先日、北朝鮮の金正恩朝鮮労働党委員長と韓国の文在寅大統領との南北首脳会談が行われ、大きなニュースになっていた。何となくそうなりそうな気配は少し前からあったとはいえ、実際に写真や映像で見たときのインパクトはやはり大きかった。確実に時代が動いている。まだまだ難題は多々あるだろうが、あるべき状態に近づいたことは間違いない。こんな映像を観ることができるとは、少し前ならば想像もしなかった。たとえ不可能だと思われていることも、強い気持ちと情熱を持って取りかかれば、もしかすると実現するのかもしれないというような、希望のメッセージをも投げかけたように思える。
それはそうとして、多くのニュース記事の見出しにもなったように、ひじょうにインパクトを残したのが、金正恩朝鮮労働党委員長による「平壌から苦労して冷麺を持ってきました」という発言であろう。はじめは、この「苦労して」というのを遠路はるばる的なニュアンスだと思っていたのだが、「遠いところから...遠いと言ったらダメか」というようなノリつっこみ的な部分もあったものの、けしてそれだけではなく、麺をつくる機械と一流レストランの料理人も連れて来て、現地で調理したのだという。これはけしてただのパフォーマンスではなく、平壌冷麺というのはそれだけ鮮度管理が難しいということのようだ。
ツイッターのタイムラインを見ると、この歴史的ニュースをお祝いすると同時に、「冷麺」というワードがやはりひじょうに盛り上がっていた。私もさっそく便乗して冷麺を食べたい気持ちでいっぱいだったのだが、仕事で夜まで現場を離れることができなかったので、それは断念した。
日本では盛岡冷麺が有名であり、ローソンで売られているのを買って食べたことはあるが、実際にお店で食べたことはない。朝鮮料理であり、焼肉店のメニューにあるようなのだが、私は焼肉店自体に積極的には行かないので、やはり馴染みがない。高校生の頃になぜか土曜日に何人かで旭川の南大門という焼肉店に行き、ユッケジャンを食べるというのが流行ったことがあったが、そのときも冷麺は食べていない。何かのタイミングで食べたことがあったが、なんだか麺がゴムのようだと思い、その良さはあまり分からなかった。
しかし、何だか猛烈に冷麺が食べたくなった。こんなミーハーな自分が嫌いではないというか、控えめに言ってすごく大好きである。実際問題として食べに行けるわけではなかったのでせめて何らかのツイートをしておきたいと思い、すぐにひらめいたのが「冷麺で恋をして」であった。
1981年10月21日にリリースされ、オリコン最高14位を記録したナイアガラ・トライアングル(大滝詠一、佐野元春、杉真理)「A面で恋をして」のパロディー・ソングというか替え歌であり、歌っているのは大滝ならず小滝詠一(しょうたきえいいち)である。
「ウィンクのマシンガンで ぼくの胸 打ち抜いてよ」が「キムチのマシンガンで ぼくの舌 打ち抜いてよ」など、パロディのレベルはひじょうにくだらなくて最高である。替え歌作詞をしているのは、放送作家の高田文夫である。ニッポン放送のラジオ番組「ラジオビバリー昼ズ」の企画でつくられた曲らしく、2001年にリリースされている。ジャケットはその30年前にリリースされ、その年の年間2位の大ヒットとなった大滝詠一のアルバム「ロング・バケイション」のものとそっくりである。それもそのはず、同じイラストレーターの永井博によるものである。曲そのものも、歌詞以外はわりと原曲に忠実である。歌っている小滝詠一の正体は東MAXこと東貴博である。
あのシティ・ポップの名曲をこんなパロディーにして良いのだろうか、よくも原作者が許可したなと思いきや、「A面で恋をして」を作曲し、歌っている大滝詠一は「ラジオビバリー昼ズ」のリスナーであり、ときには番組に対するアイデアをFAXで送ったりもしていたのだという。そして、誕生日が1ヶ月しか違わない大滝詠一と高田文夫は、個人的にもとても親しい間柄だったようである。
この辺りのことについては、昨年に出版された高田文夫の「TOKYO芸能帖 1981年のビートたけし」という本に詳しく書かれている。当時の日本のポップ文化に興味がある方ならば、きっとおもしろく読めるはずである。
1981年1月1日、「ビートたけしのオールナイトニッポン」がはじまった。生放送がウリの深夜放送だったが、初回から録音であった。しかも、人生相談のコーナーでは、親を金属バットで殴り殺そうと考えている浪人生が登場する。これは完全な仕込みであり、浪人生役をやっていたのは片岡鶴太郎であった。漫才ブームの中でもツービートの人気はけして1番ではなかったのだが、このラジオ番組によって、当時の若者の心をしっかりとキャッチした。当時、私は中学生だったが、番組の翌日は教室がその話題で持ち切りであった。聴いていなければ話に入れないレベルであった。当時、テスト勉強などを深夜にラジオを聴きながらやるのが流行っていた。誰が言ったのかいまとなってはまったく思い出せないのだが、深夜の方が勉強がはかどるというような迷信のようなものがあり、一旦早い時刻に寝て、深夜に起きて勉強するということもやっていた。そのときにはなぜか粉末のココアをつくって飲むのが定番であった。ラジオの深夜放送をつけながらやるのだが、「ビートたけしのオールナイトニッポン」については、内容がおもしろすぎて勉強がはかどるはずがなかった。
高校受験が近づいてくると、そろそろ生活を昼型に切り替えなければならないというような風潮があり、私も「ビートたけしのオールナイトニッポン」はタイマーで録音して、翌日に学校から帰ってから聴くようになった。しかし、深夜にリアルタイムで聴いていた友人が、学校で内容を話すのである。楽しみが薄れるので聞きたくないのだが、やはりおもしろそうなので聞いてしまう。
「ビートたけしのオールナイトニッポン」がおもしろいのはもちろんビートたけしのトークのおかげだが、それに増して深夜ならではのテンション、そして、近くでいつもゲラゲラ笑っている放送作家、高田文夫のつられて笑ってしまうというのもあった。お笑いが好きで、文章を書くのも好きだった私は、この放送作家という仕事に強い憧れをいだいた。「ビートたけしのオールナイトニッポン」を本にしたものに、番組スタッフなどの履歴書が載っていた。それによると、高田文夫は日本大学芸術学部放送学科の出身ということであった。学校で配られた進路希望を書く紙に、高校を卒業した後は日本大学芸術学部放送学科に入って、将来は放送作家になりたいと書いた。
「ビートたけしのオールナイトニッポン」がはじまった翌々月の21日に、大滝詠一の「ロング・バケイション」がリリースされた。いまや日本のポップスを代表する1枚として評価が確立しているアルバムである。当時、シングルとしても発売されていた「君は天然色」がよくラジオでかかっていた。いきなり大ヒットしたわけではなく、じわじわ売れていったような印象がある。地方都市の中学生であった私ははっぴいえんどもナイアガラ・レーベルも知らなかったので、このときにはじめて大滝詠一の存在を知った。
流行歌だけではなく、もうちょっと違ったものも聴きたいと思っていた14歳の私はNHK-FM「軽音楽をあなたに」で聴いた佐野元春の音楽がすごく好きになり、レコードをヘッドフォンで聴きながら、鏡の前で歌う真似をしたりしていた。主に「ガラスのジェネレーション」「NIGHT LIFE」「君をさがしている(朝が来るまで)」などである。その佐野元春が大滝詠一を中心とするナイアガラ・トライアングルのメンバーに選ばれ、最初にリリースされたのが「A面で恋をして」であった。
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