さて、前回ブログを書いたのがいつだったかをよく覚えてはいないのだが、おそらくほんの数日前だったのではないかという気がする。
激動なのかそうでもないのかよく分からない日々を送ってはいるのだが、わりと濃密であり、心がクタクタに疲れかけている。逆にそれがいいと言えなくもないが、やはりそうでもないと思うこともある。というように、何を言っているのやら自分でもよく分かってはいない。
翻弄されるのはもうたくさんだが、最も重要なものが何かをよく分かっているので、それにはむしろ振り回されていたい。というか、そうされていずにはいられない。
自分自身の現時点における最も重要な目標は何なのかということを、真夜中にiPhoneのメモに打ってみた。それはきわめて具体的なものであった。おそらく世界中で私一人だけの目標であり、それが悲しくはあるのだが、それぐらいは余裕で乗り越えていかなければならない。
先日、とある有能な部下と朝から夜まで都内のいろいろな場所をめぐり、新しい仕事に向けての情報収集などをしたのだが、ひじょうに有意義な時間であった。また、電車の中ですすめられた「あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない」「ちはやふる」という2本のアニメーション作品を見はじめたが、いずれも素晴らしい。
また、秋葉原のアニメグッズショップなどがたくさん入った商業施設や、池袋のいわゆる乙女ロードと呼ばれる場所にあるお店にもはじめて入り、ひじょうに刺激的な体験をすることができた。
明日はとある有能な部下が自宅から私物のグッズを持ってきてくれるため、それで査定の練習などをするらしいので、とても楽しみである。
私にとってはじつに悲しい可能性も今後は考えられ、そうするともう生き続けていくことが困難なほどなのだが、それでも続けていかなければならないという気がする。
その話を聞いた時にはやはり無口になり、平然を装っていたとしても、明らかな落ち込みのムードはおそらく伝わったのではないかと思う。もういろいろと面倒なので、いっそのこと完全に悟られた方がいいのではないか、という気さえしている。
一人になった時に、自分なりにそれをどう消化しようかと思い悩んだのだが、やはり日本一になるしかないな、と決意したのである。
とにかくやれるうちは悔いが無いように思う存分、その恵まれた状況を楽しむことに集中したい。そして、やがて終わりを余儀なくされた場合、その瞬間から深い悲しみを生きていくことは当然として、それによって偉大な仕事を成し遂げることを目標にしようと思う。
私が何らかの世の中のためになることを成し遂げたとしたら、それは深い悲しみがあったからこその話であり、そのきっかけを与えてくれた人のおかげだということができる。それを証明するだけのために、その後の私の人生はあったとしてもかまわない。
他のことはもう本当に取るに足らない。数ヶ月前まではそんなことのためだけに生きていたし、もしかすると今後はまたそのような日常を余儀なくされるのかもしれない。しかし、せっかくこのようなまるで人生を変えるかのような体験をさせていただいたのだから、今後もそのようにやっていければいいのに、と思う。
その素晴らしさを証明するだけのためにも、たとえどのような状況になったとしても、それはやっていきたい。感謝の気持ちだけはいつも持ち続けていたい。
深く心に刻み、これから死ぬまでの間を生きていきたいから、思い出を糧にしたとしても、それをいつも新鮮な状態に保っていたい。それだけのために、これから死ぬまでの人生があったとしてもかまわない。それだけの価値は確実にある。なぜなら、この世のものとは思えないほど、完全に美しいし、素敵だと思えるからである。もう他には何もいらない。それだけが、死なずに生きていく理由である。