少し前のことだが、Amazonプライム・ビデオのカタログに「の・ようなもの」が追加されていたので、ウォッチリストに入れておいた。それでも特に観たいという思いがそれほど強いわけでもなく、そのまま放置していた。
昨日、少しだけ時間ができたことと、何となく観たい気分になってきたため、久しぶりに観た。
この映画が公開されたのは1981年で、その頃、私は中学3年生であった。リアルタイムで観てはいないし、そもそも旭川の映画館で公開されていたかどうかも定かではない。
確か深夜のテレビで観たのだと思ったが、その時は公開からもうかなりの年月が経っていたような気がする。
伊藤克信が演じる主人公の落語家、志ん魚(しんとと)が、深夜の街の様子を描写しながら、「しんとと、しんとと」と言って歩き続けるシーンが印象に残っていた。
今回、ふたたび「の・ようなもの」を観てみたいと思ったのは、当時の東京の空気感を体験してみたいという、懐古趣味以外の何物でもなかった。
この映画が公開された前年、私は父に連れられて、生れて初めて東京を訪れていた。そして、いつかここで生活するのだということを、何となく決めていた。
当時、佐野元春の「Heart Beat」というアルバムをよく聴いていた。大滝詠一が主宰するナイアガラ・トライアングルに抜擢され、アルバム「SOMEDAY」によってメジャーになる少し前のことだ。NHK-FMの「軽音楽をあなたに」で「ガラスのジェネレーション」「NIGHT LIFE」「君をさがしている(朝が来るまで)」の3曲が流れ、すぐに気に入った。
これらの曲の歌詞で描かれた風景が、当時の私にとっての幻想の東京であった。
1985年、実際に生活をするようになってからの東京は、よりきらびやかになっていて、この頃とは少し違っていたように思う。
「の・ようなもの」に主演している伊藤克信は、田舎訛りが印象的で、よくバラエティー番組などでも見かけたような印象がある。
今回、この映画のことを調べていて初めて知ったのだが、じつはこれがデビュー作だったようである。
監督の森田芳光は、この映画の主役に起用する若手落語家を探し、都内の寄席に通っていたのだが、なかなかイメージに合う人が見つからなかったようだ。そして、テレビで放送されていた「全日本落語選手権」で、当時、大学の落語研究会に所属していた伊藤克信を見て、主役に抜擢したのだという。
この作品が劇場映画監督デビュー作となった森田芳光は、自身もまた、大学では落語研究会に所属していた。この時の先輩には、放送作家の高田文夫がいたのだという。
この頃、私の周りでは「ビートたけしのオールナイトニッポン」が大人気であり、放送があった翌日、金曜日の教室はその話題で持ちきりであった。この番組の構成を行っていたのが高田文夫であり、ラジオからはビートたけしのトークにウケまくっている笑い声がいつも聴こえていたものである。
当時、私は高田文夫にかなり憧れていて、高校を卒業したら日本大学芸術学部放送学科に進学して、将来は放送作家になりたいとわりと真剣に考えていた。
「の・ようなもの」における主人公、志ん魚と尾藤イサオが演じる兄弟子、志ん米との関係は、学生時代の森田芳光と高田文夫との関係をモチーフにしているのだという。
この映画は、秋吉久美子が風俗嬢を演じたことでも、当時、話題になったのだという。いまでいうところのソープランドだが、この頃はトルコ風呂と呼ばれていた。日本に住むトルコ共和国出身者の間で、自国の名前が風俗店の呼び名に使われていることに反発があったらしく、それを受けて、1984年12月にトルコ風呂の呼び名が廃止され、ソープランドというようになったのである。
秋吉久美子が演じるエリザベスは当時でいうところのトルコ風呂で働いているのだが、生活はやはり当時でいうところのクリスタルという感じの、都会的で気ままなムードである。
そして、そのエリザベスが住んでいるマンションには、イエロー・マジック・オーケストラ「BGM」のアートワークが飾られていた。
テクノブームも一段落し、よりマニアックな音楽性を持ったアルバムである。「テクノポリス」「ライディーン」の頃のポップさは後退し、私の周りでも戸惑いを見せるものが少なくなかった。
