期末テストで学校は早く終わったのだが、帰ると家には誰もいなかった。茶の間のテレビをつけると、午後のワイドショーがジョン・レノンが射殺されたニュースをやっていた。ジョン・レノンは元ビートルズの中心メンバーだったが、ちゃんと聴いたことがなかった。
同じく元ビートルズの中心メンバーといえばポール・マッカートニーだが、「カミング・アップ」というシングルがヒットして、ラジオでもよくかかっていた。キャッチーでカッコよかったので、光陽中学校の近くのレコードも売っている時計屋さんでシングル盤を買った。 B面にはライブ・バージョンが収録されているが、アメリカではこちらの方が大ヒットしたらしい。
ポール・マッカートニーは少し前に来日したが大麻の所持で逮捕され、公演が中止になった。
アメリカの「プレイボーイ」誌に掲載されたジョン・レノンのインタビューが翻訳され、緊急出版された。おそらく太陽堂書店で買ったのだが、大晦日の夜には自分の部屋でそれを読んでいた。
お年玉をもらったので、もちろんレコードを買いにいくのである。真夜中まで何かしらをやっていたため、朝、起きた時には家族は誰もいなかった。おそらく初売りに出かけたのだろう。北海道新聞の朝刊、そのテレビ欄を見てショックを受けた。なぜなら「オールスター水泳大会」が昼間から放送されていて、それはすでに終わっていたからである。
クスリのツルハのところの停留所から旭川電気軌道のバスに乗り、街に行った。街とは、旭川駅の方のことを指す。西武や丸井、長崎屋にマルカツにまるせんといったデパートや、ミュージックショップ国原やオクノの地下にある玉光堂などのレコード店もあり、退屈することがまったくない。
ジョン・レノン&ヨーコ・オノの「ダブル・ファンタジー」を買った。その時、ヒットしていたレコードだからだ。1曲目に収録された「スターティング・オーヴァー」は全米No.1に輝き、大人のラヴ・ソングという感じの曲であった。このアルバムはジョン・レノン、ヨーコ・オノ、それぞれのソロ曲によって構成されている。2曲目に収録されたヨーコ・オノの「キス・キス・キス」だが、ニュー・ウェイヴっぽい曲はカッコいいのだが、セクシーなセリフが日本語で入っていたりするため、ひじょうに刺激が強い上に、いつ親が入ってくるとも知れない部屋のステレオではなかなかかけにくかった。
一旦、家に帰ったのだが、家族がまったく帰ってくる様子がないので、おそらく神楽のおじいちゃんの家に行ったのではないかと思う。冷蔵庫にあったマルちゃんのソース焼きそばを、1人でつくって食べた。ミュージックショップ国原では福引きをやっていたので、どうせ買うならこの時の方が良い。そう思って、ふたたび旭川電気軌道のバスで街に行った。
柏原よしえ「HOW TO LOVE」のカセットテープを買った。なぜ、LPではなくカセットテープを買ったのかというと、家族に見つからないように隠しやすいからであった。机の一番下の大きな引き出しの奥に隠していた。特殊パッケージで、普通のカセットテープよりもかさばるものだった。
前の年の夏、父にはじめて東京に連れて行ってもらった。旭川空港から東亜国内航空のYS-11機に乗って行ったのだが、あれが生まれてはじめての飛行機でもあった。
後楽園球場で日本ハムファイターズと西武ライオンズの試合を観た。プロ野球の試合を生で観るのも、これがはじめてであった。西武ライオンズには、当時、アニメ映画まで制作されていた人気コミック「がんばれ!!タブチくん!!」のモデルでもあった田淵幸一選手もいたはずである。日本ハムファイターズの4番を打っていたのは柏原純一選手である。そして、試合の前に新人アイドル歌手の柏原よしえがデビュー曲の「No.1」を歌った。
1970年代後半はニュー・ミュージックの時代であり、職業作家がつくった曲を歌う歌謡曲の歌手やアイドルよりも、自分で書いた曲を歌うシンガーソングライターやバンドの方が高く評価されるような傾向があった。
私は流行歌が大好きだったので、1979年の秋、金曜日の夜の8時には、フジテレビ系の「ビッグベストテン」を観ていた。TBSの「ザ・ベストテン」、日本テレビの「ザ・トップテン」と似通ったコンセプトを持つ番組だったが、最後の方は出演する歌手やアーティストもかなり少なくなり、すぐに打ち切りになったような記憶がある。同じ時間帯にTBSが放送していたのが、「3年B組金八先生」という学園ドラマであった。コミックソングを歌っている印象が強い海援隊の武田鉄矢が教師役を演じるドラマということで、そんなものが果たして受けるのだろうかと思っていたのだが、これが大ヒットした。
私は観ていなかったのでまったく知らなかったのだが、生徒役に人気のある役者が何人かいて、まずその中から田原俊彦がデビューするということであった。「ザ・ベストテン」を観ていると、デビュー曲「哀愁でいと」がベストテン入りした田原俊彦が出てきて、歌って踊った。とにかくポップで軽くて、なんだかとても新鮮な感じがした。
ラジオ番組「パンチ!パンチ!パンチ!」にパンチガールの1人として出演していた松田聖子がレコードデビューするということで、ラジオでもデビュー曲の「裸足の季節」がよく流れていたのだが、これもかなり新しい感覚を持った曲であった。
この年には河合奈保子、柏原よしえなどのアイドルもデビューし、また、イエロー・マジック・オーケストラのテクノポップが社会現象化するほどの大ヒットを記録、山下達郎の「RIDE ON TIME」がカセットテープのCMに起用され、お茶の間にもシティ・ポップがやってきた。伝統芸能のようなイメージであった漫才が横文字のMANZAIとなり、B&B、ザ・ぼんち、ツービート、紳助・竜介らがアイドル並みの人気を得た。これらはまったく同じ時代に起こっていたことなのだが、共通しているのはより軽く、ポップになろうとしていたことである。
柏原よしえは当時、まだ14歳ということだったが、すでに大人っぽさを感じさせるようなところもあった。その後、「毎日がバレンタイン」「第二章・くちづけ」とシングルをリリースし、ニューヨークでジョン・レノンが凶弾に倒れた数日後に、デビュー・アルバム「HOW TO LOVE」をリリースした。
「第二章・くちづけ」は本人が出演するコルゲントローチか何かのCMでも流れていたような気がするのだが、「好き 好き 好き 好き 透き通った」という身も蓋もないが、しかし抗えない清々しさを持ったボーカルと、サビで「第二章 くちづけ」とタイトルを歌った後の「アアア...」に漂う無自覚な色気が、ひじょうに印象的であった。
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