当時、中学2年生だった私は前年から意識的に洋楽を聴くようになり、レコードもすでに何枚かは買っていた。シングルではポール・マッカートニー「カミング・アップ」、クイーン「地獄へ道づれ」、ケニー・ロジャース「レイディー」と、いずれも全米第1位に輝いた曲ばかりである。
アルバムではビリー・ジョエル「ニューヨーク52番街」「グラス・ハウス」、そして、お年玉でジョン・レノン&ヨーコ・オノ「ダブル・ファンタジー」を買った。
ジョン・レノンが銃弾に倒れたのは前年の12月であった。学校からわりと早めに帰ってきてテレビをつけると、ワイドショーがそのことを伝えていた。この時点で私はビートルズをろくに聴いてはいなかったのだが、なんだかすごいことなのだろうと思い、NHK-FMの特集を録音したり、緊急出版されたアメリカの「プレイボーイ」誌のインタヴューを書籍化したものを買って読んだりしていた。
「ダブル・ファンタジー」にはジョン・レノンとヨーコ・オノの作品がほぼ交互に収録されていたが、当時の私にはヨーコ・オノの曲が前衛的すぎてよさがよく分らなかった。また、シングル「スターティング・オーヴァー」のカップリングにもなった「キス・キス・キス」では、ヨーコ・オノが「あなた、抱いてよ」などの言葉を日本語でささやく箇所がいくつもあり、中学生の私には刺激が強すぎたのと、また、親や兄弟に聞かれたえらいことになるというプレッシャーも強かった。
つまり、自分の趣味や嗜好はまだまったく確立されていなかったのだが、中学2年生にもなったし、そろそろ洋楽でも聴くべきかな、というようなスタンスに過ぎなかったような気がする。
日曜日は学校が休みだったので、土曜日の夜はわりと夜ふかししがちだったのだが、それも小学校高学年からよく聴いていたニッポン放送の「笑福亭鶴光のオールナイトニッポン」よりも、ラジオ関東の「全米トップ40」の方を好んで聴くようになっていた。
「笑福亭鶴光のオールナイトニッポン」は北海道ではSTVラジオがネットしていたので、もちろんそちらで聴いていた。「全米トップ40」はラジオ関東だけでしか放送されていなかったので、当時愛用していたナショナルのプロシード2600というラジオで長距離受信していた。ラジオ関東は出力が小さかったため、クリアに受信することがなかなか困難であった。後に局の名称がアール・エフ・ラジオ日本に変わるのと同時に出力も上がったため、少しは受信がしやすくなった。
あれは確か日曜日の午前中だったと思うのだが、堺正章がパーソナリティーをつとめるラジオ番組が放送されていた。そこでスティクスのアルバム「パラダイス・シアター」が紹介されていた。スティクスは1970年から活動を続けるベテランのロック・バンドであり、「パラダイス・シアター」はすでに10枚のアルバムであった。1980年の初めには、「ベイブ」が初の全米No.1を記録していた。
しかし、洋楽を聴きはじめて日が浅かった私は、この時にはじめてスティクスの名前を知った。スティクスの綴りは「STYX」であり、「三途の川」の意味らしいのだが、私は「棒」を意味する「STICK」の複数形で、スティックスだと勘違いしていた。
番組ではおそらく「パラダイス・シアター」から何曲かがかかり、それを私はある程度気に入ったのであろう。よく覚えてはいないのだ。それ以上に印象に残ることを、堺正章は言っていた。レコードの表面にバンド名が刻まれていて、光にあてるそれが虹色に光るとか、確かそんな感じだったと思う。私はこれに大いに興味をひかれた。そして、その少し後に「パラダイス・シアター」の輸入盤レコードを買った。ミュージックショップ国原か玉光堂でだったと思う。
当時、旭川では新作の輸入盤LPレコードをだいたい2200円ぐらいで買うことができた。国内盤のLPレコードは、洋楽だと2500円ぐらいだったと思う。確かに輸入盤の方が少し安いのだが、そのかわり日本語の解説や対訳はもちろん付いていない。英語の歌詞カードすら付いていない場合もあった。私は海外から直輸入されたものであるという点に価値を見いだし、逆に日本語解説や対訳などはどうでもよかったので、輸入盤の方を好んで買っていた。
輸入盤にはビニールでパックされていて、それを破ると独特の匂いがした。1982年夏を時代設定としたホイチョイ・プロダクションの映画「彼女が水着にきがえたら」にも、輸入盤レコードの匂いを嗅ぐシーンがあった。輸入盤のビニールのパックは完全に取って捨ててしまう場合と、端だけ破いてレコードを出し入れできるようにして、後はそのまま付けておく場合があった。しかし、ビニールが縮んでジャケットを圧迫し、盤面が変形する原因になるという噂を聞いて、それからは完全に取って捨てるようにしていた。
「パラダイス・シアター」のレコード盤面には、確かにバンドのロゴマークがエッチングされていて、光にあてるとそれが光って綺麗だった。作品の内容はパラダイス・シアターという劇場の盛衰をテーマにしたコンセプト・アルバムで、洋楽初心者にも聴きやすく分かりやすいポップなロックやバラード・ナンバーが多数収録されていた。
堺正章はグループ・サウンズのザ・スパイダースのメンバーとしてデビューしたが、私にはこのころの記憶がまったくない。「ハッチャキ・マチャアキ」というバラエティー番組で大活躍しているおもしろい人という印象であった。コメディアンという言葉はまだ知らなかったが、こういうテレビでおもしろいことをするような人に将来はなりたいな、などと子供ごころに思ったものである。
「パラダイス・シアター」は全米アルバム・チャートで3週間1位になった。この年はREOスピードワゴンの「禁じられた夜」というアルバムがものすごく売れていて、2月21日付から約4ヶ月中の15週間に1位だった。この間に「禁じられた夜」以外で1位になったアルバムは、「パラダイス・シアター」だけであった。日本でもそこそこ売れて、オリコン年間アルバムランキングの第90位に入っている。
翌年、スティクスは来日公演を行うが、この時に滞在したホテルのテレビで見た日本の工業用ロボットに着想を得て、1983年のヒット曲「ミスター・ロボット」が書かれたといわれている。「ドモアリガット、ミスター・ロボット、マタアウヒマデー。ドモアリガット、ミスター・ロボット、ヒミツヲシリターイ」という日本語の歌詞が印象的な曲であった。
Paradise Theatre/Styx

¥1,921
Amazon.co.jp