「あなたがいなけりゃ この世は色あせてく」
つい先ほど、初めて聴いたポップ・ソングの歌詞である。これに私は大いに共感した。なぜなら、つい最近までの53日間、そのような気分を味わっていたからである。
それにしても、たった1人の人の存在がそれほどまでに影響してしまうのはさすがにどうかしているのではないか、客観的にそう思っている私も確かにいたのである。しかし、このように美しいポップ・ソングにおいてもそのように歌われているので、これは別におかしなことではないのだろう、と思った。
「あなたがいるなら この世はまだましだな」
そう、私はもう現実にはかなりうんざりしていて、不承不承やっている感じでもあったのだが、それでも毎日、楽しくて満ち足りている風な方がいいだろうと、そのようなことを思って生活していた。
それが、昨年のある時期から数ヶ月間、生きていることが本当に素晴らしいと思えた。いまとなってはその記憶すらおぼろげになっているのだが、そんな日々は確かにあった。
その理由がたった1つだったとは、その時にはまだ気がついていなかった。もしかするとそうなのかもしれないとは思わなくもなかったが、まさかそこまでではないだろう、とも思っていた。
そして、終わりの日は訪れたのだが、それから53日間、完全な虚脱状態であり、何をやっていても心から楽しむことはできなくなっていた。
先月末に行ったNegiccoのZepp DiverCityでのライブだけは、確かにものすごく楽しかったけれども。
代わりになりうるものやことを探したが、そんなものはどこにも無かった。というか、じつは心の底から探そうとはしていないのではないかと、そのような気すらしていた。
時間が経てば忘れるとか薄れるとか、それはさびしいことではあるが、気が楽になるのならば、それはそれでいいのではないか、とも思った。しかし、そのようなことはけしてなく、いつもずっとその頃のことだけを考えていた。
もう未来のことは考えない。それは可能性がきわめて低いことであるし、そもそも望まれてはいないからである。
だから、54日目、ついにやはりその重要性を認める結果にはなったとしても、現在や未来について話すことはしなかった。
何かをおそれていたのかもしれないが、いまのところはよく分からないことにしておく。
その夜、もちろんいたたまれずにアルコールを大量摂取し、その状態でお気に入りの曲を次々と流し続けるということをやっていた。同時にブログを書いて公開もしたのだが、翌朝、あまりの内容の酷さとおぞましさに、あわてて非公開にしたのであった。
しかし、少なくとも数名の方には最後までお読みいただけたことが確認できたので、あの記事はもうすでにその目的をまっとうしたといえるであろう。
しかし、その時のプレイリストはわりとお気に入りなので、それだけを再録しておきたい。
01. はじまるふたり/さいとうまりな
02. POSITIVE feat. Dream Ami/tofubeats
03. あなたとPop With You!/Negicco
04. piece of life (second piece)/RTYTist
05. 秒速Party Night/WHY@DOLL
06. 告白はサマー/フィロソフィーのダンス
07. 愛はおしゃれじゃない/岡村靖幸
08. いつかここで会いましょう/カーネーション
09. 無修正ロマンティック~延長戦~/大森靖子
10. 非国民的ヒーロー/大森靖子
11. ドグマ・マグマ/大森靖子
12. 愛、かましたいの/Negicco
13. この愛は始まってもいない/真心ブラザーズ
14. さよならリグレット/くるり
15. 桜 super love/サニーデイ・サービス
16. Typical Girl/Base Ball Bear
この時にはまだ聴いたことがなかったのだが、コーネリアスの新曲「あなたがいるなら」が音楽評論家の高橋健太郎さんから大絶賛されていることは、ツイッターのタイムラインで見て知っていた。
私はフリッパーズ・ギターの「カメラ・トーク」とか「ヘッド博士の世界塔」とかが大好きで、その流れで解散後のコーネリアスのアルバムも聴いていて、もちろんそれなりに気に入ってはいたのだが、底の浅いミーハーな音楽ファンに過ぎない私にとっては、少し難しいところもあり、やはりフリッパーズ・ギターの方がずっと好きであった。
