ザ・クラッシュで好きな10曲。 | …

i am so disapointed.

8月21日はイギリスのパンク・ロック・バンド、ザ・クラッシュの中心メンバーであったジョー・ストラマーの誕生日である。そこで今回は、私が現時点で個人的に好きなザ・クラッシュの10曲を選び、カウントダウンで挙げていくというやつをやることにしたい。

 

10. TRAIN IN VAIN

 

1979年12月14日のイギリスでリリースされたザ・クラッシュの3枚目のアルバム「ロンドン・コーリング」の収録曲で、アメリカでは1980年2月12日にシングルとしてリリースされ、全米シングル・チャート最高23位を記録した。イギリスの音楽誌「NME」の付録用に制作された曲だったが、その企画がなくなり、急遽、「ロンドン・コーリング」に収録されたという。そのため、ジャケットにも歌詞カードにもこの曲の表記がなく、当初は隠しトラック的な扱いを受けていたというが、すでに印刷が終っていただけというのが真相であり、特に隠す意図はなかったらしい。

 

この曲はメンバーのミック・ジョーンズによって書かれているが、内容は苦しい恋についてである。しかし、タイトルの「トレイン」や、それを連想される歌詞が一切、見当たらない。ミック・ジョーンズはこの曲が列車が走るリズムに似ていると思ったから、というような説明をしているようだが、当時、交際していたが、「ロンド・コーリング」のレコーディング時期に別れた、ザ・スリッツのヴィヴ・アルバータインとの関係を歌ったものではないかという説もあるようだ。ヴィヴ・アルバータインの証言によると、ミック・ジョーンズはよく列車に乗って彼女が住む街までやって来たが、家に入れなかったのだという。これが事実だとすると、曲のタイトルも辻褄が合うというものだが、真相は不明である。

 

 

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9. WHITE RIOT

 

1977年3月18日にリリースされたザ・クラッシュのデビュー・シングルで、全英シングル・チャートで最高38位を記録している。初期のザ・クラッシュを代表する曲であり、ストレートなパンク・ロックとなっている。後にデビュー・アルバム「白い暴動」にも収録されるが、「1、2、3、4」のカウントで始まるのがアルバム・バージョン、パトカーのサイレンの音で始まるのがシングル・バージョンである(セカンドアルバム「動乱(獣を野に放て)」の後にリリースされたアメリカ盤の「白い暴動」には、シングル・バージョンの方が収録されていた)。ザ・クラッシュが反レイシズムであることは周知の事実だが、当時は「白い暴動」というタイトルから、白人による人種闘争を歌ったものではないかと誤解をされることも多かったようである。実際には白人も暴動を起こすならば、黒人がそうしたように意味のあることについてそうするべきだ」というようなメッセージが込められたものである。これは人種差別に対する運動を念頭に、イギリスの階級社会について言及したものではないかと思われる。自分自身の暴動を起こすのだというメッセージは、今日において、より重要性を増しているような気がする。

 

 

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8. ROCK THE CASBAH

 

1982年5月14日にリリースされた5枚目のアルバム「コンバット・ロック」からシングル・カットされ、全米シングル・チャートでは最高8位と、唯一のTOP10ヒットとなっている(イギリスでの最高位は30位である)。ドラマーのトッパー・ヒードンによって書かれた曲はザ・クラッシュの他の楽曲と比べ、タイプが異なるユニークなものである。これを聴いた他のメンバーも驚愕したようだが、歌詞はジョー・ストラマーが書き直したようである。以前から「ロック・ザ・カスバ」というフレーズが頭にあったジョー・ストラマーは、スタジオのトイレでこの曲に合った歌詞を書き上げたという。着想は当時のイラン政府によるロック禁止令であり、国王が国民に西洋のロックを聴くことを禁じ、軍隊に爆撃を命じるが、パイロットはそれを無視して無線機でロックを聴くというような内容である。また、当時、マネージャーのバーニー・ローズがザ・クラッシュの長めの曲に対し、長さと複雑さが特徴だというインドの音楽様式、ラーガを持ち出して揶揄したことに対する皮肉も込められ、「王はブギーマンに言った、ラーガをやめろと」という歌詞から始まる。アメリカのテキサス州で撮影されたというビデオは、アラブ人とユダヤ人とが一緒に踊るユニークなもので、アルマジロも登場する。MTVの流行、マイケル・ジャクソン「スリラー」や第二次ブリティッシュ・インヴェイジョンによって、全米ヒット・チャートが変化していく時期のヒット曲でもある。

