夏の記憶を超えて | …

i am so disappointed.

今日は、午後から仕事であった。家を出るまでの間、ノートパソコンでAmazonプライムビデオのホームページを見ていると、アニメーションの「クズの本懐」があった。今週の木曜日からスタートということは何となく知っていたのだが、早くも配信が開始されていたのである。

 

さっそく観てみたのだが、心の奥深くまで刺さってくる、素晴らしい内容であった。私が人生において大切だと思うことの多くが、ここでは描かれているように思えた。特に愛と嫉妬との問題は、ひじょうに身につまされるものであった。

 

ところでこのアニメーションはコミックを原作としていて、私はとある幻想の普通少女から、そのタイトルは何度か聞いた覚えがあった。内容についても話されていたのかもしれないが、おそらくちゃんと聞いていなかったため、まったく覚えてはいない。

 

心の底からたまらなく好きな相手がいるが、自分のものにすることはけしてかなわないとする。その思いの深さを共有できる誰かがたまたま身近にいた場合、身代わりのように愛を感じ合うことを、どう評価すべきだろうか。

 

というか、当事者であった場合、問題はじつに切実であるため、客観的に判断することなどは、ほぼ不可能であろう。このような、常識的な人間関係においては話題にすることすら憚れるような事柄を深刻に生きている場合、その苦悩は実際にかなり深いものであろう。というか、生死にかかわるような領域である場合も少なくないであろう。

 

このような、ひじょうに特殊であり、かつどうかしているのではないかと少しは悩んでいたのとわりと近めな内容が地上波のアニメーション番組で題材にされていたということに、驚きを禁じえなかったのである。

 

つまり、愛欲とは地獄であると、嫌というほど思い知らされた、あの追憶の2016年の夏の真相は、まさにそれにひじょうに近しいものであった。それが生々しくフラッシュバックすることを回避しようと、無意識がかなりの努力をしていたことだろう。しかし、そこにこそ真実はあったのであろう。

 

あの夏、幻想の普通少女はすでにこのアニメーションの原作となったコミックを読んでいたわけであり、となると、それをある程度、模倣していたたという可能性も考えられる。

 

どちらでもいいことだが、いずれにせよ、いつかの利息のみで食いつなぐような生活は、やがて破綻を余儀なくされているに違いない。

 

未来ならばこんなにも明るく見えているのに、切なさばかりに追い立てられている。

 

太陽と体液とフレグランスの香りが混じり合った記憶のエッセンスは、強い思いであり、それだけが現実を動かしていくのだろう。まだ十分ではないとするならば、次には何をするべきなのだろう。