マーク・ボラン&Tレックス「ベスト・オブ・ザ・20センチュリー・ボーイ」のこと。 | …

i am so disappointed.

「作詞家・松本隆の世界」特集が目当てで雑誌「レコード・コレクターズ」を、久しぶりに買った。特集はひじょうに読みごたえのあるものだったのだが、せっかく買ったので他のページも読んだり読まなかったりしている。

 

Tレックスのことも取り上げられていた。特集となっているが、松本隆ほどのページ数は取られていない。なぜこのタイミングなのかというと、どうやらこの9月がマーク・ボランの生誕70年、没後40年らしく、当時のアルバムのリイシューや日本人アーティストによるトリビュート盤リリースという話題もあるようである。

 

トリビュート盤をプロデュースしているのは元マルコシアス・バンプのアキマツネオであり、THE BOWDIESのROY、THE YELLOW MONKEYの吉井和哉、廣瀬”HEESEY”洋一、The Collectersの加藤ひさし、元THE STREET SLIDERSの村越”HARRY”弘明といった、錚々たるメンバーが参加しているようだ。

 

「ライフズ・ア・ガス」はマーク・ボランがアイドル歌手のシラ・ブラックとデュエットした曲だが、このトリビュート盤においては、マーク・ボラン役のアキマツネオのデュエット相手として、アイドルグループ、チャオ ベッラ チンクエッティの橋本愛奈が抜擢されているようである。

 

ミーハーなポップミュージック愛好家である私は、もちろんTレックスのことも大好きである。1970年代にイギリスでヒット曲を連発し、デヴィッド・ボウイと共にグラムロックブームの中心的な存在だったようだ。ブギーの要素を取り入れたギターロックと、マーク・ボランの両性具有的なイメージとボーカルがたまらなく魅力的であった。

 

とはいえ、Tレックスの人気はデヴィッド・ボウイのように長くは続かず、麻薬中毒の影響などで太ってしまったマーク・ボランは1977年、交通事故によって29歳の若さでこの世を去っている。

 

私が意識的に洋楽を聴きはじめた頃、Tレックスはもうすでに存在していなかった。だから、過去の伝説としてしか知らない。

 

マーク・ボランがこの世を去ってから8年後の1985年、Tレックスのベスト・アルバムがリリースされ、全英アルバムチャートで最高5位のヒットを記録した。その少し前にはTレックスのメガミックスシングルのようなものもリリースされたが、こちらは全英最高72位と、それほど売れていない。

 

なぜこの時期にTレックスのベストアルバムがリリースされ、そしてヒットしたのかは定かではない。ただし、この2枚組LPレコードは、私がTレックスの音楽をはじめて体験するには、とても便利なアイテムであった。私は当時、文京区の千石というところでアパートを借りて住んでいたが、この2枚組LPレコードを、確か池袋の西武百貨店にあったディスクポートで買ったと思う。もしくは、池袋パルコのオンステージヤマノだったかもしれない。

 

このアルバムがイギリスでヒットしている頃、パワー・ステーションというバンドがTレックスの「ゲット・イット・オン」のカバーバージョンをヒットチャートにランクインさせていた。それほど大ヒットというわけでもないのだが、全米9位、全英22位なので、そこそこ売れたといえるだろう。

 

パワー・ステーションは当時、人気絶頂であったイギリスのバンド、デュラン・デュランのアンディ・テイラー、トニー・テイラー、数多くのディスコヒットで知られるバンド、シックのドラマー、トニー・トンプソン、そして、イギリスの実力派シンガー、ロバート・パーマーによって結成された、いわばスーパーバンドである。プロデューサーは、シックのバーナード・エドワーズが務めていた。

 

Tレックスのベスト・アルバム「ベスト・オブ・ザ・20センチュリー・ボーイ」が全英アルバムチャートで最高位の5位を記録したのは、6月1日付においてであった。その週の1位はダイアー・ストレイツの「ブラザーズ・イン・アームス」であった。当時はアナログレコードからCDへの移行期間でもあり、「ブラザーズ・イン・アームス」はCDがものすごく売れたアルバムとしても知られていた。若者というよりは、大人のロックファンに売れていた印象がある。

