昨日のブログにおいて、新潟を拠点として活動する4人組アイドル・グループ、RYUTistの「ラリリレル」という言葉について「謎は深まるばかりである」などと書いたのだが、絶妙なタイミングでそれを読んでくださったのか偶然なのか、それについての大きなヒントがツイッターのタイムラインに表示された。いや、言われてみれば確かにそうだし、これを聞くのは本当に野暮である。あまりにも勘が悪すぎる。そして、それを知った上で改めて聴いてみると、その意味の深さがより伝わるというものである。
RYUTistが北海道の西興部村という小さな村で数年前からライブを行うことになった経緯については「雲遊天下」という雑誌の特集で読んで、だいたい把握した。この特集にも寄稿されている西興部村在住の1人の男性が新潟に滞在している時に「古町どんどん」で観たRYUTistのステージに感銘を受け、ぜひ地元のイベントに呼びたいと直接オファーをしたのだという。この男性は西興部村のゆるキャラならぬゆるくないキャラのコッパーさんを考案し、自らがそれに扮しているようだ。「ゆるくない」とは、北海道の言葉できついとかつらいとかそういう意味である。幼い頃、留萌の祖母の家を訪ねると、「ゆるくなかったべさ」と言って迎えてくれたことを覚えている。いまでも容易に祖母の声で再生することができる。
動画がないかと思い検索してみたところ、簡単に見つかったのだが、ゆるくないキャラのコッパーさんとはよくあるゆるキャラのような動物や特産物のかたちをしているものではなく、基本的に人間である。ものすごく長いリーゼントにサングラスが特徴的なのだが、白いワイシャツにネクタイを締めている。とても寡黙なのだが、RYUTistのライブでコラボレートするときにはキレッキレのダンスを見せる。これが男前すぎるのである。当日は全国からRYUTistのファンが集まり、地元の人たちと一緒に盛り上がっているようだ。宿泊施設は満室になることもあり、経済効果も生んでいるという。北海道で最もメジャーな新聞である北海道新聞が提供する「道新ニュース」でも取り上げられたらしく、動画が見つかった。
動画を観ると、RYUTistのメンバーは北海道のことを「北海道さん」と言っているのだが、これは「雲遊天下」の特集であらかじめ読んで知っていたのだが、何にでも「さん」を付けるのだという。これだけ聞くと、アイドルがよくキャラ付けのために無理やりやるタイプのやつなのかとも思うのだが、観る限りこれが至って自然なのである。
RYUTistの「日本海夕日ライン」「柳都芸妓」などは好きでよく聴いていたものの、アイドルグループとしてとか各メンバーのことについてはまったく何も知らないに等しいような状態だったのだが、週末には東京や川崎でリリースイベントもあったため、ツイッターのタイムラインにレポート的なツイートがよく流れてきた。メンバーのともちぃこと宇野友恵さんがインスタグラムをはじめたということでリンクも貼られていたので、取り敢えずタップしてみた。プロフィールに「めだまが好きです。つぶしたい」と書かれていた。これは一体どういうことなのか。美しいRYUTistのヴォーカルの中でも特に声質が気に入っていたのが、確かこのメンバーだったはずである。「雲遊天下」のインタヴュー記事を見てはじめて名前を知ったのだが、高校に友達がいなかったとか練習場の床に話しかけていたとか悪霊に取りつかれたと言っていたとか、そんなことも書かれていた。
それはそうとして、日曜日も朝からずっと仕事をしていた。すべてにおいて心底正しいと思った扉しか開けていないので後悔をするはずがない。生きているのは常識を打ち破って世界をより良く変えるためなので、つまり革命戦争なわけである。このようなことをいい大人になってまで言ったりやったりしているのもさすがにどうかと思わなくもないが、良いと思ってやっているので仕方がない。取るに足らないくだらないことをいちいち言ってきて足を引っ張ったりやる気を削いだりする者が後を絶たず、その目的は何なのだろうと考えることがあるのだが、短い人生においてそのようなことに時間を費やすのはムダでしかないので、すぐに考えるのをやめる。なぜなら、世界をより良く変えることに忙しすぎるからである。このようにブログに日常を綴っているのは正気を保つためであり、とても重要なことである。
前日は10時間ぐらいずっとRYUTistばかり聴いていたのでこの日は他のものでスタートしたのだが、途中からやはりRYUTistをずっと聴いていた。アルバム「柳都芸妓」の最後に収録された「口笛吹いて」は雨上がりの路地裏から猫が顔を覗かせ、「ゆっくりでいいよ」と鳴くところからはじまる。グローバリズムの影響もあり、日常は加速を余儀なくされている。便利さと幸福度とは必ずしも両立するとは限らない場合か、むしろその逆の場合が多いような気もする。かつて、アナーキストの評論家、竹中労が「日本のビートルズ」と評したバンド、たまは「まちあわせ」という曲において、次のように歌っていた。
「不便だ 不便だ 不便だ 不便だ でも不便の方が便利より大分いい」
交通の便がひじょうに悪いと思われる西興部村まで遠路はるばるそれぞれの手段で集まったRYUTistファンの方々の表情は、とても充実した時間を過ごしているように見える。
「慌てないで行こう 僕らが生きてる この世界はいつでも 希望で溢れてる」
「焦らないで行こう 嫌なこともあるけど この世界はそれでも 愛が溢れてる」
「遠回りで行こう ありったけの夢を 描いたなら未来へ 口笛吹いてさ」
「希望」「愛」「未来」に対しての迷いのない信頼、それが眩しすぎるのだが、革命を起こすには揺るぎない信念が必要である。私は基本的にいつも忙しくしているし、いろいろなことに対してブチ切れている場合がひじょうに多いのだが、それを何のためにやっているのかというと、世界をより良くするためである。それは、「希望」「愛」「未来」というような概念が何の迷いもなく信じるに値するような状態である。かつて、若き日の私であるならば、「希望」「愛」「未来」というような概念に対し、偽善的であるとかどこか懐疑的に冷笑していた可能性もじゅうぶんに考えられる。しかし、いまや「平和」を語ることが政治的な偏りだと言われるような時代であり、いまこそこれらの概念を信じるときであり、そうさせないように仕組まれた既存の仕組みをぶち壊し、新しい秩序をつくり出すことが必要だと思うのだ。
各々の分野においてスキルを磨くのはその戦いに勝つためであり、それによって自信を持ち、態度としては口笛を吹くように超然としているべきであろう。
「歩いて行こう 一緒に あのネコみたいに♪」
「口笛吹いて」は、このような歌詞で結ばれる。伏線の回収も含め、完璧である。昨年の夏、「柳都芸妓」をはじめて聴いたとき、この曲をとても爽やかな印象と共に楽しんだはずである。それはいまも変わらないのだが、さらにこの曲は現代社会に対する対抗文化としても、少なくともいまの私には機能しつつある。
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