 

 

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7. SHOULD I STAY OR SHOULD I GO

 

アルバム「コンバット・ロック」から2枚目のシングルとして1982年6月10日にシングル・カットされ、全英シングル・チャートで最高17位を記録した。ザ・クラッシュはその知名度や影響力の割りに、全英ヒット・チャートでの最高位はそれほど高くはない。1986年に解散するまでの最高位は「ロンドン・コーリング」の11位であり、10位以内に入った曲は1曲もなかった。しかし、解散からしばらくして、この「ステイ・オア・ゴー」がリーバイスのCMに使われて再リリースされたところ、全英シングル・チャート1位の大ヒットとなった。ダンス・ミュージックが主流だった当時のヒット・チャートにおいて、ストレートなロックンロールが逆に新鮮であった。以前、1980年代の音楽を懐古する内容の本の中で、小山田圭吾が好きなアルバム10枚を選んでいたのだが、順位は付けていなかったものの、「コンバット・ロック」を真っ先に挙げていたのが印象的であった。個人的な記憶としては、六本木ウェイヴの面接を受けに行く前に、この曲を聴いて気合いを入れてから家を出た。

 

 

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6. THE MAGNIFICIENT SEVEN

 

4枚目のアルバム「サンディニスタ!」から3枚目のシングルとして1981年4月10日にリリースされ、全英シングル・チャート最高34位を記録した。「サンディニスタ!」は3枚組36曲入りの大作であり、散漫すぎるとか、もう少し曲を絞った方が良かったというような評価も過去に見たような気もするのだが、ひじょうにバラエティーにとんでいながらもエキサイティングな、素晴らしいアルバムだと思う。とはいえ、リリース当時、全米ヒット・チャートに入っている産業ロック的なものを聴きはじめたばかりの私がこのアルバムをやっと聴くことになるのは、ザ・クラッシュが解散してからしばらくした後であった。「サンディニスタ!」には様々なタイプの音楽からの影響が感じられるが、1枚目のA面1曲目に収録されたこの「7人の偉人」は、当時、ミック・ジョーンズが夢中になっていたというヒップホップの要素を大胆に導入したものであった。ヒップホップはまだそれほどポピュラーな音楽ではなく、特に白人メンバーのみによるバンドが取り上げたというのは、かなり早かったといえる。歌詞はジョー・ストラマーによって書かれている。

 

 

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5. CLAMPDOWN

 

アルバム「ロンドン・コーリング」に収録された曲で、人間の尊厳を奪う高度資本主義というシステムに対する異議申し立てが、その根底にある。また、外国人に対する差別、偏見についても歌詞で取り上げていて、それらに対する強い怒りが感じられるが、排外的な極右政党や政治家が政権の要職に就いている今日のいくつかの先進国においても、残念ながらいまだに有効なカウンターたりえている。ジョー・ストラマーがこの曲を書こうと思ったきっかけは、1979年に起ったスリーマイル島原子力発電所事故だったという。ファシズムとレイシズムとはいつの時代にも相性が良く、人の魂を殺し続ける。怒りを飼い慣らしてはいけない。後にブルース・スプリングスティーン、レイジ・アゲインスト・ザ・マシーン、ザ・ストロークスなどによってカバーされている。

 

 

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4. THE GUNS OF BRIXTON

 

