オルタナティヴ・ガール(ズ)。 | …

i am so disappointed.

今回は、きわめて個人的な内容のブログである。ゆえに、新潟を拠点に活動する3人組女性アイドル・グループのことは書いていない。と、間違って検索に引っかかり、ファンの方が貴重な時間をムダに過ごすことが無いようにと、わざわざグループ名を書かないという、おそらく過剰な気の遣いようである。

 

とはいえ、前回の記事に私の誤解が混じっていて、改めてその関係の記事でも話題にしたいと思うのだが、新潟の夏は短くはなく、実際には暑くて長いのだという。

 

あの記事を書いた翌日、仕事場にいる新潟県出身の女子大学生との会話の中でその事実を知らされ、また、ツイッターを通じてファンの方からもご指摘いただいた。

 

ツイッターやブログでファンの方々からお声かけいただいたり、言葉を交わすのがとても楽しく、身の回りにはその辺りをリアルに共有できる人が皆無なので、とてもうれしいのである。

 

1人で外食することがとても苦手なので、仕事の休憩時の食事はもっぱらローソンの冷麺などなのだが、その商品名のロゴにも愛着が湧くというものである。と、きわめて分かりにくい私信を入れてみたりする(笑)。

 

さて、昨日は七夕で、しかも結婚記念日だったのだが、仕事で夜遅くまであちこち歩き回っていた。JR橋本駅の改札あたりで少しだけ七夕の気分を味わえたので、それはよかった。

 

昨年は妻が帰省していて、私は船堀という所まで、東京で最もおいしいかもしれないと言われているらしい味噌ラーメンを食べに行っていた。

 

利発さと秘めた情熱、それがいつもトリガーなのだろうと、最近、何となく気がついてきた。

 

先日、女優の松岡茉優がモーニング娘。'15(当時)の鞘師里保に会って感激する動画や、テレビの企画でモーニング娘。'17の1員として一生懸命にパフォーマンスする姿などを、iPhoneの小さな画面で観て泣いたりしていた。

 

アイドルおたくは表現が大げさになりがちとかいうツイートも流れていて、そこでは松岡茉優が「私の生まれた意味」とか「天使に出会った」とか言ってしまっている。この気持ちは、とてもよく分かるような気がする。なぜなら、私もそのような感覚をとても大切なものとして、日々を生きているからである。

 

その必要条件として、以前に私は小生意気さをも含む、いわゆる「小娘感」を挙げていたのだが、最近になって、必ずしもそうではないのではないかと思うようになってきた。

 

それがまったく違うというわけではなく、それだけでは十分ではないというか、あまりにも浅すぎる解釈なのではないか、というそのような感じである。

 

それをさらに突き詰めていくと、ピュアネスとか根源的なパッションに行き着く訳であり、それらは最近になって分かってきた。

 

長生きはするものである。

 

それらは美しく、正しいものである。そして、現在の私には持つことがほぼ不可能に近い。ならば、それに嫉妬して醜く生きていくのか。真っ平御免、というものである。

 

なので、たとえ自分自身がそれになることは不可能だとしても、その美しさや正しさを遺憾なく発揮できる環境をつくり、それを証明することに余生を費やそうと、そう考えているわけである。

 

なぜなら、それだけが私の心を奮い立たせてくれるからである。

 

このような感覚を持って再び生きることができる日が来ようとは、数ヶ月前ならばまったく思っていなかった。というか、それを避けていた部分すらある。しかし、扉はこじ開けられた。より素晴らしい景色を見るための旅に出ようと思う。

 

「理想は」と話す、声を聞いた。特に深い意味は無かったのかもしれない。しかし、私は気がついた。「理想」を口にすることの尊さを、である。それだけで、1つの大きな才能である。そして、それはいつ手の届く場所から消え去ってしまうとも限らない。だから、悔いは残さないように、見苦しいぐらいに懸命にやりたい。

 

「欲望」は美しい。それを強く持った人と、そうではない人がいる。それが向けられ、その渦中で生きていけたならば、それは濃密で充実した人生であろう。そのような人と出会うことが出来る確率は、運か実力か。いずれにしても、それは幸せであることに変わりはない。

 

それに出会うことが出来た場合、次にはそれをどうしていくのか。これは、学習と鍛錬である。

 

そして、その基となっているのは、私が感じる美しさや正しさである。

 

それを証明することが、最高の自己実現だ。それが趣味ではなく、生業において行えていることは幸福なのだろうか。もしかすると個人としての自己実現を優先するが余り、生活の基盤を脆弱にしてしまうこともありうるのである。もしそうなれば、所帯を持つ1人のビジネスマンとしては失敗であろう。たとえ、愛に殉じたという実感はあったにせよ、である。

 

この辺りの暑苦しくて深刻な部分を悟られずに、いかにスマートにやっていただけるかが、肝心なところなのかもしれない。

 

なぜなら、私が持つ暑苦しさの本質は、大抵の人々に嫌悪感や、場合によっては恐怖心をあたえるに違いないものだからである。

 

そこはなるべく気づかれないように、中和しながらやっていこうと思う。もしこれが出来ないのならば、おそらくこの商売は成り立たないだろう。

 

「ライトでカジュアル」を目指してみても、その根底にある暑苦しいばありに溢れる愛は、分かる人にはやはり分かってしまうらしい。だからこれも難しいとは思うのだが、だったら別にいいのではないか、という気分もある。

 

それでも成り立つぐらいい、とにかくいわゆる「結果」にこだわってやっていき、それが出せた場合には、おそらく誰にも文句は言えないのだろう。じつはそれ、すごくカッコいいなと思っているのである。

 

様々な方面においてトゥーマッチな性分を持つ人間というのは、けして周囲に対して鈍感な訳ではないので、ある種のきまずさというかばつの悪さを感じてはいるのである。それでも、自分の見つけた感覚は正しいと信じられるし、それを無くしたならば自分は無なのではないかと思えるほどには、それらに熱中しているので、その部分を薄めていくつもりはなく、どうせ理解をしてもらえないのならば、別人格を捏造するか、死んだふりをしてやり過ごすぐらいの覚悟は持っているようである。

 

しかし、私はこのような人たちのエネルギーはすごいと思うし、リスペクトする。

 

そこが彼女達が最も輝いていて、真の実力を発揮できる場所なのであろう。

 

それはそれで良いのだが、それならばその何パーセントだけでも傾けてはもらえないだろうか。それに足るだけの環境であったり、リーダーでいなければいけないことは確実であろう。しかし、もうそこは余りあるエネルギーと意欲でカバーして行きたい。