よって、この曲も少し前から話題にはなっていたが、そのうちに機会が来たら聴こうと思っている程度であった。
しかし、高橋健太郎さんのツイートを読んでいるうちに、やはりこれは早めに聴いておいた方がいいのではないか、という気分にもなってきた。そして、どうやらこの曲はいまの私にも少し関係あるようなことも歌っているのかもしれない、とかそんな気もしてきたのである。
かつてイギリスのインディー・バンド、ザ・スミスは全英最高11位のヒット曲「パニック」において、「DJを吊るし上げろ」と歌った。その理由とは、彼らのかける音楽が自分の人生について何も歌っていないから、ということであった。
この春、サニーデイ・サービスの「桜 super love」という曲を初めて知り、その「きみがいないことは きみがいることだなぁ」という歌詞にたまらなくグッときたのであった。
しかし、その感じを自分のものにするには至らず、ただただ不在の悲しみに打ちひしがれ、それを認めまいとすればするほど、確実に負けていく自分自身に、またたまらない気分になる、ということの繰り返しであった。
そして、54日目にして、やはり私にとって確実にリアルかつヴィヴィッドで、世界を生きるに足るものだと思わせてくれる理由は、それをおいて他にないなという思いを強くして、それでもさすがにどうかしているのではないか、と思っていたのだ。
それでかなりいかれているブログ記事に思いのたけを書きなぐるものの、自分で読んでもあまりにも気持ち悪すぎて非公開にするというていたらくである。どこに救いがあるというのか。
この時点で、私は完全に自分のことをいかれていて、客観的に見ておそろしく気持ち悪いとしか思えないのである。
そして、先ほど、コーネリアスの「あなたがいるなら」を初めて聴いた。いまがその時なのではないかという気が、なんとなくしたからである。
「ただ見てるだけで、なぜ切なくなるのだろう」
「動くだけでなぜ 意味もなくドキドキしてくるのだろう」
「あなたがいるなら この世はまだましだな」
「ただ笑うだけで なぜ訳もなくうれしくなるのだろう」
「声を聞くとなぜ そわそわしてくるのだろう」
「あなたがいなけりゃ この世は色あせてく」
「なぜ見てるだけで いると分かるだけで 声を聞いただけで なぜ訳もなく 見てるだけで なぜ切ない」
おい、マジかよ、という話である。これらの歌詞の意味がよく分かる。これまでの人生の中で、いまが最も分かる、と言い切れるレベルである。
サウンドは最新型のポップ・ミュージックという感じで、じつに新しくカッコいいものである。それでいて、これは完全に歌モノなわけである。作詞は坂本慎太郎、これも先ほど、初めて知った。
生きている動機の中心がこのようなことで大丈夫なのだろうか、という不安というか納得のいかなさがひじょうにあったのだが、どうやらそもそもそういうものでもいいというか、きわめて普通のことなのかもしれない。
自分はもしかするとおかしいのではないかと思っていたところ、それでいいのだ、というかそれは寧ろ素晴らしいものなのだと肯定してくれるのがポピュラー音楽なのだ、という物言いを幾度か読んだことがある。理解したつもりではいたが、正直、いままで分かってはいなかったのであろう。なぜなら、いまはっきりと分かったからである。
私が人としてちゃんとしていかなければいけないとか、それなりのことを成し遂げたいとか思う理由は、つまりそのような人に認めてもらいたいということ以外には何も無い。本当に、きれいさっぱり何も無いと言えるぐらいに、明白なことである。
しかし、それがよく分からない状態になっていると、迷ってしまう。
現段階で自分自身とかかわりがあるとか無いとかそんなことは関係なく、とにかくその人が確かにこの世に存在していると、そう思うだけで、それだけが確実な理由であり意味にはなりうるはずなのである。
だから、あらためてちゃんとしていかなければいけないと思うのである。その先に何があるのかということがさっぱり分からなければやる気も一切わかないわけだが、もしかすると認めてもらえるのかもしれないと、その可能性がわずかでもあるとすれば、それだけが生きる理由になり得るのではないか。他には何一つ考えられないから。
だとしても、やはりどうかしてはいるのだろう。
それでも、この曲は最高に美しくカッコいいので、最高だと思うのである。
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