 

そして、2位は「アウト・ナウ!」というコンピレーションアルバムである。この頃は、レーベルを越えてたくさんのヒット曲が収録されているタイプのコンピレーションアルバムがものすごく売れていた印象がある。この週のアルバムチャートでは3位に「ナウ・ダンス-ザ・12インチ・ミキシーズ」、7位に「ザ・ヒッツ2」といったコンピレーションアルバムがランクインしている。

 

4位がティアーズ・フォー・フィアーズ「シャウト」、6位がフィル・コリンズ「フィル・コリンズⅢ」と、「ベスト・オブ・ザ・20センチュリー・ボーイ」の前後は、いずれも大人のロックとでもいうようなジャンルに属するアルバムとなっている。

 

それから約1ヶ月半後、ポピュラー音楽史に残るチャリティーイベント、ライヴ・エイドがイギリスとアメリカで開催され、全世界のテレビで生中継された。

 

日本では夕方のバラエティー番組「夕やけニャンニャン」から現役女子高校生を含むアイドルグループ、おニャン子クラブが「セーラー服を脱がさないで」でレコードデビューした。実際には大手事務所と契約しているメンバーも在籍していたが、あくまで素人感覚が売りであった。池袋サンシャインシティ・アルパ噴水広場で予定されていたリリースイベントには予想を大きく上回る人数が集まり、中止を余儀なくされた。

 

この年の秋には日本のサブカル文化の象徴であったパルコ出版の「ビックリハウス」が廃刊になり、プラザ合意を起点として、バブル経済がはじまった。

 

それから9年後、そのバブル経済も崩壊し、その象徴としてよくメディアに取り上げられていた中目黒のもつ煮込みを、よく食べにいっていた。その頃、イギリスの音楽週刊誌「NME」をよく読んでいた。当時、最も勢いがあったインディー・レーベルといえば、クリエイション・レコーズである。プライマル・スクリーム「スクリーマデリカ」、マイ・ブラディ・ヴァレンタイン「ラヴレス」といったポピュラー音楽史に残るエポックメイキングなアルバムをリリースしたのみならず、ティーンエイジ・ファンクラブ、ブー・ラドリーズ、ライドといったバンドも優れた作品を生み出していた。

 

そんなクリエイション・レコーズから、大型新人バンドがデビューするという話題が盛り上がっていた。当時はまだインターネットで手軽に出ビュー前のバンドの音源を聴くという環境も整っていない頃で、海外の雑誌に載った文章などを参考にするしかない。どうやらメロディーがかなりしっかりしたバンドらしい、ということは何となく想像できた。バンドの名前は、オアシスといった。

 

当時、「NME」にはカセットテープの付録がたまに付いていた。クリエイション・レコーズのサンプラーのようなものが付いた時に、まだデビュー前のオアシスの曲が1曲だけ収録されていた。曲は「シガレット&アルコール」であり、聴いてみたところ、確かにメロディーが良く、ボーカルにも力強さを感じたのだが、イントロをはじめギターリフがあまりにもTレックス「ゲット・イット・オン」にインスパイアされすぎであった。これは本当に大丈夫なのか、と心配になるレベルである。

 

しかし、後にデビューアルバム「オアシス」に収録されたバージョンを聴くと、よりオリジナリティーがあるものに変わっていたので安心した。

 

「ベスト・オブ・ザ・20センチュリー・ボーイ」の2枚組LPレコードはオアシスがデビューする数年前に、六本木ウェイヴで知り合った友人に売ってしまった。その彼も、もうこの世にはいない。

 

その後、CDのベストアルバムを買ったり、Apple Musicでオリジナルアルバムを聴いたりもするが、私にとってTレックスといえば、やはり「ベスト・オブ・ザ・20センチュリー・ボーイ」なのである。

 

あのベストアルバムはK-telという、テレビでCMを流しまくってコンピレーション盤を売るタイプのレーベルからリリースされていた。つまり、シリアスな音楽ファンからはあまり真剣に捉えてもらえないタイプのやつであろう。それでも私はあのアルバムでTレックスを知ったので、やはり思い入れは強いのである。