趣味に費やす時間が、また著しく減っている。無趣味の時代が、再び到来しようとしている。濃密な現実とのコントラストにより、水に溶かした絵の具のように、薄まり消えていくようである。
それでも、現実のスパイスとして趣味はあった方が楽しい。あくまでメインは現実であり、趣味はサイドメニュー的である方が、少なくとも私には丁度いい。趣味によって、現実に支障をきたすというようなことは、まったくもって本末転倒である。あくまで私の場合は、という話ではあるが。
だから、たとえばある日、帰宅すると、私の趣味の者が家の人にいわゆる断捨離されていたとするならば、それは私のコミュニケーション不足が原因だと深く反省するのみである。ここが理解できない人とは、おそらく永遠に本当の話はできないような気がする。
とはいえ、私は既婚者でありながら、「幻想の普通少女」という概念から逃れることができず、それを現実においても追い求めていかざるをえないという病に冒されているわけであり、ごく一般的に見れば、プラモデルを作ることにのめり込むこと以上にとんでもないと思われがちなのだが、そこは私の実存的にひじょうに重要な問題であるということで、ご理解をいただいている。
人には、それぞれの事情があるというものである。これを私は常識的に考えて普通だとは思っていないし、一般的に理解を得られるとも思っていない。ただし、直接に関わる人に対してだけは、一定のルールを提示し、それは遵守するようにしている。
なぜそこまで面倒くさいことをしているのかというと、それが私が人間らしく生きる上において、どうしても必要なことだからである。
さて、「幻想の普通少女」性とは、小生意気さを含む「小娘感」のことだと長らく思い込んでいたのだが、最近、どうやら少し違うのではないかという気がしてきた。ということは、前回のブログにも書いたような気がする。
理解が浅かったというか、私もまだ若かったな、と思うのである。そして、長生きはするものだ、と思った。
人間として最も美しい姿、それは「幻想の普通少女」の中に宿っている。
かつて、関西在住の女子高校生であった「幻想の普通少女」は、いまや確実に大人への道を歩んでいて、いまや茶飲み友達的なLINEトークの応酬にいそしむのみである。
2009年の秋に大阪に行ったのも、つまりそのような事情だった訳だが、日本のロック・バンド、Base Ball Bearがアルバム「(WHAT IS THE ) LOVE & POP?」をリリースしたばかりで、TVコマーシャルにBerryz工房の熊井友理奈を起用していた。
Base Ball Bearについては、以前から「幻想の普通少女」が好むバンドの1つとして名前は聞いていたのだが、いまどきの小娘が好むようなバンドを親と子ほども年の差が離れた私が聴いて理解できるはずがないと思い、まったく聴かないままであった。
大阪のホテルで少し早起きしたので、パソコンで音楽でも聴こうと、当時はまだ存在していた音楽配信サービス、ナップスター日本版で「(WHAT IS THE) LOVE & POP?」を聴いていたところ、じつはこれはかなり好みなのではないだろうか、という結論に至った。
当時愛用していたソニー・エリクソンの携帯電話端末に音源をインポートし、聴きながら朝の大阪の街を歩いた。そして、「幻想の普通少女」が学校を終えて、現れるのを茶屋町で待っていた。
その後、彼女は東京の大学に進学し、いまはまた関西に戻っているが、今はもう「幻想の普通少女」ではない。
それは、特定の個人を指すのではなく、あくまである概念だからである。
ちょっと何を言っているのか、よく分からない(じつははっきりと分かっている)。
Base Ball Bearには、夏をテーマにした曲が多い。パッと思いついただけでも、「ELECTRIC SUMMER」「BREEEEZE GIRL」「真夏の条件」「ドラマチック」「PERFECT BLUE」などがある。
そして、初期の作品では「スイミングガール」である。
水泳する少女というイメージで真っ先に思い浮かぶのは、1990年公開の映画「バタアシ金魚」で、当時、まだ女子高校生の高岡早紀が演じたソノコくんである。
あれはもしかすると私が最も好きな日本映画なのだが、今日、TSUTAYAなどにもなかなか置かれていないらしい。私は何年か前に出た廉価版のDVDで持っている。何度か女性と一緒に観たこともあるのだが、反応はすこぶる薄いし、その理由もなんとなく分かっている。
それでも、私はあの映画で描かれた感覚のことを、「BREEEZE GIRL」の歌詞を借りて言うのならば、「男の子の代表文学」だと信じて疑わない。そして、おそらくそれは色々と間違えていて、映画の中で筒井道隆が演じたカオルがソノコくんから言われていたように、「あんたは、女の腐ったヤツのケツ拭く紙よ」と言われてみたい。
「スイミングガール」の歌い出しは「ロンリーガール 水色の水着がいいね」だが、「バタアシ金魚」でソノコくんは水色の水着を着ていた。また、「バタアシ金魚」は千葉県各地で撮影されたということだが、Base Ball Bearは千葉県の東海大学付属浦安高等学校で結成されていたらしい。また、数年前に脱退したオリジナル・メンバーの湯浅将平と紅一点のベーシスト、関根史織とは水泳部の先輩後輩だったのだという。
パンク/ニュー・ウェイヴの影響も感じさせるギター・ロック・チューンで、「魔物さ、夏は魔物」というフレーズが印象的である。
私が夏大好きであることは、たまにこのブログでも書いているのだが、その理由は、この「魔物性」とでも呼ぶべきものでも、一部はある。
「スイミングガール」は、水飛沫をあげて泳ぐ。その目的は定かではなく、そこには泳ぎたいという欲望が、ただあるのであろう。
その理由を私は知らないし、理解できなくもなりつつある。それはとても悲しいことだが、現実として受け入れなければならない。
しかし、受け入れたらもうそこで一巻の終わりだろう、と思っている自分もいる。つまり、まだ受け入れたくはない。その理由が知りたい。おそらく理由など無いのであろう。寧ろ、理由が無ければいけない意味が分らないと、そんな風に言われそうな気がしている。
初期衝動や原初的欲求、そういうものがやはり最も美しいし、それを超えるものは無いな、と未だに思えてしまう。
「小娘性」とはおそらく表面的なものであり、その根源にあるのは、おそらくこのようなものではないか、と思うのである。
つまり、水飛沫をあげて泳ぐ「スイミングガール」である。
「泳ぎ」とは比喩であり、もちろん夢中になれるならばどんなものであっても構わない。それが私にはとても眩しいし、大切にしていたはずのとても多くのことを思い出させてくれる。そして、やはりそれを追い求めていたいと思わせる。
これを下世話なレベルで解釈されるのは酷く心外なのだが、それが仕方がないこともある程度は分かっている。
限られた時間とエネルギー、残りわずかの情熱や感情は本当に重要なことに費やしたい。散々、遠回りをして来た経験上、その見きわめだけはわりと容易についてしまうのである。たとえその良し悪しの判断基準が、世間一般のものとは大きく乖離していたとしても、である。これは私の人生なので、それで良いのだ。
おのずと答えは見えてきて、それに沿った行動を取っている。それが自信や自己肯定感に繋がるのである。
これが誰にでもシンプルに伝えられる方法を考え、それを実行していきたい。
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