アルバム「ロンドン・コーリング」に収録された曲で、ベーシストのポール・シムノンが書き、リード・ボーカルも取っている。音楽面ではレゲエからの強い影響が感じられ、後にビーツ・インターナショナルによる1990年の全英No.1ヒット「ダブ・ビー・グッド・トゥ・ミー」にもサンプリングされた。歌詞の内容や曲調、サウンドは当時のブリクストンに立ちこめていた不穏な空気をヴィヴィッドに描写していて、1981年にこの地域で起こる暴動を予見していたともいわれているようだ。また、レゲエ・アーティストのジミー・クリフが主演し、音楽も手がけた1972年の映画「ハーダー・ゼイ・カム」にも言及されている。

 

 

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3. COMPLETE CONTROL

 

1977年9月23日にリリースされた3枚目のシングルで、全英シングル・チャートで最高28位を記録した。所属レーベルのCBSがバンドに無断で「リモート・コントロール」をシングルでリリースしたことに対する怒りが、この曲を書くきっかけになったといわれている。他にもツアーで友人が会場に入れなかったため、裏口から入れようとしたのだが追い返されたことや、契約時にはアーティスティックな面については自由を約束されたにもかかわらず、次第に業界の商業主義に毒されていく、当時のザ・クラッシュが置かれた状況に対する憤りが激しいパンク・ロック・アンセムとして結実している。レゲエ・アーティストのリー・スクラッチ・ペリーがプロデュースしているが、最終的に仕上がった音源にレゲエ的な要素は薄い。

 

 

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2. (WHITE MAN) IN HAMMERSMITH PALAIS

 

1978年6月16日にリリースされた5枚目のシングルで、全英シングル・チャートでは最高32位を記録した。パンク・ロックにレゲエやスカのリズムを取り入れたこの曲は音楽的にも新境地であったが、歌詞もまたユニークであった。「ハマースミス宮殿の白人」という邦題が付いているこの曲だが、タイトルの「ハマースミスパレス」とは、当時、ロンドンにあった伝統あるダンスホールの名前であり、ある夜、ジョー・ストラマーはドン・レッツらとここにレゲエのライブを観に行ったのだという。ジャマイカから有名なアーティストがやって来て、深夜から朝まで行われるというそのライブをジョー・ストラマーは楽しみにしていたが、実際に行われたのは期待した内容とは異なり、よりポップに薄められたエンターテインメントショーのようなものだったという。歌詞はこの件についての失望からはじまり、当時のイギリスにおける様々な状況について言及していく。人種同士の協調や富の分配、ポップ・スター化するパンク・ロッカー、イギリスの伝統あるブランドであるバートンのスーツを着て、反逆を金に換える新しいグループとは、当時、怒れる若者として注目されていたポール・ウェラーが率いるザ・ジャムのことではないかという説があるようだ。そして、その後も辛辣な皮肉が続いた後、ハマースミスパレスの白人である自分は、ただ楽しみを探しているだけなのだ、と結ばれる。ジョー・ストラマーはこの曲をとても気に入っていたらしく、ザ・クラッシュ解散後もライブでよく演奏し、葬儀においても流されたのだという。

 

 

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1. LONDON CALLING

 

1979年12月14日にリリースされた3枚目のアルバム「ロンドン・コーリング」の先行シングルで、全英シングル・チャートで最高11位を記録した。このアルバムはアメリカでは翌年、1980年1月にリリースされた。アメリカの雑誌「ローリング・ストーン」が選んだ1980年代のアルバム・ベスト100の1位にこのアルバムが選ばれていたが、イギリスにおいては1970年代のアルバムという認識であった。バラエティーにとんでいながら芯の通った音楽性とメッセージ性の強さにおいて、ポップ・ミュージック史上最も重要なアルバムの1枚として評価が確立されている。その幕開けとなるのが、タイトルトラックでもあるこの曲である。「ロンドン・コーリング」とはイギリスの国営放送であるBBCの決まり文句らしく、「ロンドンからお伝えします」ぐらいの意味らしい。私はまだ全米ヒット・チャートの産業ロックなどを中心に聴いていた時に、「ベストヒットUSA」でこの曲のビデオを観て、それが初めてのザ・クラッシュ体験だったと思う。リズムが勇ましく、どこか悲壮感が漂いながらも何ごとかを強く主張しているかのようなその姿が印象に残った。

 

 

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