シャドー・シティ | …

i am so disappointed.

1981年5月11日付のオリコン週間シングル・ランキングを見ると、12位に「ツッパリ High School Rock'n Roll(登校編)」、16位に「横須賀Baby」と、横浜銀蠅の曲が2曲チャート・インしている。最高位は、それぞれ12位と3位である。

 

アーティスト名の表記が途中から「T.C.R.横浜銀蠅R.S.」になり、これは正式名称である「THE CRAZY RIDER 横浜銀蠅 ROLLING SPECIAL」の略のようなのだが、この頃は「横浜銀蠅」だけの表記だったと記憶している。

 

私はてっきり途中からグループ名が長くなったものだと思っていたのだが、じつは正式名称は元々この長いものであり、実際、デビュー・シングル「横浜Baby」のジャケットに印刷されたアーティスト・ロゴを見ても、ちゃんとそうなっている。

 

それはそうとして、横浜銀蠅といえばリーゼントにサングラス、革ジャンといった、いわゆるツッパリスタイルで一部の若者から熱狂的な支持を得ていた。弟分として紅麗威甦、嶋大輔、矢吹薫、マスコットガール的なアイドル、岩井小百合などもデビューし、それぞれヒットを記録していた。俳優の杉本哲太が紅麗威甦のメンバーであったことは、よく知られているところである。

 

デビュー・シングルの「横須賀Baby」はわりと渋めのロックンロールだったが、2枚目の「ツッパリ High School Rock'n Roll(登校編)」は、ノベルティー・ソング的な味わいもあり、売上50万枚を超える大ヒットとなった。

 

当時、若者文化のメインストリームとして、いわゆるツッパリ的なものがあり、横浜銀蠅の「ツッパリ High School Rocj'n Roll(登校編)」は、この流行を分かりやすいかたちで大衆化した傑作といっていいだろう。

 

歌い出しの歌詞が「今日も元気にドカンをきめたら ヨーラン背負ってリーゼント」である。当時のツッパリのトレードマークであった変形学生服のことが、歌い込まれている。

 

また、途中に「タイマンはりましょ 赤テープ同志で」という歌詞があるのだが、「タイマン」は1対1の喧嘩のことだとして、「赤テープ」というのは、当時、カバンにこれを貼っていると「喧嘩買います」の合図であるというようなルールがあり、そのことが歌われているわけである。

 

社会的には校内暴力や家庭内暴力が問題になっていたり、書店では暴走族の写真集がすごく売れていたりということもあった。

 

先ほどから何度も普通に多用している「ツッパリ」という語だが、今日ではほとんど使われることがないだろう。当時でいうところの「不良少年」というような意味合いであり、今日であれば「ヤンキー」と呼ばれるようなものなのであろう。

 

当時、「ヤンキー」という言葉は、少なくとも全国的には用いられていなかったと思う。関西地方では不良のことを「ヤンキー」と呼ぶという話を聞いたことがあり、嘉門達夫の「ヤンキーの兄ちゃんのうた」がラジオでよくかかっていたのは、1983年のことであった。

 

「ツッパリ」という言葉については、所ジョージが「オールナイトニッポン」で「あなたの街のツッパリバカ」というコーナーをやっていて、それで聴いて知っていた。デビュー当時の所ジョージはリーゼントにサングラス、革ジャンというスタイルであった。

 

ツッパリ文化とロックンロールとは親和性があり、この年のヒット曲でいうと、ザ・ヴィーナス「キッスは目にして」、アラジン「完全無欠のロックンローラー」などは、この文化が生んだヒット曲といえるだろう。

 

また、当時、猫にツッパリやスケバンの格好をさせた「全日本暴猫連合 なめんなよ」というアートワークが、謎の大ヒットを記録したりもしていた。この年の秋には又吉&なめんなよ名義で「なめんなよ」というレコードも発売され、なんとオリコン最高5位の大ヒットを記録していた。

 

当時、小学2年生だった私の妹も、ジャケットに写っている猫がかわいいからという理由だけで、お年玉でこのレコードを買っていた。おそらく実際にステレオでかけたのは2、3回ぐらいだったのではないかと思う。

 

「ツッパリ High School Rock'n Roll(登校編)」がヒットしている頃、私は旭川で中学3年生だったわけだが、やはりそこでもツッパリ的な文化というのはかなりポピュラーであった。

 

但し、当時、私の周りのメジャーなツッパリは横浜銀蠅というよりは、矢沢永吉やクールス・ロカビリークラブを支持していたような印象がある。

 

この週のオリコン週間シングルランキングにおいて、矢沢永吉「抱かれたい、もう一度」が11位にランクインしている。当時、矢沢永吉はいわゆるツッパリからカリスマ視に近い扱いを受けていた印象があるが、いま聴いてみると、そのサウンドはどちらかというとシティ・ポップに近いようなものであった。

 

前年の山下達郎「RIDE ON TIME」の大ヒットに続き、この年はシティ・ポップの不朽の名盤、大滝詠一の「A LONG VACATION」がリリースされ、オリコン年間2位の大ヒットを記録した年なのであった。

 

そして、シティ・ポップ的なサウンドの大衆化の顕著な例として、寺尾聰「ルビーの指環」の大ヒットがあげられる。この年の2月にリリースされたこの曲は、この週も松田聖子「夏の扉」を抑え、ランキングの第1位に君臨している。さらには前年にリリースされた「シャドー・シティ」「出航 SASURAI」も、それぞれ5位と14位にランクインしている。

 

「ルビーの指環」はオリコンで10週連続1位、年間でも1位の大ヒットとなり、アルバム「REFLECTIONS」も年間1位を記録した。

 

「ルビーの指環」のヒット以前から、「シャドー・シティ」は横浜ゴムのTV-CMに起用されていたり、ラジオでCMスポットも流れていた。

 

当時、ラジオの深夜放送をよく聴いていた私は、「トゥットゥルトゥーン、トゥトットッルール」などと延々と歌い、一向に歌詞が出てこないこの曲のCMスポットがとても印象に残っていた。もしかすると歌詞がある部分も少しは流れていたのではないかとも思うのだが、とにかく「ゥットゥルトゥーン、トゥトットッルール」などという、歌詞の無い部分がものすごく長かった印象ばかりが残っている。

 

あまりにも流行りすぎたため、当時の流行歌としての印象があまりにも強かったのだが、いま聴いてみると、シティ・ポップとしてかなりカッコいいのである。

 

2003年にGREAT3 の片寄明人が選曲した邦楽AORのコンピレーションCD「Mellow~The Best Of J-AOR~」がリリースされたのだが、「シャドー・シティ」はその1曲目に収録されていた。

 

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