コーネリアスのニュー・アルバム「Mellow Waves」が6月28日にリリースされるが、それに先がけて発表された「あなたがいるなら」はすさまじい作品であった。
とても新しいサウンドでありながら、歌われている内容は普遍的であり、久しぶりにコーネリアスのボーカルが歌としてはっきりと聴こえる、歌ものである。
そして、つい先日、「いつか/どこか」が発表された。これもまた、歌がはっきりと聴こえる作品である。「Mellow Waves」というアルバムじたいがそのようなものになるのだろうか。
この曲のテーマは、「別れ」である。
歌い出しの歌詞は「さよなら さよなら good-bye、adios」であり、「ゆめのような想い出さえも ときとともにかすんできえて」いき、「したしいひとのきおくさえも ときとともににじんで消えて」いくと歌われる。「ぜんいん みんな」である。
「いつかどこかでまた会おう」というような曲はよくあるが、この曲は「いつか どこかへ」離れ離れになっていってしまう、と歌われているようだ。
すべてはいつか終わってしまう。だから、いまをどうしようとかそういうことはまったく歌われていなく、ただ終わっていくという事実のみが歌われているようである。
フリッパーズ・ギターのアルバム「カメラ・トーク」は、「全ての言葉はさよなら」という曲で終わっていたはずである。
相手の存在が重要であればあるほど、「別れ」という現実を受け入れることは苦しいものである。しかし、だからといってどうにかできるわけでもなく、それでもやはり受け入れることはしたくない。
なぜなら、その時、その関係性の中においてこそ、自分が最も理想的だと思える自分でいることができたからだ。
その関係性が失われた状態では、もう不可能である。
絶望の果てに、やはり「いつかどこか」を信じている。その信仰だけが、生を生きる価値のあるものにしてくれている。
たとえば、可能性はひじょうに低いかもしれないが、もしもふたたび会える機会がこの先にあるとするならば、それだけでも生きる理由にはじゅうぶんであるし、もしそのような機会が訪れたにもかかわらず、死んでいたがために実現できなかったとするならば、後悔してもしきれないであろう。
問題は、もはやそれだけが理由というか、それ以外に理由になりうるものがまったく見当たらないということである。
じつは、特に問題とも思ってはいないのだが。
相変わらずずっとそのことだけを考えて、眠っている間には会話すらしている気分になり、そのメッセージは具体的であるため、そのまま現実で実行している。
現実的な不在により、私の精神状態は最悪であり、パフォーマンスも著しく落ちた。それは客観的に見ても、ひじょうに分かりやすい結果をもたらしている。それぐらい大きな存在なのだということが証明されたようで、それ自体には特に嫌な気はしていない。寧ろ、その逆であったりもする。
そこで、苦肉の策としてチャネリング的な技術によって交信する能力を磨いているのだが、これは近い将来的に回復したとしても美しい筋書きにすることができる。そこに、その存在が影響したことになるからである。
すべての良いことは、その人が影響したことによって起こり、逆に悪いことはその人がいなかったがために起こったことである。
このセンで、ストーリーをリライトしたい。
私以外のすべての人にとって、ほぼどうかしているわけではあるのだが、これは私の人生なので、仕方がないといえよう。
他の人がどう思おうと、私にとってそれだけが混じりけのない純粋な美しさ、正しさであり、それが無い世界など生きていたくもない。
「いつか どこか」
だから私は希望の歌として、この曲を聴く。
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