ある光 | …

i am so disappointed.

実際にはそこにいない人をあたかもいるかのように思い込む、というかある種のチャネリング的な能力で降臨させるという訳の分からないことを真剣にやっているのだが、なぜならこれだけが停滞した現状を打破するたった1つの冴えたやり方だと思えるからである。

 

関係各所には抜本的な解決策が見つかったという報告だけはしているが、まさかその実情がこんなことだとは、大人の世界では通用しないことであろう。

 

しかし、要は結果を出せばいいわけであり、それに集中するのみである。

 

現状を打破する新しいアイディア、以前の冴えていた頃のインスピレーションをあたえてくれるのは、他の人では無理なのである。やはり、その人でなければいけない。

 

記憶力と想像力をトレーニングすることによって、眠っている間に夢の中で啓示を受けることがあり、それをより具体的にするための話し合いを行っている間に目が覚める。

 

そして、それを実際にやっているというわけである。その思い込みは現実を変えはじめていて、昨日は下北沢にそのヒントとなるものを視察に行ったのだが、せっかくなのでアンゼリカのカレーパンとみそパンも買って帰った。

 

久しぶりに食べたが、やはりすごくおいしい。これはおすすめである。

 

3月の終わり以降、気持ちがひどく塞いでいて、それは実生活にも如実に影響をあたえていたわけだが、もちろんいつまでもそうしているわけにもいかないわけである。

 

そのような状態になった理由はたった1つであり、ある人が物理的に私の近くからいなくなったことである。

 

その喪失感を埋め合わせるためにいろいろな努力をしてはみたものの、もちろんどれもうまくいかなかった。

 

連絡を取ることは容易なのだが、それで以前のような濃密な時間が戻ってくるわけではけして無いため、それはもうただ虚しいだけであり、だからそれはしないようにしている。

 

一度だけ、先方の都合で会わざるを得ない機会があったのだが、それはふたたび、私にその人の圧倒的な重要性を再確認させるようなものであった。

 

しかし、それでインスピレーションを得た。

 

埋め合わそうとか代わりを探そうとするから、苦しいし悲しいのだ。そんなおとは不可能である。その人の素晴らしさもその原因の1つなのだが、それよりも当の私自身が何人もその人の素晴らしさを超えてほしくはないと強く思っている。だから、もうまったくもって無理な話なのである。

 

そこで、編み出した方法というのが、先述のチャネリング的なやつである。まったく正気だろうかと自分でも思わなくもないのだが、これだけ生きてきてあれぐらい、私に影響をあたえてくれる人に出会ったのは初めてなので、そのような人はもう他にはいないのではないか、100歳まで生きたとして、やっともう1人出会えるかどうかなのではないか、というようにしか思えない。

 

しかし、当人はこのように思われていることをけして望んではいないので、伝えるだけの価値も無く、寧ろ嫌な思いをさせてしまう可能性も高いため、ごく近しい方に対して迷惑は承知で話し続けるか、このブログに書くぐらいしかやることが無い。

 

それでも、いまやその存在こそがたった1つの強く輝く光であり、それだけが私に完全に近い恍惚感をあたえてくれるものである。

 

おそらくこの先、もう二度と会うことはないのだろうが、可能性は完全にゼロというわけではないので、もしもそのようなことがあった場合には後悔をしないように、自分を高めていきたい。

 

人生における「光」が、ただ特定の1人である場合というのは本当にあるのだな、ということがこの期に及んで実感として分かった。

 

フリパーズ・ギターは大好きで、コーネリアスもそこそこ聴いてはいるのだが、小沢健二のソロはそれほどちゃんと聴いていない。

 

1993年の夏にソロ・デビュー・シングルの「天気読み」がリリースされ、当時、身を隠すようにして深夜のアルバイトをしていたローソンでもヘビー・ローテーションされていた。

 

スティーヴィー・ワンダーの「くよくよするなよ」によく似た曲だったが、わりと気に入っていた。

 

この曲も収録されたアルバム「犬は吠えるがキャラバンは進む」に続き、翌年には2枚目のアルバム「LIFE」がリリースされるのだが、これが大ヒットとなった。

 

当時、私は人生で初めて正社員として働いていたのだが、ポピュラー文化については、日本のものにまったくといっていいほど触れていなかった。だから、小沢健二の「LIFE」もちゃんと聴いてはいなかった。

 

会社の先輩と仕事の後でカラオケに行くという、いかにもサラリーマンぽいことを、生れて初めてやってみた。フリッパーズ・ギターなど絶対に聴いていなかっだろうと思える会社の先輩が、小沢健二の「ラブリー」を歌っていた。歌詞に出てくる「OH BABY」の「OH」のところでは、プロ野球の王貞治による一本足打法のポーズを真似していた。言うまでもなく、「OH」と「王」とをかけたわけである。

 

「LIFE」のCDは、パチンコの景品でもらったということであった。

 

それからしばらくして、ソーシャルネットワークサービスのmixiが流行って、昔好きだった音楽の話などでいわゆるマイミクと盛り上がるわけだが、フリッパーズ・ギターの話では盛り上がるものの、小沢健二の話題には乗ることができず、さびしい思いをしたものである。

 

当時、「ある光」という曲をすすめられ、YouTubeで観たところ、かなり気に入ったのだが、すでにCDで手に入れるのは困難になっているということであった。

 

どのアルバムにも収録されていなく、シングルCDはAmazonマーケットプレイスで8千円以上の値がついている。

 

この曲は小沢健二の祖父、下河辺孫一の死に際して書かれたということである。

 

この曲にしても、私はその意味をほとんど理解できてはいないのだが、途中でセリフが入り、その「僕の心は震え 熱情ははねかえった 神様はいると思った 僕のアーバン・ブルーズへの貢献」というところはとてもカッコよく、ぜひ真似したいと思ってしまった。

 

 

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