてふざけた雰囲気のまま進行する。この日もそんな感じではあったのだが、1983年から続いた番組の最終回ということもあり、どこか感傷的な雰囲気もあった。卒業式の日に、悪そうだった奴が淋しさを誤魔化すために不自然にはしゃいでいるような感じである。それで、少しでも間があくと木梨憲武がこの曲の紹介をし、イントロが流れる。バブルガム・ブラザーズが歌い、出演者が踊るというノリがしつこいぐらいに何度も何度も繰り返された。そのうちに、これはひょっとするとかなり良い曲なのではないか、と思えてきた。その影響がどれぐらいあったかは定かではないのだが、この曲はリリースからかなりの期間を経て、オリコン週間シングルランキングで最高3位、売上では100万枚を超える大ヒットとなったのであった。もともとはブラザー・コーンが、阿波踊りもモチーフにつくった楽曲である。阿波踊りのルーツは徳島県だが、東京では毎年8月に行われる高円寺のものが有名である。ミュージックビデオは当時、バブルガム・ブラザーズの事務所があった高円寺で撮影されている。

 

この年、ロック・バンドのHOUND DOGが紅白歌合戦の出場歌手に選出され、NHK側が1985年のヒット曲である「ff(フォルテシモ)」の演奏を希望したが、バンドは古い曲なので歌いたくないとし、新曲を歌うことを希望した。話し合いは物別れに終わり、HOUND DOGは紅白歌合戦への出場を辞退、かわってリーダーである大友康平の友人でもあったバブルガム・ブラザーズが出場することになり、この曲を歌った。この頃、私は紅白歌合戦を観ることなどなく、六本木ウェイヴでメイトというよく分からない職位で働いていたのだが、社員の人たちと六本木のカラオケパブのようなところに行った。この頃、まだカラオケボックスではなく、このようによく知らない人たちの前で歌うタイプのカラオケ施設がまだポピュラーだったのだ。スーツを着た会社員風の男が2人で「WON'T BE LONG」を歌い、そのうちの1人が「HOUND DOGのおかげで紅白出れました」などと言っていて、やたらと寒かったことを覚えている。私はチェッカーズの「NANA」とかを歌っていたと思う。

 

「WON'T BE LONG」が最高位の3位を記録したのは1991年10月7日付のオリコン週間シングルランキングであり、リリースから1年2ヶ月、「オールナイトフジ」の最終回からも半年以上後のことであった。この年の夏に帰省した時、旭川の西武百貨店でこの曲が流れていて、さすがによく分からないタイミングで遅れたものがかかっているなと思ったのだが、その後にちゃんと売れていたのでなるほどと思った。この週の1位はチャゲ&飛鳥「SAY YES」、2位が槇原敬之「どんなときも。」、週間アルバムランキングの1位は布袋寅泰「GUITARHYTHM Ⅱ」であった。ニルヴァーナの「ネヴァーマインド」がリリースされて間もない頃でもある。

 

 

 

Negicco 2003~2012 -BEST- Negicco 2003~2012 -BEST-
2,593円
Amazon