1970年代後半、日本のヒット・チャートは大物スターとニュー・ミュージックのアーティストによって席巻されていたような印象がある。いわゆるフレッシュアイドルと呼ばれるような存在でヒットチャート上位に食い込んだのは、石野真子と榊原郁恵ぐらいだったのではないだろうか。
それだけに、1980年に田原俊彦が「哀愁でいと」で「ザ・ベストテン」に初登場した時の印象は鮮烈であった。同時期に松田聖子も2枚目のシングル「青い珊瑚礁」を大ヒットさせる。この年には岩崎良美、河合奈保子、柏原よしえもデビューし、ここからいわゆる1980年代アイドルの時代がはじまる。
中でも最も数多くの人気アーティストがデビューしたといわれているのが、1982年である。この年にデビューした主に女性アイドルたちのことを、「花の82年組」などと呼んだりもする。
主なところでは、中森明菜、小泉今日子、堀ちえみ、石川秀美、早見優などである。松本伊代は前年の秋に「センチメンタル・ジャーニー」でレコードデビューを果たしたが、音楽賞レースにおいては1982年の新人として扱われたため、「花の82年組」の1人とみなされている。
「花の82年組」がデビューした翌年、1983年5月9日のオリコン週間シングル・ランキングを見ると、この頃、アイドルによる曲がいかにヒット・チャートに数多くランクインしていたかがよく分かる。
近藤真彦「真夏の一秒」(1位)、松田聖子「天国のキッス」(2位)、シブがき隊「Zokkon命」(3位)、早見優「夏色のナンシー」(8位)、堀ちえみ「夏色のダイアリー」(9位)、柏原芳恵「ちょっとなら媚薬」(10位)、中森明菜「1/2の神話」(12位)、石川秀美「Hey!ミスター・ポリスマン」(17位)と、上位20曲中の8曲をアイドルが占めている。
この週の6位にはイエロー・マジック・オーケストラ「君に、胸キュン。」がランクインしているが、この曲は最高2位の大ヒットとなっている。
2年前に社会現象ともなった空前のテクノ・ブームも、この頃にはすっかり落ち着いていた。「君に、胸キュン。」はカネボウ化粧品のCMソングにも起用されていたが、いわゆるヒット狙いのテクノ歌謡として制作されたような印象があった。この年をもてイエロー・マジック・オーケストラは、解散ならぬ散会をしたのであった。
当時、メンバーの高橋幸宏が「オールナイトニッポン」において、テクノブームは音楽業界ではなかったことになっている、などと自虐的に語っていたが、実際にはそんなことはなく、メインストリームのヒット曲においても、イエロー・マジック・オーケストラの影響は顕著であった。
この週のランキングにおいては、松田聖子「天国のキッス」の作曲・編曲を細野晴臣、7位のわらべ「めだかの兄妹」の編曲を坂本龍一が手がけている。
「花の82年組」の中で私が最も好きなアイドルといえば、ダントツで松本伊代なわけだが、じつはファンクラブに入っていたのは早見優の方であった。
松本伊代は「センチメンタル・ジャーニー」「ラブ・ミー・テンダー」がデビューから2曲連続でトップ10入り、TV-CMにも多数出演していて、「花の82年組」の多くがデビューした1982年春の段階においては、すでにお茶の間にもかなり浸透していた。
この年、私は旭川の公立高校に入学し、つまり春には15歳だったわけだが、「花の82年組」のアイドルたちはほぼ同世代だということができる。
後にトップ10の常連となった人気アイドルたちも、デビュー当初からすぐに大ヒットを記録していたわけではなかった。デビュー曲のオリコン最高位は、中森明菜「スローモーション」(30位)、小泉今日子「私の16才」(22位)、堀ちえみ「潮風の少女」(27位)、石川秀美「妖精時代」(31位)、早見優「急いで!初恋」(36位)という感じであった。
この中で、私が早見優のファンになったのは、もちろん完全な好みの問題でしかない。ハワイ出身で英語の発音がひじょうに良いという部分が、かなりの好ポイントにはなった。
デビュー曲の「急いで!初恋」は、本人も出演していたバスボン ヘアコロンシャンプー・リンスのCMにも使われていた。ひじょうに爽やかなアイドル・ポップスという印象であった。
2枚目のシングル「Love Lite」を歌っているところをテレビでよく観ているうちに、何となく好きになっていった。この曲の歌詞は元々、英語だったようなのだが、シングルでは三浦徳子が日本語詞を付けている。このシングルの1ヶ月前にりりースされたデビュー・アルバム「AND I LOVE YOU」には、英語バージョンが収録されている。
とはいえ、シングルでも後半に英語の詞がかなり残されていて、ここの発音がものすごく良かったことと、どこか表情に翳りというか、そこはかとない暗さがあるところがたまらないフックとなった。
この頃、郷ひろみがバーティ・ヒギンズ「カサブランカ」を「哀愁のカサブランカ」としてカバーし、オリコン最高2位の大ヒットを記録していた。曲は大人のバラードという感じであり、当時の郷ひろみのイメージによくハマっていたと思う。
そして、この年の秋にリリースされた早見優の3枚目のシングルは、「哀愁のカサブランカ」へのアンサー・ソング、その名も「アンサーソングは哀愁」であった。もちろん買ったのだが、ここでなぜこの路線なのだと、大いに疑問を感じてはいた。
オリコンの最高位は前作よりも上がったが、登場週数と売上数はデビュー曲から右肩下がりであった。この傾向は、翌年明けにリリースされた4枚目のシングル、「あの頃にもう一度」でも続いていた。
ライトでポップな資質を持っていると思われるのだが、シングル曲はなぜか地味で暗いというジレンマを何となく感じていたのだが、次にリリースされた5枚目のシングル、「夏色のナンシー」において、大きな路線変更が行われた。
本人も出演したコカ・コーラのCMタイアップ曲、「夏色のナンシー」である。「あの頃にもう一度」では4.5万枚にまで落ち込んでいたセールスは、一気に26.9万枚に跳ね上がり、最高位もそれまでの27位を大きく更新する7位、「ザ・ベストテン」への出演も果たした。
そのキャラクターの持つ可能性をフルに生かすかのようなポップな楽曲が、完全にハマったといえる。その後、早見優のシングルは1985年夏の「PASSION」まで、11作連続でトップ10入りを果たすことになった。
早見優は静岡県熱海市の出身だが、3歳から7歳をグアム、7歳から14歳までをハワイで過ごしたのだという。ファンクラブから届いた会報のような冊子では、好きな音楽としてビーチ・ボーイズやカラパナを挙げていた。
このような経緯もあってか、早見優の歌には、特にアップテンポの曲において、心地よい疾走感が感じられた。
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