また、「の・ようなもの」におけるテクノネタでいうと、志ん魚の弟弟子である志ん菜が秋葉原にクラフトワークのレコードを買いに行くと言うシーンがある。
当時、秋葉原はクラフトワークのレコードを買いに行くような街だったのだ、と思った。
水道橋の予備校に通っていた私は、授業が終わると仲間たちと主に神保町あたりをぶらついていたのだが、少し足をのばして秋葉原まで行くこともあった。当時の秋葉原といえばまさに電気街であり、とにかく大きな電気屋さんがたくさんあった。
家電やオーディオ機器と一緒に、レコードも取り扱っている店が結構あったような記憶がある。当時の石丸電気のCMを見ると、レコードを見ている客の姿が映っているし、派手な電飾看板にも「レコード」の文字がある。
ある日、志ん魚は、交際相手である女子高校生、由美とデートの後、夜遅くに家まで送っていくのだが、途中で偶然に同じ時間に帰ってきた由美の父親に出会う。言われるままに家に上がり、落語も披露することになるのだが、それが由美の父に「なってないねえ」「君、どうやって生活してるの?」などと酷評される。さらに由美にまで、「父さんの言う通りだと思う。志ん魚さん、下手よ」とまで言われるのだ。
由美の家を出た志ん魚は、終電もなくなった深夜の街を、葛飾区の堀切から浅草まで、明け方までかかって歩く。街の様子などを呟きながら歩き続ける、そのシーンがとにかくジーンとくるのだが、これは落語でいうところの「道中づけ」というものらしい。
以前にこの映画を観た頃、私は浅草にまったく興味がなかったというか、行ったことすらなかったのではないかと思う。
私が上京した頃は、渋谷区や港区が特にカッコいいとされていて、浅草や上野などは若者が積極的に行きたい街という感じでは、あまりなかった。
いまや東京の下町の良さも分かった状態で観るからこそ、より味わい深いものがある。浅草の風景は現在とかなり様子が違っているが、そこもまた楽しく観ることができた。
志ん米役で出演した尾藤イサオが主題歌の「彼女はムービング・オン」「シー・ユー・アゲイン 雰囲気」も歌っている。作詞でクレジットされているタリモとは、森田芳光監督のことである。。そして、作曲は浜田金吾である。
今日、1980年代のシティ・ポップを代表するアーティストの1人として再評価されている感じもあるが、当時は名前が同年代の人気シンガー・ソングライター、浜田省吾と1文字違いであることの方が話題になっていたような印象がある。「浜田といえば金吾です」というややヤケクソ気味のコピーもまた、強烈であった。
今日、浜田金吾をウィキペディアで調べると、ご丁寧にも「『浜田省吾』とは異なります」という文言が表示される。
まったくの余談だが、こと私のiTunesライブラリ収録曲数に限っていうならば、浜田省吾が1曲に対し、浜田金吾(濱田金吾)が66曲と、圧勝しているわけである。誰が興味あんねん。
他に、当時、コメディアンとして「お笑いスター誕生」に出演していて、後に俳優として成功するでんでんが兄弟子の志ん水の役で出演していたり、小堺一機とラビット関根(関根勤)が謎のオカマキャラクターで登場したりという見どころもある。
兄弟子の志ん米が苦節の末に真打ちに昇格するのだが、その祝賀パーティーのようなもので、「早く真打ちになりたいな」「なりたいね」と言う志ん菜と志ん魚との会話がまた、グッとくる。
青春群像劇として普通におもしろいのだが、当時の時代の空気感もヴィヴィッドに感じられ、かなり満足度の高い体験となった。また、いつか観直すのではないかという気がする。
森田芳光監督は2011年に亡くなったが、長く助監督を務めていた杉山泰一が2015年に、「の・ようなもの」の35年後を描いた「の・ようなもの もようなもの」を発表している。主演は松山ケンイチ、ヒロインは北川景子、「の・ようなもの」に出演していた伊藤克信、尾藤イサオ、でんでんらも当時の役で出演しているのだという。これも機会があれば観てみたいと思う。
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